第2話 夏の少年

ミーン…ミーン…

蝉の馬鹿みたいな鳴き声、湿っぽい空気、真っ直ぐに突き刺さる直射日光も全部大嫌いだ。

汗で鬱陶しく張り付くワイシャツを少しでも涼めようと、パタパタと仰いでみるが、何一つ清涼感など得られない。

高校からの帰宅途中に買ったアイスを食べながら歩くが、既に溶け始めている。

連日の猛暑で学校に行くのも帰るのもかなり面倒くさい。

自転車で20分もかかる道のりを、こうも暑い中毎日通うのは我ながら勤勉だと思う。

家に近づくと、どんどん山道になっていくので立ち漕ぎをしならがなんとか斜面を登っていく。


だが家に着いた所で、普通の家庭とは違い母親も父親もいない。

父親は俺が子供の頃に蒸発したそうで、それ以降連絡もないし勿論会ってもいない。

母親は、水商売を生業としている。

最近は新しい彼氏も見つけたらしく、殆ど家に帰ってはこない。

たまに着替えを取りに来ている様だが、久しく顔は合わせていない。

母親が帰ってきた後は居間の机の上にある程度まとまった金額の封筒を置いてくれているので、何とか生活は賄っていけている。

以前は祖母も同居しており、俺の面倒を見てくれていたが1年前病気で他界してしまった。


ここは小さな村なので、母親の職業については住民誰もが知っている。

村では小さな出来事でも瞬く間に知れ渡る。

そんな村で育ったが、この村の風潮は昔から大嫌いだ。

小学生の頃も中学生の頃も、母の職業が水商売との事で酷くいじめを受けた。

小さな村なので小中が一貫であり、近くに高校もあるが、いじめをする奴らと一緒の高校に行きたい筈もなく、

村から少し離れた高校へ進学した。


高校生になってからは、そんな環境も抜け出せた事もあって、仲良くしてくれる友達もいる。

自転車で20分、そこからバスに乗継ぐため、登校にかかる時間は1時間にもなる。

それでも、この村の連中と授業を受ける位なら何倍もマシである。


家についたが、やはり母親の姿はない。しかし部屋中には香水の香りが充満していた。

一度帰ってきて香水をつけ、出かけたのであろう。

甘ったるい様な匂いが鼻につき、夏の暑さと相まって吐きそうな匂いだ。

嫌気が差し、そのまま窓という窓を全部開けた。だが窓からはうんざりする様な熱気が押し入ってきて目を顰める。


この場所にいたくない。そう思い玄関を出て、自転車にまたがった。


祖母の死後、幾度となく思う事がある。

自分はこの世界に合っていない。この世界では生きていたくない。


これは自分は他の人間とは違うと言った傲慢な類の話ではない。

ただ、毎日学校へ行く事、食事をし、毎日起きて、寝る事。

そんな些細な日常が何故か自分には合っていないと常々感じてしまっている。

そんな事が毎日続くと自分自身は何かとか、哲学めいた事まで考える様になってしまう。

つまり、結論を言うと最終的には思考の全てが【死】に繋がっていく。


家から自転車を漕いで数分の所に、小さな祠がある。

ここは生前祖母とよく通っていた祠だ。

最初は角ばっていたのだろうか。かなりの年季が入った物なので、今では丸く、小さい祠となっている。

所々苔が生えており祠の前には先日俺がお供えした1輪の花が、夏の熱気にやられて枯れていた。


ここは木が多いので、木陰が出来て幾分涼しい。

祖母は「日本ってね、色んな所に神様がいるんだよ。だから大切にするんだよ」とほぼ毎日この祠に訪れ、

献花し家から持ってきた水で丁寧に掃除をしていた。

この祠が何故ここにあるのかも、何かを祀っているのかも全くわからない。

ただ、親しかった祖母の教えもあり俺も習慣的にこの祠に通っていた。


掃除をしている最中には、祠を祖母代わりの様に今日あった出来事や、愚痴などを言っていた。

その中では今自分が最も感じている「自分はこの世界で浮いている気がする」事や、

「この世界がなんか自分には合ってない」と言う事も繰り返し報告した。

