第12話 存在の消滅
授業は本当につまらない。
教師はただ教科書の内容をベラベラと喋るだけだし、
物理学ってなんか物質がどうとか、元素がなんたらとか、いちいち細かくて覚えるのが面倒くさい。
教室を見渡すと皆は必死になって先生の言った事をノートにまとめている。
テストも近いし当然と言ったら当然なのだが、
一様にペンを動かす姿を見ると、こいつら全員ロボットなんじゃないかって思っちゃう。
成績はあまり良くないけれど、私の場合はテスト前の一夜漬けが勝負。
その時に怠けずにちゃんと覚えれば赤点は免れる。
高校を卒業したら、直ぐに就職する。
大学に行く気もないし、成績なんてその位で十分だ。
先生の話は右から左へ通り抜けていく。
私は、ただひたすらに時計の秒針が進むのを見つめていた。
後、1秒。
ようやく、待ちに待った授業終了のチャイム音が聞こえた。
「ココノちゃん、今日帰り図書室で授業の復習しない?」
私の隣に座っていたココロが言う。
私はココノ、彼女はココロ。名前も似てるし背格好も似てるし、なんの運命なのか席も隣だ。
皆は私たちの事をまとめて「ダブココ」と呼ぶ。
ダブル・ココを略してダブココだそうだ。
実際私達は仲が良い。
真面目なココロに、不真面目なココノ。性格も几帳面と大雑把。まるで正反対の2人だ。
だが、何故かココロといると安心する。
彼女も同じくそう思い、一緒にいてくれるのではないだろうか。
私は友達も多いけれど「1番大切な友達は」と問われれば、絶対にココロを指差す。
「いや、ホントあんたは真面目だな〜。パスパス。それよかさあ、今日カラオケ行かない?」
彼女のメガネを取って、自分の目にかけてみる。
困った様な声が聞こえるが、目の前がボヤボヤして何も見えない。
「度が強〜〜〜い。」
そう言って彼女にメガネを返すと「も〜、からかわないでよ!」と彼女は笑った。
「だってココノちゃん、全然メモ取ってなかったじゃん。」
ココロが笑いながら、目の前に置いてあるノートを指差した。
「もー、テスト前日に頑張れば良いじゃん。今日は歌いたい気分なのです〜。」
机の上の教科書やノートを適当にカバンに詰め込む。
勉強しようよと止める彼女を半ば無理やりに連れて私達はカラオケに行った。
「あ〜歌った歌った〜。」
今日は2時間いたが、殆どは私が歌っていた。
彼女の歌は下手でもないし音程も取れているので聞きやすいと思っているのだが、
何故か毎回恥ずかしがって1−2曲しか歌わない。
そんなんじゃお金の無駄だよ、と話すも、
ココノちゃんが楽しそうに歌ってるの見ると、何だか私も楽しいんだよねと無邪気な笑顔で言う。
でもカラオケ代は割り勘だし、何だか納得出来なかったので近くのクレープ屋さんに彼女を連れていった。
「ねえ、今日は私のおっごり〜。どれでも選んでいいよ!」
そう言うと、「わー!いいの?苺のやつ選んで良い?」と彼女はキラキラと目を輝かせた。
歩きながら一緒にクレープを食べた。
いつも通りココロとのカラオケは楽しかったし、食べたクレープは美味しかった。
食べ終わって少し雑談をして、「じゃあ明日ね」と言って彼女とは別れた。
笑顔が絶えない私の、いつも通りの日常。
まさかこれがココロとの最後の会話になるなんて思いもしなかった。
その夜の帰り道、いつも通りの道を歩いていると私は不思議な出来事に遭遇した。
一瞬見間違いかと思ったが、自分の目の前に何か変な膜の様なものがあった。
それは揺らめいては閉じ、また揺らめく。
風はないのに一定の間隔で揺らめいていた。
なんだろう、と思い膜を通り過ぎた瞬間。
目の前がパッと瞬時に白くなった気がした。
——————————
目を開けると、目の前には今までとは違う世界が広がっていた。
「やだ…!ここどこ!?怖い!」
何故瞬時に違う世界だと思ったかと言うと、まず空。
視界の先には巨大な「何か」がある。
空間そのものがねじれ、その「何か」に空も地面も光も吸い込まれていく様子が見えた。
それはとてつもなく巨大で、今見ている視界の半分以上を飲み込んでいる。
真っ黒の円の周りは楕円を描くかの様に薄いオレンジ色が発光していた。
空の端が黒く裂け、光がそこに捩じ込まれていく。
星々の光が一直線に引き延ばされ、まるで光の糸となって流れていた。
「星が…消えていくんじゃない。…伸びて、輪郭だけが残ってる…?」
