第14話 「必要」とされる世界


暗い部屋の中、携帯電話が鳴っていた。


暫く放っておいたが、ずっとなり続ける着信音にうんざりし眠い目を擦りながらその電話をとる。

通話口の相手は、会社の上司だった。


状況が理解出来ずに何も言わない俺に、

上司は呆れた様にため息をついて「カナタ、また遅刻か?」と言った。


その瞬間俺は一気に目が覚め、近くにあった目覚まし時計を確認する。

既に出勤時間を5分過ぎていた。

上司へ急いで謝り、電話を切った。


とりあえず顔を洗い、スーツに着替える。

だがその途中で洗っていないコップを目にしてしまい、

急いでいる筈なのにそれが気になり過ぎて見過ごせず、コップを洗ってから慌てて玄関を飛び出した。


玄関の鍵をかけようと思ったが、鍵が見当たらない。

家の中に忘れた事に気づき、急いで鍵を探し、玄関に鍵をかけ会社へ駆け出した。



常習的に遅刻を繰り返している俺に、度重なる注意を上司はしていた。


だが改善される様子はなく、月に6回程遅刻する俺についに先月、会社中である決定が下された。

説明と共に上司は、俺に1枚の誓約書を差し出す。


内容は至ってシンプルだ。

【次月、遅刻を3回した場合、その翌月末で自己都合により退職をする事】


俺は説明を受けながらもこの会社はなんだかんだ優しいな、と思う。

当月の解雇ではなく、有給休暇を消化しながら次の会社が探せる様に翌月末での退職にしてくれている。


上司はこんな脅しの様な事になってしまい申し訳ない、と言ってその書面にサインを促す。

俺は「ご配慮ありがとうございます。こちらこそ、申し訳ありません。」と伝え、自分の名前を書いた。



そんな事で、今月は遅刻しない様に気をつけていたのだが、ついに今日3度目の遅刻をした。


つまり「今日」で俺の解雇が決まった、と言う事だ。


何故ここまで遅刻をするのかと言うと、単に夜更かしをしているとか睡眠時間が極端に短いと言う事ではない。


俺はADHDと言った精神疾患を患っている。

仕事の最中も何となくソワソワし、じっと座ってられなくて席を立つ事も多い。

忘れ物も多いし、時間の感覚が曖昧で決められた出勤時間にちゃんと間に合う様計画を立てても、

今日みたいに「コップが洗ってない」とかそう言った些細な事でも目に入ってしまうと

それをやり切るまで時間の存在を忘れてしまう。


会社には、俺がADHDである事を隠している。


自分の病気はさほど珍しい訳ではないし、後ろめたい気持ちがある訳ではないが

「待ち合わせに来ないとか、ホント迷惑なんだよね。」

「会話も急に話が飛ぶし、ついてけんわ。」

過去に言われた数々の言葉を思い出す。


また会社の人達にそう言われてしまうのではないかと思い、中々打ち明けられずにいた。



会社に着いて、一直線に上司のデスクへ向かった。

「本当に、申し訳ありませんでした。」

深くお辞儀をして謝ると上司は「仕方ないよ。お前だって頑張ってるんだろ。」と優しく言ってくれた。


この上司、クラトさんはいつも俺を庇ってくれる。

仕事中落ち着かなくなってくると、俺はよく貧乏ゆすりをする。

それを見計らった様にクラトさんは俺を呼び出し、

「この書類を経理に持って行ってくれ」だとか、じっとしてられない俺を察してくれる様に言う。

更に、忘れ物をしない様にするにはこうしたほうが良いとか、

遅刻しない様にはどうしたらいいか等、色々な相談に乗ってくれていた人だ。


「会社の取り決めだから、申し訳ない。今回は俺じゃ助けられない。来月で退職になるな。」

クラトさんは悲しそうにそう言った。


「今まで、お世話になってたのにこんな結果になって、本当にごめんなさい。」

俺は素直に謝る。

クラトさんは「次の仕事、ゆっくり探しな。さ、もう仕事しようか。」と笑顔で俺の肩を叩いた。



仕事が終わり、暫く俺は夜の街を歩いていた。

どこに行く訳でもなく、目的地もなく、ただなんとなく歩いた。


俺の人生、いつもこうだ。

高校時代でも大学時代でも、友人と適度なコミュニケーションをとる事が出来なかった。

最初は仲が良かった人達も、俺の遅刻癖や対話での違和感を覚え、結果いなくなる。


俺は昔からプラモデルにハマっている。

それを作っている間はトイレも行かずご飯も食べず、自分でも信じられない程に集中が出来る。

この集中力がもしも仕事にも活かせられていたら、と考えるが

自分が興味のある事でしかその集中力は発揮できないので、考えても仕方がない話だ。