学校は友達とも上手くやっているのに、何故か自分だけ違う所にいる感じがする事。

勿論返答はないが、大好きだった祖母と会話をしている様でなんとなく安心するので毎回ここで色んな感情をぶつけていた。


「え、何だこれ…」


ふと祠の右方向を見ると、生い茂る草木がゆらゆらと揺れていた。

例えると、そこだけ透明なカーテンの様な膜が張られており、その部分だけ揺れている。

一瞬にして蝉のうるさい鳴き声も、気だるい暑さも吹き飛んだ。

明らかに異常な光景を目にし、背筋が凍った。


静寂の中、「近づいてはならない」と瞬時に思った。

だが、同時に「行けば何かが変わる」とも思い、一歩ずつ、俺はその膜に近づいていってしまった。


膜を通った直後、目がチカチカと光った様な気がした。

だが、落ち着いて見渡してみれば左方面にはいつもの祠があり、蝉のうるさい鳴き声も湿っぽい暑さもいつも通りに戻っていた。


「…何だったんだ?」


全くもっていつもと変わらない光景だったので、先ほどの高揚も直ぐに落ち着いた。

透明な膜が見えたのも、きっと暑さのせいで熱中症にでもなったんだろうと思った。

確かに下校からその後、水分もろくにとっていない事に気づき、取り敢えず今日はもう家へ帰ろうと自転車に乗った。



自転車を走行している途中、ふといつもとは違う金属の様な匂いがした。

また、何となく、空気が違う様な、具体的には分からないが「いつもと少し違う」と言った違和感があった。

だがそれらも熱中症のせいか、とあまり気にも留めずに帰路を急いだ。



家に着き玄関を開けると、そこには母親の姿があった。

何週間ぶりか分からない程、母とは合っていない。

今日出る時に、香水の匂いがしていたので帰ってきてはいたんだろうが、何か忘れ物でもあり戻ってきたのだろうか。

正直会っても、何も話さず母親は出かける。俺をいない物の様に、何も気に留めず出ていく。


だが、目の前の母親は俺を見て驚いた様子で

「あれ、アキちゃん、部屋にいたんじゃなかったっけ?出かけてたの?」と、馴れ馴れしく話を始めた。

アキちゃん?いつもの母親は俺の事を名前で呼ぶ事はない。呼んだとすると「ねえ」「おい」「おまえ」と言う始末だ。

「は?外いたけど」と冷たく返す。

親子久々の会話で感動的にでもいけたらいいが、この母親はいじめにも対応せず、家にも帰って来ず、最低限のお金だけ

置いてどこかへ行ってしまう存在だ。こんなにも馴れ馴れしい母親を初めて見た。


「何か今日冷たいわね。ま、いいや。今日夜勤の日だから冷蔵庫にご飯作ってあるから食べてね」

と母親が笑いかける。


今更何だ?何が目的だ?今まで放っておいた罪悪感か何かか?母親の様子に腹の底から怒りがふつふつと湧き出してくる。


「夜勤って…今更何なの?デリヘルで客取る事を夜勤って言う事にした訳?」

自分でも怒りがコントロール出来ず、少し声が震える。


「はあ?何今日のアキちゃんどうしちゃったの?私もう8年も村の近くにある工場で働いてるじゃん。日勤・夜勤の交代制。

今日は夜勤の日だよ?デリヘルって…どうしたの?」


心底不思議そうに俺を見つめる母親に、気持ち悪さが爆発しそうだった。

何も言えず黙っていると、母親は時計を見て、時間がないと言って玄関を後にした。

最後に「アキちゃん、体調悪い?なんか合ったら直ぐ連絡してね。夜勤やめて帰ってくるからね」

と肩をさすられた。


母親が出ていった後も、今起こった出来事が認識出来ず、動く事が出来なかった。


おかしい。何もかも、おかしい。今のは普通の家庭の母親像だ。毎日普通の仕事をして、子供と日常的な会話をする。

それが今、目の前で行われていた。

その事実が変で、異常だ。


玄関から家の中に足を踏み入れると、いつもであれば放置された食器類、干したままの洗濯物、乱雑に置いてある母親の露出が多い服。

