第16話 不条理な世界

ああ、むかつく。

心底この世界は不条理だと思う。


私には母親がいない。

父親と共に市営住宅に住んでいる。


私が小さい頃は父親もちゃんと働きに出ていたのだが、

中学に入って洗濯や掃除、家事が出来る様になってくると父親はそんな私を見て

まるで母親の代わりの様に、「これお願い、あれもお願い。」と色んな事を頼んできた。

その当時は私に対して優しくお願いをしていたのに、それすら面倒になったのか段々と口調もキツくなっていった。


今は仕事も辞めて、生活保護で毎日パチンコに行っている。

家事も色々な支払いも、全て私が担当していた。

正直、家計には余裕がなく父にパチンコに行くのを辞めて欲しいと伝えたら、容赦なく殴られた。

私が泣くと、父親は楽しそうに笑ってまた殴る。


暴力だけならまだ良い。

最悪なのは、脱衣所で服を脱いだ瞬間に扉を開けられ裸を見られたり、夜になると寝ている私の体を触ってくる。


気持ちが悪いが、私はどこにも逃げられない。

そんな時は寝たふりをするのだが、最近その行為がエスカレートしており、日々寝るのが恐怖になっている。


「こんな世界無くなっちまえよ。」

ベランダでお酒を飲みながら、私は月に向かって呟いた。


私はまだ中学生なので本来飲酒はしてはいけないが、父のお酒を興味本位で飲んでみた所、

ストレスから解放されリラックス出来る感覚を味わってしまい、それ以降毎晩の様に飲んでいる。

勿論父親にはバレない様に、飲んだ缶は白色の袋に包んで、ゴミ箱に捨てる。

苦しい中でも、毎日のその1本が私を助けてくれている。


父親は大体昼過ぎに起きて、夕方から閉店までパチンコに出かける。

私が中学校から帰宅する時に部屋にはいない。

だからその間だけは、父親に縛られない自由な時間だ。


ベランダで夜風の爽やかさを味わう。

今日も私が寝たら、父親は体を触るのだろうか。

服の下まで手を入れられ鳥肌が立つあの感覚。考えただけでも吐き気がする。


私は世間一般で言う、「普通の父親」を知らない。


同級生と話をしていると「お父さんと全然喋らない」とか「厳しくてウザい」とか、そんな事ばっかりだ。

でも、どうせそんな事言ってて、何かあれば父親を頼れるんでしょ。

厳しくされるのも大事にされてるから。

普通、父親は娘の体を触らないでしょ。


皆、私とは違うんだよ。


学校の先生は、今まで私の生きている環境に目も向けなかった。

助けて、と言いたかったが結局は誰にも言えなかった。


でも今のクラスの担任は、私を心配してくれている。

その先生は家庭訪問の時に、父親と私の家を見て何か思う事があったのだろう。

それからは、私に何か困っていないかとか、お金の心配はないかとか、事あるごとに聞いてくる。

男性自体【気持ち悪い存在】になっている私は、その先生にも中々心を開けずにいた。



でも、正直もう限界だ。

先ず、お金がない。

家賃とか、電気代とか、絶対に使ってはいけないお金も父親は軽々しく持ち去ってしまう。


あと数日経てば、ガスと電気が止まる。

水道はまだ来月まで大丈夫だけど、それ以降はどうなっているか分からない。

高校もお金がないから行けない。

私が働いたら、きっとそのお金も父親に取られるんだろう。


もし、もしも先生に状況を話たら何かが変わるのだろうか。

でも助けたり、お金をくれる代わりに何かを要求されるかもしれない。

そう思うと、やっぱり相談する事に躊躇してしまう。


同級生にも、私はお金がない事は悟られている。

どこかに行こうと誘われてもお金がないから行けない。

「その日は都合が悪くて」そんなやり取りを何回もしていたら自然と誘われなくなった。

代わりに色んな人から「あの子、あのボロ住宅に住んでるらしいよ。貧乏なんだって。」と陰口が聞こえてきた。


それからは友達もいない。



「あー。もう嫌だ。私が何したってんだよ。」

もし母親が生きていたら、普通の家庭だったんだろうか。

父親はきっと少し鬱陶しいけど何かあったら助けてくれて、母親は私が帰宅したら料理を作って待っててくれる。

女の子特有の相談も、母がいれば出来たのに。


缶の中に残ったお酒を、一気に飲み込む。

ふう、と一息ついた所で部屋に戻ろうとしたが、私は奇妙な物を見た。

ベランダと部屋の間に、透明な膜の様なものが見える。