仕事では、プレゼンの資料作りが熱中して行う事が出来る作業なのだが、

ほぼ同僚が担当しているので、中々自分に仕事は回ってこない。



また、これだ。

前の会社も、その前の会社でも俺は不注意や遅刻などを理由に辞めていた。

辞めたと言うか、会社側に辞める様に仕向けられたと言えばいいのか。

自分が悪いのは、自分が1番理解してるが、どうしようもないのだ。


「あ〜。明日から、職探しかあ…、俺って本当に生きてる価値ねえな。」

そう呟いて足を止める。

ため息と共に下を向くと、あと一歩先の地面がゆらりと波打った。


地震かと思い周りを見渡すも、人々は何もなかった様に平然と歩いている。

もう一度地面を見るも、やはりゆらりと揺れる。

そこの部分だけ、地面が波打っているのだ。


「…変なの。」

そう言って俺はそこに足を踏みこんだ。



——————————



「君はどこから来たの?」

突然声が響く。


辺りを見渡すと、そこは誰かの部屋の中にいる様子だった。

ソファやベット等の家具は何もない。

天井も地面も横面も、全て青色になっている不思議な部屋。


何が起きたんだろうか。

先ほどまで、街の中にいた筈なのに急に誰かの部屋にいる。

見渡しても人はいない。


でも先ほどの声は誰なんだと、不思議に思い目線を落とすと1匹の猫がいた。


「ねえ、どこから来たの?」

また声がする。

この部屋の中には猫と俺しかいない。

もしかしてこの猫の声なのか、と思い猫に向けて「わかんない。」と正直に伝えてみる。


「僕、ずっとここにいる。退屈。」

猫は口を動かしている様子はなかったが、不思議と言葉が伝わってくる。


そのままごろんと横になり、猫はあくびをした。

不思議な事に、俺は恐怖心も急も何もなかった。

何故かこの部屋にも、この猫にも安心した居心地の良さがする。

可愛いなあ、と思い頭を撫でるとゴロゴロと喉を鳴らした。


俺の指先の匂いを嗅いで猫が言う。

「君、変な匂いする。多分遠い遠い所からきたんだろうね。そこ、いい所?」

変な匂いと言われてちょっと焦ったが、俺は答える。


「あんまりいい所じゃないかなあ。俺なんか、誰にも必要とされてない。」


猫は不思議そうに首を傾ける。

「誰かに必要とされていないといけない世界なの?」


その言葉に俺は撫でていた手が止まる。

そもそも今までの人生で、誰かにとって「必要な存在」になった事がない気がする。

誰にも必要とされていないのなら、俺が生きている意味とはは何だろう。


猫は続ける。

「自分が、自分を必要と思えばいいんじゃないの。」


「…うん、そうだといいな。」

何故かその猫の言葉は、すんなりと自分の中に入っていく。


誰かに必要と思ってもらう為に生きている訳ではない。

でもそれと同様に「必要とされたい」と思う気持ちも同じくらい心の中にある。

誰かに認めてもらいたい。誰かに必要とされたい。

他者から認められれば、初めて自分が生きている意味を見い出せるのかもしれない。


でも、自分が自分を認めれば、それでだけで良い様な気もする。


「僕は、君が来てくれて嬉しい。君は僕にとって必要だった。」

「…じゃあ、俺は…、俺はこの時の為に生きていたのかもね。」


その後沈黙のまま、時間がゆっくりと流れる。

ここにいると1秒が何分にも感じる。

ゆっくりとゆったりと時が進む感覚。

不思議な事にこの空間にいると落ち着き、心底安心できた。


それから何時間経ったのか、もしくは一瞬だったのかも分からないが猫の耳がピクっと動いて、言った。

「来た。」


そう言った瞬間、突如部屋の中に男性2名が現れた。


「この人達、いい人。心配しないで。」

猫はそう言って、立っている男性の足元に擦り寄った。


「お〜よしよし〜。可愛いなあ〜。」

無精髭の男が猫を抱っこをして頭を撫でた。


その様子を見ながら、若い男性が説明する。

「我々はAUPDと申します。そこで猫を愛でてるのがセイガさんで、私はアマギリです。」


色々な事が突然起きて訳がわからなかったけど、

説明よれば、今自分は別の世界線とやらに飛んでいるとの事だった。


まあ確かに俺は普通に猫と喋っていたので、ここは違う世界なんだと納得出来る。


だがこの空間は俺にとって心地よく、もっともっと猫と話をしたかった。

それに、正直あの世界には帰りたくはなかった。


「あの、俺ここにいたいです。」