そう言った物は全てなくなっており、食器は綺麗に置かれており洗濯物も綺麗に部屋の隅に畳んである。

何より、強烈な香水の匂いは全くせず、夢に描いた様な「普通の家庭」だ。


やはり俺はおかしくなってしまった。

そうとしか考えられない様な光景が目の前に広がっている。

もう今日の出来事が脳内で処理出来ない。

祠で起きた出来事も、母親の話も、じめっとした匂いも、兎に角全てが気持ち悪い。


混乱する中、自室に戻ろうとするも階段が一歩一歩長く感じる。


「お母さん?…え、誰」


自室から出てきた人物に、驚愕して声も出せなかった。

相手も相当驚いた様子で、目を見開いてこちらを指さしてこう言った。


「俺、がいる」


相手がそう発した瞬間、強い立ちくらみとめまいがし、目の前が真っ白になった。

目の前にいる相手は、自分。

自分と同じ姿で、何もかもが自分と同じ。


揺れる頭を支えながら必死に相手の様子を見ると、俺と同様に頭を抱えてうめいていた。

多分、同じ様な症状が相手にも出ている様だ。


気持ち悪い、気持ち悪い、もうこんな所にいたくない。


強くそう感じ、俺はめまいに襲われる中、階段を少しずつ下がり、玄関から外へ飛び出した。


相手を見た瞬間に起こった激しいめまいは、外に出てから直ぐに落ち着いた。

今さっき見たのは間違う筈がなく自分であって、玄関で会った母親の息子、自分、アキ。

じゃあ今いる自分は誰だ。あんな母親、あんな綺麗に整頓された家、あんな自分、知らない。


無我夢中で走りながらも、先ほどの光景がフラッシュバックしては頭痛が起こる。

「わからない、っアキは俺だ…!あいつは、誰だ!」

必死に走っているので息も切れ切れだが、叫ばずにはいられなかった。


その時、急に前から車のランプが見えた。こちらに向かって走行してきている。

山道は1車線しか通れない様な狭い道なので、足を止めて脇道で座り込んだ。

通り過ぎるのを待っていたが、その車は俺の手前で停止し、中から2人の男が降りてきた。


「申し訳ないが、着いてきてくれ」


猛暑の中、汗だくで走っていた俺に、その男はハンカチを差し出した。

は?と言う言葉はもう一人の男が俺に目隠しをした為、飲み込まれた。

「手荒な真似はしないから、落ち着いて」

俺は車の後部座席に座らされ様で、隣には先ほどの男が座っている様だ。


「…あなた達は、何者ですか」

自分で発した言葉は情けながらも、声が震えていた。

俺を誘拐しても何にもならない。何故、どうしてと頭の中は真っ白だった。


「お前と一緒だよ。別の世界線から来たんだよ。」

「別の…世界線って何ですか」


男は少しの間黙ったが、続ける。

「お前が来た世界では、あり得ない話だろう。だが、現実お前は別の世界線からこの世界線にきたトラベラーだ。

見たんだろ、自分が、自分を。」


見た、と言うのは先ほどの自分自身の事だ。

確かに、見た。俺は、俺をみた。


「世界線ってのは簡単に言うと、元はオリジナルライン…生まれた世界線で生きるんだが次元の歪みで

別の世界線に飛ぶ事がある。お前がいた世界線をAとすると今いるのは世界線Bだな。」


俺は高校では物理が得意だったので、確かにマルチバース(多次元宇宙論)の話は聞いた事がある。

色んな世界線があって、自分が行動した、しないで世界線が割れる様な話も本で少しは読んだ事があった。


「おかしいです。そうするとタイムパラドクスが起きるんじゃないですか」

知識を最大限思い出しながら、懸命に伝えるも、相手は少し笑った後にこう言った。


「うーん、違うね。凄く古い発想だ。」


そのまま男は黙ってしまった。

車の走行音だけが聞こえ、目隠ししている為どこへ向かっているのかも分からない。

そもそも、今までの話がちゃんと理解も出来ない。

でも、現実で起こった事も不思議な現象も、今起きている全てが、分からない。