お酒のせいか、とあまり気にせずそこに1歩足を踏み出した。



——————————



出した足が地面を踏んだ時、私は強烈な違和感を覚えた。

私が先ほどまで着ていた服は、上は白色のTシャツで下は紺色のハーフパンツだったのだが

その服の色が上下共に真緑になっていた。


「え!」

と驚いてまた見ると、今度は黄色になっている。

そこで、周りを見渡すもいつの間にか屋外にいた。

下を見ると、私は丸い円盤の様な物の上に立っており、その円盤は地面から数センチ浮いて前に進んでいる。

周りにも人が数名見えたが、その人達もその円盤に乗って色んな方向に向かっていた。


どこに向かっているのかも分からず、止まれ、と思ったら瞬時にその円盤は止まった。

恐る恐る「右へ」と心の中で言うと、そのまま右方向に進み始めた。


酔っ払って、変な夢でも見ているんだろうか。

だが、目の前の光景は妙に現実味があり不思議な感覚だった。


そのまま下を見ながら右に進んでいると、真っ直ぐ進んでいた人に真横から円盤事ぶつかってしまった。

「あ、すみません…。」

と言うと、その人は何も言わなかった。でも、ちょと怒っている様な顔をしている気がする。

その人は私とぶつかった時、真っ赤な服を着ていたのに、私が謝った後直ぐにオレンジ色へと服の色が変化した。


「え、え、色変わった…?」

戸惑っていると、今度は私の服の色が真っ青に変化した。

服もそうだが、それよりこの円盤は何なんだろうか。

円盤から降りてみようと足に力を入れるが、まるで固定されている様で全く降りられない。

他の人を見ても、その円盤から降りて歩いている人はいなかった。


「もー、酔っ払ったにしては意味不明過ぎる夢でしょ…。」

私は頭を抱えた。


だが、夢なら夢でもう何でもいいやと開き直り、私はこの世界の探検に出かけた。


暫く街並みを見つつ、円盤を心の中で支持して進む。

田舎暮らしの私が夢見てた、都会の街並みだった。

至る所にお店があり、お店を見つける度に近づいてウインドウショッピングを楽しんだ。

通り過ぎる人の服も、見るたびに色々な服に変わっていく。


近くにあった洋服店の前で、店内の様子を見てみる。

洋服達は、まるで「自分を買ってくれ」と言わんばかりに様々な色や質感に変化していく。


それを見て「こんな洋服だったら、1着買えばずっと使えそう。」なんて貧乏性が出てしまった。


ここには父も、同級生も、知ってる人は誰もいない。


自由って、こんな感じなのかな。

今までの私は閉鎖された空間、学校や家の中だけしか知らなかったけど、

ここでは父に怯る事も、同級生に陰口を言われる事もない。


出来れば、夢は覚めずにずっとここで暮らせれたらいいな。


でも、もし夢が覚めたとしても、

父を捨て、私が遠い場所に行ったら、今と同じく自由を感じられるのかもしれない。



「あ、ちょっとそこの子。話を聞いてくれ。」

後ろから声をかけられ、慌てて円盤を止める。

円盤をくるっと回して前を見ると、そこには2人の男性が立っていた。


だが、何故かその2人は目を手で隠している。

「あの…、何でしょうか。」

私はその様子に不思議に思い話しかけると、男性はそのままの目を隠して言った。


「我々、AUPDと申します。貴方は今、別の世界線に来ています。

なので我々が元の世界線に限りなく近い世界線へ移送させて頂きます。

因みに、ここに留まる事は出来ません。」


カーキー色の短髪の男性が、目を隠しながら言う。


「私はアマギリです。隣はセイガさんです。」

そのセイガさんとやらも、ずっと目を隠している。


「あの、ちょっと世界線とかは分かりませんが、何で目を…。」

私がそう聞くと、セイガさんが私を指差した。

怪訝に指された胸元を見て、私は叫んだ。


「きゃああああああ!!!」

先ほどまで服を着ていた筈なのに、私は裸だった。

着ている服が透明になっていたのだ。


「見てない!見てない!」とアマギリさんもセイガさんも同時に叫ぶ。


何で!何で!と叫んでいる私に、アマギリさんは

「兎に角、先ほどの話を受け入れて下さい!納得して下さい!」と同じくらいの声で叫ぶ。


目をぎゅっと瞑って、私は心の中で唱える。

世界線、世界線、世界線!なんか全然よく分かんないけど、理解しろ!

今は違う場所、違う世界線に私は来てしまっている。

帰る、帰る必要がある!


