あの場所に

氷都と緋と卑と

7月7日

 7月7日、数年前まではここからが夏本番だと思われていた。最近になっては、異常気象などの影響で年々気温が上がるのが早くなっていた。しかし、世の中はどれだけ気温が変わったとしても季節ごとの行事を行っている。地域によっては、もう祭りが始まっている時期である。


 ある場所に家族全員で、電車に揺られながらやってきた。時間は午後6時半。ようやく日が沈み、暗くなってくる頃だ。電車を降り、目的の場所に行くために山の中にある小道を歩いて行く。


「おとーさん、はやく、はやく!」

「父さん、はやくしてよね」

「はいはい、二人とも急かさないでくれよ」


 少し開けた場所に出ると、海が一望できた。そしてその先に見えるのは、白い大理石でできた墓石だった。ここなら、彼女が特等席で星を見られる。


 今日は、七夕。そして、僕たち、家族にとってはとても重要な日だ。


「今年もきたよ。詩織」


 事前に短冊に願い事を書いてきた。といっても、ある日を境に僕の願い事はひとつだけ。今年こそ叶えばいいなと思う。でも、叶うことはないことは僕自身が一番わかっている。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


 小学校から高校まで僕は、平凡な容姿で平凡な成績だった。その行動がよかったのか、特にいじめられることなく学生生活を送ることができた。大学生になっても、こんな生活ができればいいなぁと考えていた。でも……


「私は、天野詩織あまのしおりです。あなたは?」

「僕は、星街隆彦ほしまちたかひこです。よろしくお願いします。」


 偶然、同じ講義を受けていた詩織とペアワークをすることになった。

 この出会いが、僕を、いや僕たちを変えていった。


 あるときは、

「星街さん、この後の講義一緒に行きませんか?」

「もちろん」


 別のときは、

「天野さん、面白い本を見つけたんです。」

「どんな本ですか?」


 ペアワークの講義で趣味が合うことに気付き、講義の一環だけで終わってしまうはずの関係が、彼女とは大学の中でよく話し、彼女について多くのことを知っていった。一緒に笑い合ったり、驚いたりしていくなかで僕は彼女に惹かれていたんだと思う。


 こうして、過ごしている日に突然、

「隆彦さん、明日予定は何かありませんか?」

「特に何もないよ。何か予定がないかを探しているとこだった」

「では、あした私の思い出の場所に一緒に来てくれませんか?」

「いいよ」


 そうして、七夕の日に訪れたのは、とにかく海を一望できる場所だった。そこの星空は、他の場所で見たどの星空よりも綺麗だった。彼女にとってここがとても大事な場所というのはすぐにわかった。なぜ、彼女は僕にこんな素晴らしい場所を教えてくれたのだろうか?そう思い聞いてみると、


「私は、地元に居るとき家柄のこともあったかもしれませんが、同級生からひどい仕打ちを受けることが多かったのです。」


「隆彦さんは、私にとって、とてもいい人で一緒に過ごしていても苦ではありませんでした。ですから、私はこの場所をあなたと共有したかったのです。」


 彼女の過去はとても悲惨なものだった。こうやって誰かにこの場所を教えるのも勇気がいるはずだ。でも、こんな風にこの場所に来ることができたのは嬉しかった。


 そして、


「また来年も来よう。二人で、この場所に」

「はい」


 この間に僕たちの関係も友達からひとつ上になった。そうして、毎年決まった日に二人でこの場所に足を運んで、

「僕と、結婚してくれませんか?」


 二人で来た、二人にとって思い出の場所で僕は、プロポーズをした。

 これまでの人生で、こんなにも緊張したことはない。そうして、返事を待っていると

「喜んで」


 そうして、僕たちは結婚した。二人の子供も恵まれて、家族四人で思い出の場所に行った。家族としての日常を過ごし、7月7日にはあの場所に行く。このままずっと幸せな日々が続くと思っていた。