暫く走行すると、車のエンジン音が止まった。

気をつけて降りてね、と優しく先ほどの男が腕を掴みながら案内された。

目隠しをとってもらうと、どこかの倉庫の様な場所だった。

そこには更に男が2人座っていて、俺も空いているパイプ椅子に座らされた。

運転していた男、ハンカチの男、あと2人の男。

一体何者なのかも全く分からないが、不思議と敵意の様な物は全く感じなかった。


「端的に言う。俺らも違う世界線から来た。そしてオリジナルラインに戻る事はない。

ORAXと言う組織だ。ある計画があり、日々活動している。自分の世界線が気に入らないから、自由を求めて集まった組織がある。

お前も俺たちの様に自分の世界がどこかおかしいと思っている。だから、組織に入らないかと話をしに来た。」


確かにそうだ、今まで生きていた中で感じる違和感。

自分がこの世界に合っていない、と言う違和感だ。


「…でも、何で俺なんかを…。」


「お前がいた世界線の後、何千、何億と数えきれない程、世界線は分岐されていく。その数多の世界線の中で

物理学で活躍する未来が半数を占めている。多分既に物理学が好きなんだろう。俺らの中では物理学なんて古い言葉は使わないが、

君にもわかる様に説明している。そして組織はまだ弱い部分がある。だからトラベラーをスカウトする事がある。それが今の状況だ。」


俺が、物理学で活躍?

確かに、物理学は好きだが大学やその先の事なんて、まだ決まっていた訳じゃない。

そもそもこの話自体、おかしい事ばかりじゃないか。


「…納得出来ない、俺は、俺自身に会ってしまったんだ。さっき言ったタイムパラドクスはどう説明する!」


「3次元で物事を考えるのをやめる事だ。理解出来ないのも無理はないが、お前がいたオリジナルラインを仮にAとする、

今お前がいるのは世界線Bだ。ただ、Aのお前とBのお前が出会ってしまった場合、世界線Cが発生する。

タイムパラドクスなどは、この次元の考えでは起きない。新たな世界線が発生するだけだ。」


理解出来ない事だらけだが、この男の妙な迫力に押され、すこし気分が高揚している自分がいた。

自分が世界に合ってない、と思うのももしかしたらこの人たちに会う為だったのかもしれない。

確かに自分は自分と出会ったが、世界がなくなるなんて事にもなってはいない。

今までの自分にも納得していなかったが、もしかしたらこの人達についていけば…



「すみませーん。違法勧誘やめて下さーい」


急に間延びした呑気な声に、全員が倉庫の入り口を見る。

そこには2人の男が立っていた。


倉庫内にいた全員が即座に身構えた。

「AUPDめ、フェイクフェーズシフターを使っていてもここが分かるのか。」

先ほどから話していた男が、焦る様子もなくその2人を見つめた。


「存在波を周囲と同期して、異物判定をすり抜け〜ってヤツね。う〜ん。無理。」

おちゃらけた様子でその男は笑いながら倉庫内に入ってくる。

その後を追う様に若い男性も続ける。


「こちらもそれ相応のセンサーがありますので。彼が世界線を移動した際に、局所的な真空エネルギー密度の乱れは観測しています。」

若い男性は冷静に答えるが、もう一人の男性は更に茶化した様子で

「まあ、今回みたいに世界線が近い場所での移動だと、乱れが極小だし今回みたいにお前らが先に接触しちゃう事もあんだけどね〜。」

と軽く話した。


「あの!あなた達は誰なんですか!」


今まで、話をしていた人たちと、突然入って来た2人。

どちらが敵かも味方なのかも分からないし、何が何だか理解は出来ないけれど今まで話をしてくれた人達の方がまだ幾分信頼が出来る。


「AUPDです。私がアマギリ、彼はセイガさんです。簡単に言うと、次元とか世界線の警察。あなたの保護・オリジナルラインへの移送・残留の歪みや情報ノイズの除去をします。」

