第20話 あの日の君は、君じゃない


白く冷たい雪の塊が、静かに降り注いでいる。

息を吐くと白い煙の様に吐き出される。


その日の午後も、空は淡く曇っていて歩道の雪が湿って靴の底にまとわりつく。

雪は雨と違ってとても静かだ。

建物や地面が、雪の白さに染まっていく。


家を出た際に傘はいらいないと思ったが、

いつの間にか雪の勢いは増し頭や肩に積もっていく。


別に行きたい場所がある訳ではなかった。


ただ、自分の中にある気持ちを整理出来ず、当てもなく歩いている。

自室に篭っていると、どうしても変な事を考えてしまう。

そんな時は、重い体に鞭を打ち、外に出かける。


サク、サク、と歩くたびに雪を踏みしめる音がする。

この音は心地良い。

ここは田舎なのでいつも通り人混みもなく、ただただ静かな街並みだった。


暫く無心に歩いていると、前から女性が歩いてきた。

彼女は傘を差している。


淡いピンク色のコートを来て、白色のバック。

俺は彼女の姿を見て、かつてのシノを思い出す。

同じ様なコートとバックで、そう。同じ様に柔らかなベージュ色の傘を差していた。


俺は彼女が近づいてくる度に、心臓の鼓動が早くなった。

彼女は傘を前方に傾けており、まだ顔は見えない。


「そんな訳ないよな。」

と一言呟く。


彼女の訳がない。似た様な服だって、傘だってこの世には腐るほどある。

ただ、単純に彼女と同じ様な格好をしているだけ。

そう言い聞かせながら俺は立ち止まり、彼女を見つめる。


絶対にあり得ない。彼女ではない。でも何故だか淡い期待が心から湧き上がる。


後少し。


立ち止まる俺を通りすぎる彼女。

だが、俺は彼女を見て思わず大声が出た。


「シノ‼︎」


嘘だろ、そんな筈はない。


だって、彼女は今年の夏に交通事故で亡くなった。


俺の大切なシノ。

付き合って3年、俺から彼女にプロポーズして彼女は笑顔で喜んでくれた。

俺たちは記念日となるこの冬、結婚する予定だった。

だが、彼女が亡くなってしまい、俺は生きる気力も湧かずに毎日をただ淡々と過ごしていた。


「え、あれ。レイじゃん!何でここにいるの?」


死んだ筈の彼女が、目の前で笑っている。


俺は頭がおかしくなってしまったのか。幻想でも見ているのだろうか。

彼女はそんな俺の様子にも構わず、饒舌に話し始める。


「なんかね、変なんだって!気付いたら、ここにいたの。

変なカーテン…みたいな、そんな所通ったらここだったの!」


俺は驚き、何も言えなかった。

ただ、喋り続ける彼女を遮る様に強く彼女を抱きしめた。


「えっ!どしたの?レイ…。」

彼女の手から傘が落ちる。


俺は幽霊とかそんなモノは信じない。

でも、目の前にいるシノは抱きしめられるし、温い。

その久しぶりの温もりに涙が溢れる。


シノはそんな状態の俺を黙って受け止めてくれた。

優しく抱きしめ返してくれる彼女に、また涙した。


それから暫く俺たちは抱き合っていた。

ようやく涙が止まる頃、俺は彼女に言った。


「今日さ、ちょっとデートしない?」


彼女は「泣いてたのに、急に何言うの」と言いながら、俺の頭を撫でた。


「あの喫茶店でお茶して、その後は水族館に行こうよ。」

俺はシノの目を見て言った。

すると、彼女は少し右上を見て、あ!と声を出す。


「最初のデートにしたよね!いいね。行こうよ。」


俺はシノの手を握った。

拾い上げた彼女の傘を差して、2人で喫茶店へと向かった。



店内は思ったよりも暖房が効いてて温かい。

彼女も俺も上着を脱いだが、下に厚着をしていた為それでも暑く感じる。


「俺、アイスコーヒーにしようかな。」

俺はメニュー表を見ながら冷たい飲み物を探す。