急いでそう言い聞かせて、ゆっくりと目を開けると、裸ではなく服が黒色になっていた。


「あ、戻った。」

私がそう言うと、ようやく2人は恐る恐る手を下ろして私を見た。


無精髭の人、セイガさんが続ける。

「あのね〜。この世界線は服が感情と言うか意思を持ってるの。

だから着てる人の感情によって色を変えてみたり、

今みたいに君と共に服が驚くと、透明になって逃げようとするんだよ。

だから、どうか、どうか落ち着いてくれ。」

と私の肩を叩いた。


私は男の人は苦手だけど、何故かこの2人には嫌悪感がなかった。


「えと、夢だと思ってたけど、違うって事ですよね。」

私はバクバクする心臓を騙すかの様に、冷静な声を出した。

服がびっくりすると、また裸に逆戻りだ。それだけは避けなければ。


そして落ち着いた後、2人から話を聞いてみると、私は完全なる元の世界線には戻れないが

99.999%近い世界線へ戻る事になると言った。


ここでの自由は楽しかったけど、結局元に戻るんだなあ。と残念に思う。

誤差で父親が死なないかななんて不謹慎な事を思ったけど、まあ多分アイツは死なないだろう。


セイガさんやアマギリさんは、何だか一緒にいて心地よい。

守ってくれていると言うか、こう言う感覚が家族に近いのだろうか。


私は無性に話を聞いてもらいたくなって、誰にも言えなかった父親の事を2人に伝えた。



アマギリさんは困った顔をしながらセイガさんを見ていた。

急にこんな話をして困らせてしまっていると思うと居た堪れなくなり、下を向いた。

「すみません、こんな話を初めて会った方にしちゃって…。」

アマギリさんは何か言いたそうで言えずにいる様子だったが、セイガさんは私の目を見つめて言った。


「トラベラーの人に、規則上助言は出来ない。でも、君は強い。自分で見つけられる筈だ、君を助けたい人を。」


セイガさんの言葉に、歯を食いしばって涙を堪えた。

「泣きたいなら、泣いていいですよ。」とアマギリさんも優しく話かけてくれた。


ボロボロと大粒の涙が溢れて止まらない。

今まで泣かない様にずっと我慢してきた。泣いたのは、いつ振りだろうか。

我慢していた分まで、全部の感情が一気に押し寄せてきて溢れていった。


「…うん。わたし、がんばってみる。」


私は2人の目を交互に見て涙を拭った。

じゃあ、移送しますねとアマギリさんが言った。

私は目を閉じて、その時を待った。

最後にセイガさんとアマギリさんが息を合わせた様に「見守ってるよ。」と同時に言った。



——————————



目の前には、いつも通りの部屋が見えた。

父親はまだ帰ってきてはいない。


缶やゴミ袋が大量に放置された部屋の中を見て少し安心する。

先ほどまで、本当に全く別の世界にいたんだな、と実感した。


だが、帰ってきてから改めてこの部屋にいると、ゴミの匂いが充満しており少し気持ち悪くなった。

今までこんな部屋で普通に生活していたのに、急に人の家に来たみたいな感覚に陥る。


私は今まで、ここで何をしていたんだろう。



もう夜も遅い時間帯なので、父親が帰ってくるかもしれない。

私はそのまま部屋を飛び出た。

この家にいたら、私がおかしくなる。そう思って必死に走った。

暫く走って、学校の近くにある公園のトイレで一晩を明かした。

暗くて、静かで怖かったけど、この1日だけ頑張ろうと強い意思で耐えた。


次の日の朝、私は学校へ行った。

制服ではなく、そのままの身なりのTシャツとハーフパンツだったので、

色んな人が私を見ていたけど、お構いなしに一直線で職員室へ向かった。


「先生!!!」

大声で、私の担任を呼んだ。

その様子を見て只事じゃないと思ったのか、先生は直ぐに空き教室に私を連れていった。


そこで私は父親の事を、ありのまま先生へ伝えた。


セイガさんとアマギリさんに話した後だったので、言いたい事は全部要約して言えた。


先生は私が必死に話をする中、黙って話を聞いてくれた。

想像と違い何かを要求するでもなく、話し終えた私に、ただただ優しい目で言った。


「よく、言ってくれた。ずっと心配だったんだ。今まで頑張ったな、ここからは俺が対応するから。」


その後先生は色々な場所へ連絡し、私は流れる様に身を任せた。


結果として、私は呆気なく父親の元を離れる事が出来た。


今だから言える事だが、何でもっと早くそうしなかったのかと過去の自分に言いたくなる。

今まで我慢してしなかった事を、今の私がやってのけたのだ。


99.999%同じ世界線と彼らは言っていたが、この世界は私が自分の力で変えた様な気がする。


これからも、大変な事は沢山あると思う。

でも、不安になったらあの2人を思い出そう。

「見守っている」と言ってくれたセイガさんと、アマギリさんの事を。

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