「いや、レンちゃん、難しいって。」


ヘラヘラと笑うセイガと言う男に腹が立つ。

アマギリと言う男の話を要約すると、多分こいつらは俺をあのクソみたいな世界に戻す気だ。


「俺は、戻らない。この人達と一緒に行く。」

強く言い切ると、今までヘラヘラ笑っていた男が真剣な眼差しになる。

「個人的には自由意志を尊重してやりてえが、AUPDでは規則上トラベラーは移送する事になってる。」


鋭い目つきに怖気付いてしまった。


その時、ORAXのメンバーの人が「来るなら今だ」と叫び、手を差し出した。


俺はその手を掴もうと必死に差し出したが、それよりも早くアマギリによって止められた。

その瞬間、目の前から先ほどまでいたORAXのメンバーとされる人たちは突然いなくなってしまった。


「あ〜、逃げちゃった。」

セイガがため息をつきながら言う。逃げたと言った割には全然焦ってない様子だ。


「多分ORAX独自の世界線に戻ったみたいですね。でも一応周辺の世界線にはインターセプト起動済みなので、

アキ君周辺の世界線に飛んだら捕まえられますよ。まあそんな馬鹿な事する可能性は低いですが。」

アマギリはそう言って僕の手を離す。


「なんで余計な事をした!」

俺はアマギリを突き飛ばした。

あの世界に戻るより、絶対にあの人たちに着いて行った方が幸せだった筈だ。

「まあまあ」とセイガが俺の肩に手を乗せる。

手を払ったが、気にもしてない様に再度手を乗せられた。


「君は、自分の世界が気にいってない様子だけど、受け入れるべきだよ。」

諭す様に言うこの男に腹がたつ。まるで学校の先生みたいな話し方だ。

「…嫌だ、あんな世界に戻りたいなんて思わない。むしろこの世界の方がマシだったんだ!」


今日の事を思い出す。

母親は水商売もせずしっかりと働いていたし家も綺麗でご飯だって用意されていた。

今までいた元の世界はどうだ。家にもいない母親、誰も用意してくれないご飯。


「うん、それでもダメ。でももっとダメなのはあいつらに着いていく事。あいつらは、自由を求めてる。それは良い。

でも目的を叶える為に今ある全宇宙を消滅させる可能性がある。」

「全宇宙…?」

セイガは両手で丸く円を書く様にジェスチャーをする。

「そう。この丸のぜーんぶが宇宙として、あいつらのせいで全部無くなる可能性がある。」


そんな幼稚な様子に笑ってしまう。

「無くなってもいいじゃないですか、こんな世界。何にも意味ないんだから。」


アマギリがため息をつきながら続ける。

「ダメですよ。それは自分勝手過ぎです。大体今の自分が気に入っていないなら、自分が気に入る様に生きてみたらいいじゃないですか。」


その言葉に息が詰まる。

確かに、今まで自分が変わる為に何か行動を起こしただろうか。

高校は村から遠い場所を選び自分で選択したが、その後は何となく学校へ言って、家の事も何もせずそのままを受け入れている癖に、その反面全てに嫌気が差しているのは事実だ。