 けど……


「隆彦さん、ごめんなさい。あなたとあの子達を残していくことになって…。」

「大丈夫だよ、詩織。あの子達には僕と君がいつもそばにいるじゃないか。そうだろう?」


 詩織が重い病気になり、入院することになった。入院生活をしていくなかで、詩織の病状はどんどん悪化していた。


 見舞いに病院を訪れると、僕たちに心配を掛けさせまいと気丈に振る舞う詩織がいた。しかし、日に日に弱っていく詩織を見るのはつらかった。医者からは、もう長くはないと言われた。そうだとしても、彼女の夫として絶対に諦めるわけにはいかなかった。


「隆彦さん、お願いがあります。」

「なんだい?」


 7月5日、僕は詩織の病室へ見舞いに来ていた。花瓶の花を入れ替えていると、ふと詩織から声をかけられた。


「あの日に、あの場所に必ずあの子達を連れて行ってあげてください。あそこは、私にとってもあなたにとっても思い出の場所です。あの子達にはあの景色を忘れてほしくないですから。」

「わかった、毎年必ず連れていくよ。」


 この会話が、詩織とした最後の会話になってしまうとは思っていなかった。


 7月7日夜、子供たちを義両親のもとに預け、急いで詩織がいる病院に向かった。

 そのときにはもう遅かった。


 医者から伝えられたのは、僕が詩織のために撮った写真が送られてきた後に安心したのか静かに息を引き取ったそうだ。義両親に詩織が息を引き取ったことを伝え終わり、看護師から手渡された詩織の遺書を読んだ。


「はは、…神様はいたずら上手だな。」


 そのとき、感じないようにしていた悲しみが襲ってきた。遺書は書き途中だったのか、最後まで綴られていなかった。この文章を見て私は涙が抑えきれなくなり、大人げ無く泣いてしまった。


 悔しかった。最後に……何を伝えたかったかもわからずに、別れて……しまった…


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「おとーさん、だいじょーぶ?」

「うん、大丈夫だよ。心配かけたね、そら。」

「でも、今年もみんなで来ることができてよかったですね。…お母さん、今年もきたよ」

「きたよー」


 ふいにかけられた息子の空の声で沈んでいた気持ちから無理やり立ち直り、心配をかけさせないようにした。娘の星羅せいらはそのことに気づいていそうだが何も声をかけることはなかった。そして、二人が声を上げて、詩織に挨拶をした。

 二人の苗字は詩織の方から天野を取った。二人の名前も、一緒に考えた。これからもここにきて、いろんな会話をするだろう。詩織も聞いていたらいいな。


 今年の天の川は、いつもよりもきれいな気がした。まるで、織姫と彦星が何年も会えなかった分を埋めるかのように、きれいに空に広がっていた。あなたたちはいいよな…。毎年、一度は会うことができるんだから……。

 少し、心の中で恨み節が出てしまったとき…


『いつもありがとう。隆彦さん』


 誰かが、そう僕に言った気がした。


 …本当に、神様はいたずら上手だ。


 その声が誰のものなのか僕がわからないとでも思っているのか。まるで、小説や物語に出てくる七夕の奇跡だ。この声は届かないかもしれない。でも、今言わなくていつ言うんだ。


「どういたしまして、詩織」


 また来年も、この場所で会えたらいいな…



~~~~~~~~~~~~~~~~

 数年後


 母さんの墓石には、父さんの名前も刻まれていた。

「星羅ねえ、来てたんだ」

「当たり前でしょ、空。私たち家族にとっては、何よりも大事な場所って父さんも言っていたじゃない。」


 俺たちは成長した。それぞれが家庭を持ち、穏やかな日常を過ごしていた。毎年7月7日は、この場所に来ている。何かの思し召しか、父さんと母さんの命日が同じ日なんて普通ならあり得ないと思ってしまうような奇跡が起こっていた。


「それはそうだけど、すごく忙しいって聞いていたから来れないんじゃないかって思っていたんだよ。俺は子どもに、少し友達と飲みに行くって伝えてここに来てるんだから。」

「あなた、まだ家族にこの場所伝えてないの?」

「一応、妻にはあの場所に行ってくるって伝えているよ。」

「私と同じ事言ってるじゃない……。あの場所にって。」



「どうせ、来年も、その次の年も同じ事で話してるよ、星羅ねえ。」

「そうね、父さん、お母さん、今年も来ましたよ……。」


「「この場所に。」」

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