とお願いしたが直ぐに却下された。

トラベラー、と呼ばれる俺の様な存在は、元の世界に限りなく近い世界線へ移送しなければならない規則だと言う。


「99.999%同じだけど、ちょっと違う。そんな世界線だ。何かが起きても、君は受け入れる必要があるよ。」

猫を撫で続けながら、セイガさんは言った。


「そうですか…。わかりました。まあ、どこに帰っても人生どん底です。」

俺はセイガさんに近寄って、彼が抱いている猫に伝える。


「今日はありがとう。君といると心地がよかった。」

そう言うと、猫は嬉しそうに返す。

「僕もだよ。訪ねて来てくれて、ありがとう。退屈の中にある贅沢な時間だった。」


アマギリさんが、「じゃあ、そろそろ移送しますね。」と言った。

抱き抱えられている猫が俺を見て

「ちょっとだけ、君を助けるね。」と言った。


それを聞いたセイガさんは、猫に向かって

「ね〜。あんまり干渉し過ぎないでね。動物となると、こっちではあんま制御出来ないんだから。」と苦い顔をする。


そんな様子も気にせず、猫は最後に言った。


「君は、君らしく生きればいいんだよ。」


——————————



気がつくと、俺は自分の部屋のベッドで横になっていた。

ピピピ、とアラームが鳴り響いている。

時計を確認すると、いつもよりも1分だけアラームが早く鳴っていた。


何だかあの空間にいた時と同じくらい、時間がゆったりと流れている様に感じた。

いつもは忙しない朝の時間だが、時間に余裕があったので朝食を食べ、スーツに着替える。

昨日3度目の遅刻をしているので、来月末の退職日までは引き継ぎ作業等で忙しくなるだろう。



会社に着くと、フロア内にいる社員達がおはようと声をかけてくれる。

おはようと返し、自分のデスクに座る。


すると、上司がこちらに向かってきて笑顔で言った。

「今日は遅刻してないね。カナタ偉いよ!」

「…あ、すみません。昨日は遅刻してしまって。」

俺は俯きながらそう言ったが上司は不思議そうに「昨日遅刻してなかったけど…」と言った。

おかしいなと思いタイムカードを確認しにいくと、確かに昨日は出勤時間前に出勤している。


上司のクラトさんは「ほら、遅刻じゃないじゃん。」と笑った。


不思議に思いながらデスクに戻り、

例の誓約書が入っている引き出しを開けるが、その紙がなくなっていた。


また自分のミスで、どこかに無くしてしまったのだろうか。

気が重いが報告しなければ、と思いクラトさんに誓約書が無くなってしまった事を伝えると、

「え、誓約書って何?」と驚かれた。


俺は今までの遅刻の件で、会社側から誓約書を書かされたことなど色々な事を話したが

クラトさんはいまいちピンときていない様子だった。


俺が全てを言い終わるのを待ち、少し考えた後に言った。


「ADHDだって、会社に入る前に言ってただろ。

けど遅刻しちゃったら、フレックスタイム制を活用して始業時間をズラせばいいだけ。カナタが言う、その…誓約書?も会社から出してねえぞ。なんか、今日変だな。」


俺はその場で立ち尽くした。

先ず、ADHDである事は会社の人に言ってなかった筈だが、

クラトさんは入社前に俺から報告している様な言い方をしている。


「まあ、俺の娘もADHDだから。お前の事、放って置けないんだよな。出来る限り協力するから困った事あったら言えよ。」

そう言ってクラトさんは自分のデスクに戻って行った。


そこで、あの不思議な猫と男性2人の事を思い出す。

あれは夢かと思ってたけど、やっぱり夢じゃないみたいだ。

戻る世界線では、少し変化があると言っていた。


そして猫は別れ際に「ちょっとだけ、君を助けるね。」と。



もしかして、今の状況が、そう言う事なのか。

あまり干渉するなとセイガさんに言われていたが、

もしかしたらあの猫が何らかの方法で俺の世界に干渉し、良い報告に導いてくれたのだろうか。


ぼーっと突っ立っていると、同僚が声をかけてくる。

「カナタ、この前の会議の資料作り任せるわ。お前の資料めっちゃ分かりやすいからな。」

そう言って笑い、去って行った。


その言葉を聞いて、一気に目頭が熱くなった。


ここの俺は、自分が自分のまま素直に生き、それを受け入れてくれる環境がある。


「誰かに必要とされる世界」が、ここにはあった。

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