「ね〜。考えてみたらやれそうな事いっぱいあるんじゃない。自分が行動したら何か変わるかもよ。」

セイガが優しく言う。


俺は色々と思い当たる節があるので、何も答えられなかった。


「でもね、君が戻る世界線は今までとは少し違うよ。今ここにいる経験と記憶があるから、丸っきし元の世界線には戻れない。

言うなれば世界線Aにいた君は世界線A +に帰る事になる。それは今までと0.0001%違う世界線だ。」


0.0001%の違い?それ位で何が変わるのだろうか。

でも、そんな事しなくても単純に今の記憶を持たない自分に変えればいいのではないだろうか。


「あの、映画みたいに今の自分の記憶を消せばいいんじゃないんですか?」

セイガさんは「あ〜確かにこの時代って記憶とか消す映画多かった気がする〜」と懐かしがっている様子だ。


アマギリは、そんな様子を気にする事もなく言う。

「出来ない。それは今いる君の存在の否定、つまり存在の殺人になる。もしも無理に記憶の統合をすると、情報矛盾が生じる。

その矛盾は世界線に徐々に広がっていく。そうすると、世界線そのものが未来を描けなくなり、時間が停止する可能性がある。

だから、今現在の情報を持った君を世界線A +へ戻すんだよ。」


理解するのに少々時間はかかったが、言っている事は理にかなっている。


「そうですか。分かりました。」

俺はそう言って、2人を見つめる。

元に戻るしかなさそうなのは間違いない。

戻りたくないって言ってもどうせ無駄だろう。だったら、もう何とでもしたら良い。


セイガさんがリストバンドの様な機械を操作して、笑いながら言う。

「いいね〜。戻ったら勉強しっかりやんなよ。」



ーーーーーーーーーーーーーー


気がつくと、あの祠の前に俺は立っていた。

先ほどまで一緒にいた、セイガ、アマギリと言う男達もいない。

辺りを見渡してみるも、いつも通りの世界だった。

透明な膜みたいな場所があった所も今は普通の光景で、試しに膜があった場所を通り抜けてみても何も変わらない。


家に帰り、少し緊張しながら玄関を開けるも、中には誰もいなかった。

乱雑に放置された洗濯物、洗われていない食器。今まで通りの光景だ。

母親の香水の匂いはもうしなくなっていたので家中の窓を閉じる。

どうやらこの世界でも、今までと同じく母親は家には帰ってこないらしい。


うんざりする暑さも、汚い我が家も変わらず全く同じ世界の様に思えるが、あの人達が言っていた様に実際は0.0001%違う世界だそうだ。


あの時は、ORAXと呼ばれるメンバーもいなくなってしまい、戻らざる状況になった為あの2人には納得した様に見せる事に成功したと思う。


ORAXの人たちは言っていた。自由を求めるって。


俺も、同じだ。自由が欲しい。

誰にも観測されず、自由に生きられたらどれ程気持ちが良いのだろうか。


もし失敗して宇宙が無くなったとしても俺の知った事ではない。

元から必要がない世界が無くなった所でどうでも良い。

だが、アマギリが「自分が変われば良い」と言っていたのは同感だ。


ORAXの人が言うにはこの先の未来、俺は物理学で成功する世界線が多数あると言っていた。

だから俺は、これから物理学や多次元宇宙論など、あらゆる勉強をしようと思う。

高校を卒業したら地元を出て奨学金を借り、大学に行く。

母親の事はもういない人だと思おう。将来きっと疎遠になり会う事もなくなるだろう。


そして、いつかORAXのメンバーになって、俺の自由を取り戻そう。


ーーーーーーーーーーーーーー


AUPD第2課部署内にて


「あの子、何か急に素直になりましたね。」

隣に座るセイガさんにそう話しかけると、ふっと笑う。

「ありゃあねえ、腹ん中どす黒いねえ〜。でも残念ながら彼の目論見は達成しないねえ〜。」


そう言って、セイガさんは作成したばかりの事後報告書を空中上に表示させ、ある部分を拡大した。


【世界線β120 座標134.576.766.345. カギラアキを継続的観測対象とし、カギラアキが関わる全世界線の観測、時空の歪みが発生した場合即時除去、ORAXが接触する可能性レベル3として他世界線からの干渉を受けた場合、ランダムな世界線へ飛ばすリフレクターゲートを依頼する。

重要分岐点の世界線においては転送先を第5課収容所内の世界線への直接収容を要望する。】


「うわ。思ったより厳重でした。」

自分ではレベル1か2くらいに予想していたのだが、セイガさんから見た彼はかなりの危険人物と捉えている様だ。

通常、ORAXとトラベラーが少し接触した程度であれば全世界線監視対象にはならないが、危険と判断された場合には捜査官の判断で観測対象に出来る。

上記の報告書を見る限り、ORAX側も接触不可、彼自身から別世界線への移動も一生出来ない。


「あったり前でしょ〜。あの子は危険だね。なんつーか、虎視眈々?って感じしてただろ。」

「…まあ、急に納得した様子で変だなとは思いました。」

先ほどのあの子の姿を思い浮かべる。何か決心した様な、それでいて冷めた目つきをしていた。


「でも、ORAXに入りたい一心で勉強頑張ってさ、そんで将来色んな賞取る世界線も多いんだから。何だか皮肉だねえ〜。」

そう言ってセイガさんは背伸びをし、チョコレートバーを食べ始めた。

お前もいる?と言われたので断ろうと思ったが、いらないですと言ってもいつも無理やり渡してくるので、こう言われたらもう諦めて1つ頂く。


「まあ確かに。あの子の為になってるから結果大成功ですよね。」

「な〜。」


お互い色々考える様にチョコレートバーを齧りながら呟いた。


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