彼女はこの喫茶店では、いつもメロンソーダを頼む。

夏も冬も毎回そうだ。


何故いつもそれなのかと聞くと、このケミカルな味わいが好きなのと笑う。

彼女はちょっと変な所があって、人工的な味付けが好きらしい。

かき氷のシロップとか海外の変な色のお菓子とか、そう言った癖のある味を好む。


「あ、じゃあ私カプチーノにする。…すみません。お願いしまーす。」


目の前で店員を呼ぶ彼女に違和感を覚える。


「ね、メロンソーダじゃなくていいの?」

俺はそう聞くと、彼女は不思議そうに言った。


「ん?メロンソーダ?ここではいつもカプチーノ頼んでるよ。」


そのまま店員が来て、彼女はカプチーノを頼む。


俺は先ほど彼女が言っていた「変なカーテン」の存在をようやくここで認識した。


おそらく彼女は、違う世界線から来ている。

だから嗜好も少し違う。

よく見てみると、いつも彼女はバッグを椅子の背にかけるのだが、今は地面に置いている。

少し違う、でも大きく違う訳ではない。


本来であればAUPDに通報しなければいけない事は分かっている。

だけど、今の俺はそんな事したくなかった。


ただ、目の前の彼女と過ごしたかった。



彼女は俺を見て楽しそうに話をする。

「あのさ、昨日見た映画あったじゃない。ゾンビの。」


昨日、とはいつの話だろうか。

この世界線では彼女はもういない。

そんな映画は見た覚えがないのだが、話を合わせる。

「うん。面白かったよね。」


そう言うと、彼女は怪訝そうに言った。

「え、あれ面白かった?レイ途中から寝てたじゃん!」


「あ、そうだったけ。ごめんごめん。」

俺は慌ててそう返す。どうやらあっちの俺はつまらなくて寝てしまったらしい。


「もー、最後ね。凄かったんだよ。怒涛の伏線回収!だから、それ教えたくて。」


そう言って、彼女は昨晩見たらしい映画の内容を語り出す。


彼女は映画が大好きで、1人の時間も映画漬けの毎日だった。

特にB級映画が好きで、俺にとっては「安っぽいなあ」と言う感想も、

安いなりにどう工夫して表現しているのか、等ストーリーは勿論の事だが、

たまに製作者目線で映画を語る。


彼女が楽しそう話をしている。


俺にとっては、もうそれだけで。

それ以上望めない位、幸せな時間だった。



水族館は歩くと少し距離があるので、タクシーに乗った。

いつもケチって歩いて行くのに、と彼女は言ったが今日の俺は兎に角時間が惜しかった。

入園チケットを買って、ゲートを通る。


「ねえ、チケットの絵、何だった?」

俺は彼女に聞く。

自分のチケットにはザトウクジラの絵が描いてあった。これは初めて出た種類だ。


彼女と水族館へ行く度に、全種類の絵柄をコンプリートしようと集めていたのだ。


「え、チケット…うーん。これなんだろ。マンボウかなあ。」

そう言って、彼女は近くのゴミ箱へ捨てた。


俺は、捨てないでと言いかけて、やめた。

ここの彼女と、今目の前の彼女が違う事は分かっている。

性格も、俺との関わりも、少しづつ少しづつ違っている。


いてくれるだけで、それで良い。


でも、分かれば分かるほど辛くなるのは何故だろうか。


「ねー、見て!私の好きなエイいるよ。」


あ、そこは一緒なんだ、と俺は思った。

以前の彼女も、エイが好きだった。

ガラスにへばりついた時に見える、裏側の模様が顔みたいで可愛いと言っていた。


その後も、じっくりと色々な魚を見ながら周った。


彼女の笑い方、彼女の仕草。

懐かしくて、心地よくて、どれも全て愛おしい。


あの事故がなければ、俺と彼女は今も一緒に笑っていたのに。



彼女が事故にあったのは、俺のせいだ。


