第34話 天秤
「ああ、もうお終いだ。」
ひっきりなしに鳴り響く無言電話。
玄関のチャイムはマスメディアによって昼夜問わず押されている。
暗くなっても明かりもつけられない。
明かりを灯せば「そこにいる」と見なされ、また玄関のチャイムが鳴るからだ。
世間から「被害者を見殺しにした裁判官」と呼ばれて久しい。
郵便ポストには抗議文が溢れる程入れられ、
匿名電話、SNSでの顔写真拡散など、様々な方法で嫌がらせを受けた。
自分だけの事だからと我慢していたが、次第に家族にも影響が出始めた。
どこで撮られたのかも分からないが、妻や娘の写真がネット上に拡散された。
娘は制服を着ていたので、直ぐに学校の特定もされた。
ついには娘の通う中学校にも嫌がらせの張り紙がされた。
妻は泣き、娘は口をきかなくなった。
そして俺を残して2人は家を出ていった。
事の発端は、「衛星位置情報不正監視事件」の裁判官を俺が務めた事だ。
簡単に言えば男性による女性へのストーカー案件だった。
民間企業のAI監視システムが、
被害者女性の位置情報を違法に収集し、ストーカー事件へと発展した。
被害者側は「企業のシステム設計と監視体制に重大な過失がある」として提訴。
加害者(元交際相手)は企業の端末を不正利用したが、
企業側は「個人の不正行為で責任はない」と主張した。
結果、俺は「企業に法的責任は認められない」と判断し、被害者女性の敗訴を告げた。
何故被害者の訴えを退けたかと言うと、
今回の論題が「女性に対したストーカー事件」と言った個人間の問題ではなく、
民間企業側への訴えだったからだ。
加害者が違法にデータを収集出来たのは、
彼がシステムにハッキング出来る技術を持っていたからだ。
企業側のセキュリティは民間企業にしては高い方だと思う。
だが、それ以上に彼が高い技術を持っていたのだ。
この事件は裁判前から世間で注目を浴びており、
被害者女性は積極的にメディアに出演していた。
世論では「被害者女性が勝訴する」と言った構図が出来上がっていたと思う。
だが俺が下したのは世論の希望とは違い、被害者女性が敗訴と言った判決だ。
直後から俺に対する批判が相次いだ。
報道でも「意外な判決」として、俺の名前と共に特番が組まれた程だった。
あくまでも、ストーカーをした加害者が悪いと思っている。
俺が一貫として主張しているのは「企業に責任はない」と言う事だ。
だが、皆はそれを履き違えている。
瞬く間に俺は、世間から大バッシングを浴びる事になった。
自分が下した判決は間違っていなかったと思う。
もちろん、俺を擁護する声だってあった。
だけれども、それを上回る批判が集中し、俺の人生は確実に崩れていった。
判決後1週間になるが、
カーテンを少し覗いてみるとまだ報道陣が家の周りを張っていた。
その光景に絶望した。
「もう辞めよう……正しい裁きなんて、誰も求めていない。」
俺は2階にある書斎に移動した。
引き出しから封筒と便箋を取り出す。
そのまま、淡々と退職届を記入した。
「一身上の都合により」
そこを記入した時に、ふと笑いが出た。
清く正しく厳格に。
そう生きてきた俺の人生は何だったんだろうか。
だが、サインをしかけた瞬間、視界が歪んだ。
眩暈でもしたのかと思い周りを見渡すと、
壁が波打ち、書斎の空気が反転していった。
着いたのは、見知らぬ場所だった。
地上というよりも地下の様で、
薄暗いそこには見渡す限りボロボロの建物が立ち並んでいた。
全てが金属とか、アルミで出来た様な建物だった。
おもちゃのブリキに似ている質感だ。
いたるところで煙突の様なパイプが立っており、白い煙が上がっている。
薄暗い証明の中、何故か俺はそんな場所に立っていた。
「どう言う…。」
そう言いかけたがここは酸素濃度が薄い様で、息を吸っても何だか息苦しさを感じる。
遠くに見える街頭モニターには、読めない字体のニュースが流れていた。
流れる文字を見てみても、一文字も分からない。
ある程度語学は勉強しているが、まるで見た事もない様な文字だった。
ここは息苦しい上、何だか金属の匂いが立ち込めている。
少しでも酸素を求めて歩き始めたが、
街の中心部に行くに連れますます金属の匂いが強くなっていった。
歩いている時、向こうから人が歩いてきた。
話しかけてみようと思いこちらもやや早足で歩いたが、