その黒い何かに刻一刻と空が吸い寄せられていき、どんどんこちらに迫ってきている。
黒い物体。
私はそれを、映画で見たことがある。
あれは、そう。ある宇宙飛行士が、色々な惑星に行く話。
そこで、登場したのがブラックホール。
目の前のソレは確実にブラックホールだ。
周囲の空や空間をゆっくりと吸い込み、この星をも飲み込もうとしている。
「ヤバいって!何で!?地球なの!?私どこにいるの!?分からないよ!」
逃げなくては、と思ったが急に1秒が1時間の様に、逆に一瞬の様にも感じる様になった。
時間の感覚が曖昧になり、何が正解なのかも分からない。
どこかへ逃げなくては、と駆け出そうとしたが、
大地がまるで津波の様に波打ち始めて、これ以上進むことが出来なかった。
「怖い、怖いよ!ねえ、誰か…!」
周りを見渡しても誰もいない。
誰もいない所か、どこを見ても人影は感じられなかった。
建物の中も空っぽ、どこからも声がしない。
この世界に私しかいない様に思えて、ゾワゾワと背筋が震える。
誰も助けてくれない。
ただただ、静かに黒い闇が私に向かってくる。
「何で、ココロ…!どこにいるの!?会いたいよ!会いたい…!」
ココロの事を思い出し、涙がボロボロと頬を伝っていく。
もう空と地面、どっちが上で、どっちが下かも不明瞭になっていた。
「ダメ…ねえ!誰か!誰か!!!」
ぐるぐると必死に頭を動かそうとしたが、途端に上から重力が降りてきた様に感じる。
自分自身がどんどん地面に向かって沈んでいく様な重みに耐えきれず、叫んだが叫び声も上手く出せなかった。
地面に立っている感覚もなくなってきた。
ふ、と上を見ると空の中心がひとつの目のように開いた。
その目に、自分の記憶・形・名前・全てが引き込まれていく不思議な感じを覚えた。
途端に不安や、焦り、悲しみも感じなくなり私自身全てが飲み込まれていく。
私は、本当に存在していたのだろうか。自分がいた様な、いなかった様な。
曖昧な感覚のまま、目の前が真っ暗になった。
——————————
彼女が世界線を移動した際、存在波の歪みが強く直ぐに第1課から連絡がきた。
俺は助けに行こうとしたが、セイガさんが俺の腕を掴んで止めた。
「もう間に合わない、行ったら俺たちも助からない。」と力強い声で制止した。
「今なら、まだ」と言った瞬間。
直ぐに第1課より「観測者の存在が確認出来なくなった」と報告があった。
AUPDでは観測者の存在が不明になった場合、世界線の越境は禁止されている。
彼女が飛んだ世界線は、かなり特殊な世界線だった。
その世界は、空は常に深い群青色で星は動かない。
地球程度の質量を持ったその惑星だが、
ブラックホールの近くにある惑星で潮汐安定軌道をしていた。
だが日々ブラックホールの力が強くなっており、その惑星はいずれ飲み込まれる運命だった。
元々その惑星に住んでいた人たちは何十年も前にその惑星を捨て、別の惑星へ移住していた。
彼女が世界線を移動した、その先がその惑星だった。
しかもよりにもよってその惑星がブラックホールに飲み込まれる、その時に飛んでしまった。
「アマギリ、無理だ。もう、彼女は飲み込まれてる。」
上司の判断として、冷静そうにそう言ったセイガさんだがいつもより険しい顔をしている。
俺と同じで、助けられなかった事が悔しいに決まっている。
「…ブラックホールに飲み込まれると…もう彼女は【観測】も…出来ませんよね。」
俯きながらそうセイガさんへ問いかける。
結果は分かりきった事だったが、どうしても感情が追いつかずに言葉に出してしまった。
セイガさんは俺の腕から手を離し、深呼吸をした後言った。
「ああ、観測出来なくなる…存在の消滅だ。彼女は【無】になった。存在の殺人どころじゃない。完全な無だ。」
セイガさんはそれ以上何も言わなかった。
無になってしまったら、観測する事すら出来ない。
観測出来ないと言う事は存在の証明も出来ない。
ORAXはこの「観測出来ない自由」を掲げているが、「観測者がいない世界」では、どうやって己の存在証明をするのだろうか。
助けられなかった彼女は、最後どんな思いをしたのだろうか。
俺は誰に言うでもなく、一人呟いた。
「…観測って、本当にその人が「そこにいた証」なんですね。」
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