一緒に住んでいたその日、水曜日の夕飯を担当するのは俺の役目だった。


毎日作ってくれる彼女に負担がかからない様、交代で料理をする事を提案した。

そうすると彼女は、じゃあ1日だけ。水曜日にお願いできるかな、と言った。

それからは毎週水曜日は俺が夕飯を作った。


正直料理はあまりした事がなかったので、最初の方は黒焦げになった煮物とか

味がしない味噌汁とか、そんな料理ばかりだった。

でも、シノは「おいしくなーい。」と言いながらも全部食べてくれた。

色々と勉強をして、どんどん上手くなっていく料理に彼女は喜んだ。


その日、俺は料理で使う筈の調味料が無いので、彼女にどこにあるかをを聞いた。

彼女は「そう言えば…昨日使い切っちゃったごめん。」と言って買い物に出かけた。


その時に、彼女は事故にあったのだ。

それから、ずっと思ってる。

彼女の事故は、俺のせいだと。



大きな水槽を眺めて嬉しそうにしている彼女に俺は言った。


「シノ、君が君でなくても、俺はずっとシノが好きだよ。」


彼女は、首を傾げて

「私もレイが好きだよ。でも、私は私だよ?」と返した。


その様子に、俺は微笑みながら言う。

「うん、気にしないで。伝えたかっただけ。」



「すみません、AUPDです。俺がセイガ、こっちがアマギリです。」


突然目の前に、2人の男が現れた。

いや、突然ではない。

彼らは喫茶店にいた時から、俺たちを観測していた。


俺があえて通報しなかったのも、彼らは分かっている。

ここまで見守ってくれたのは、彼らなりの優しさだったんだろうか。


「時間、ですね。」

俺は一言そう呟いて彼女を抱きしめた。


彼女は、突然男性が現れた事に驚きながらも、

AUPDが説明をする内容を、落ち着いて聞いていた。



「じゃあ、移送しますよ。」とアマギリさんが言った。


俺は堪らなくなって彼女をまた抱きしめる。


「大好きだ…本当に。向こう…では、幸せに…なって。」


ボロボロと泣きながら言った言葉は、聞きづらいものだっただろう。


それでも彼女は、今日会った時の様に優しく抱きしめてくれた。




ふと、温かさが消えたと思ったら、もう彼女はそこにいなかった。

アマギリさんは彼女と共にいなくなったが、セイガさんは残っていた。


「あんま、長くいさせてやれなくてゴメンな。」

俺は涙を拭いて、深くお礼をする。

「見守っててくれて…ありがとう…ございました。」


セイガさんは、俺の肩に手を乗せて言った。

「これからどうなるか、俺は知ってる。意思は変わらないか?」


俺は、彼の言っている意味が直ぐに分かった。

でも、今日と言う日があったお陰で、ようやく決心したんだ。


「はい。」

俺は強くそう返すと、「またな。」と彼は手を振って消えた。



俺は家に帰り、ゆっくりと丁寧に紙にペンで字を書いた。


『君は、君じゃない。

でも、君と歩いた今日の全てが、俺の全てだった。


もう、十分なんだ。

ありがとう。


少しだけ、生きた気がした。

ありがとう、ごめんなさい。』


俺は書き綴った後、部屋を見渡した。

彼女の物が捨てられず、そのままに残っている室内。

まるで、今にでも玄関を開けて彼女が帰ってきそうだ。


彼女との思い出を、頭の中で振り返る。

やっぱり最後に浮かんだのは、彼女の笑顔だった。

俺もつられて笑顔になる。


俺はその紙を丁寧に見直した後、ベランダに行った。

ここはマンションの8階。

失敗する事はないと信じたい。



そのまま、ベランダから身を乗り出して、俺は飛び降りた。


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