近づいたその人を良く見ると足や手が金属で出来ていた。
義足や義手の様だが、色んな金属の素材でツギハギに作られている。
歩き方もぎこちなかった。
その様子を見て、俺は立ち止まった。
異様な光景で安易に言葉がかけられなかった。
その後他の人を見ても同じく、
顔の半分だったり体のどこかしらが金属のツギハギで覆われている。
まるで映画や本で読んだスチームパンクの様な世界だった。
正直、突然こんな所に来て戸惑いもあったが、興味の方が大きかった。
先ほど遠くから見ていた街頭モニターの方まで歩いてきた。
白くスチームが出ている建物に囲まれている為見辛いが、内容はニュースの様な感じだった。
映像付きで表示されていたので、視覚で何となく理解出来る。
建物がどんどん解体されている様子が流れていた。
「こんばんは〜。AUPDのセイガです。」
モニターに集中していた俺は、急に後ろから声をかけられビクッと跳ねた。
「私はアマギリと申します。」
振り向くと、2人の男性が立っていた。
「あの、ここはどこでしょうか。」
俺は初めてこの不思議な空間で会話をした。
「あなたは今別の世界線に飛んでしまています。
なので、我々が元の世界に限りなく近い世界線へ移送します。」
アマギリさんがそう話した。
「あの、突然でよく分からないのですが、限りなく近いと言うのは…。」
俺は戸惑いながらも質問する。
元の世界じゃなくて、限りなく近いとはどう言った事だろうか。
「今、あなたはこの世界の経験を持った状態だ。
だからこのまま元の世界線に戻すと世界線が矛盾を感じて、連鎖崩壊する可能性があるんだよ。」
セイガと言う男がそう言った。
俺は元の世界線に戻りたくないと伝えたが、ダメだと言われた。
こう言った世界線の越境をした人を「トラベラー」と言うらしい。
トラベラーは自分のいた世界線と0.0001%異なる限りなく近い世界線に移送されるらしい。
どうやらAUPDとは法的機関の様で、世界線の秩序を守っている存在との事だった。
「私も、元の世界線では…秩序を守る存在だったんですよ。」
俺は少し親近感が湧いて、セイガさんとアマギリさんへそう告げた。
「でも、1つの出来事で全てが台無しになった…。」
俺は俯いてそう言った。
セイガさんは、そんな俺の肩をポンと叩いた。
「秩序を守るってのは、自分が悪者になる事も、正義になる事もある。
どちらにしても誰かがやらなきゃ秩序は守られない。」
気付くと、俺は元いた書斎に座っていた。
俺は暫くそこで先ほどまでの光景を思い返していた。
夢だったのだろうか、でも妙に鼻に残るあの金属の匂いは鮮明に思い出せた。
少し違う世界線、と彼らは言っていたが何か変わるのだろうか。
ぼんやりと思っていると、突然楽しげな笑い声が1階から聞こえてきた。
急いで階段を降り確認すると、出ていった筈の妻と娘が楽しそうにテレビを見ていた。
「あ、パパ!見て、今パパのニュースやってるから!」
娘が楽しそうに手を取ってくる。
テレビを確認すると、アナウンサーが俺の名を読んだ。
「被害者救済を最優先したこの判決、裁判官は企業の重大過失を認定しました。
人々は「人権派エース」と言い、SNS上で絶賛されています。」
被害者救済?
あの判決は敗訴にさせたのになんの事だろうか。
だが、俺はリビングの机に見覚えのない便箋を見つけた。
取り出してみると、被害者女性からの感謝の手紙だった。
最後の一文にはこう書かれている。
「正しい裁きをして頂き、ありがとうございました。」
テレビのアナウンサーは続けて判決文を読んでいた。
俺が知っている内容とは少し違い、前にいた世界では存在しなかった
「開発ログ」や「内部メール」の補強証拠が添えられていた。
確かにその証拠があれば、
加害者男性と企業が共謀して行っていたと判断されるだろう。
この世界ではわずかな誤差で、結論は逆転していたのだ。
妻も娘も、笑顔でテレビを見ている。
「あなた、良かったわね。」妻が私の手を握った。
娘も、「学校で自慢しよーっと!」と無邪気に笑っている。
ここでは批判の矢は最初から存在しなかったかのように静まり返っていた。
この世界線では、新たな証拠により裁きは重く傾いた。
それだけの違いが、人生を塗り替えたのだ。
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