一手の矢、二つの弦音
@akatuki-360
第1話 出会い
春から夏に向かっていく、そんな季節。紫陽花が咲き誇る頃。
鈍色の泣き出した空に憂鬱を飛ばすように弦の音が響く。木の葉に響く雨音に研ぎ澄まされた感覚は違和感を覚えた。
弓道着に乗馬袴を着込んだ少年、朱都夏郁は、傘を持ち違和感のある木陰に近づく。
この雨の中木陰で座り込んでいる淡青色の髪に黄褐色の瞳を持った少女に声をかける。
「こんなところで何してるんだ。濡れるだろ」
「……誰ですか。いずれにせよあなたには関係ないでしょう」
「そうだな。俺には関係ない。だから見ず知らずのお前にこれから俺がすることも俺がしたいからすることだ」
そういい、持っていた傘を押し付ける夏郁。少女の浮かべる警戒の色を気にせずさっと押付けて離れる。そうすれば、拒絶させることもないだろう。
「じゃあな。風邪ひく前に帰れよ」
踵を返して戻っていく夏郁に控えめな声がしたが、雨音にかき消されて届かなかった。
傘を押し付けて数分後、夏郁は練習を止め考えに耽っていた。
どうせもう関わりもないし、傘を返してもらおうなんて考えもいない。人助けと言うには少々強引だったのだが。
「まぁ、これっきりだろうしな」
それにしても既視感のある髪色だったと思う夏郁。記憶の中にうっすらとある。
「考えても仕方ないよなぁ」
徐々に雨足を強めて行く空に思考を預けて、的に向かうのだった。
数十分後。
薄暗くなってきた外を眺める夏郁。雨という天気も好きな夏郁は内心テンションを上げながら弓を引いている。
晴れの日と雨の日では弓の覗かせる顔は少し違う。湿気と言う要素がかなりの割合を占めるのだが、それは現実的なものであって、浪漫がないと夏郁は思う。
「……」
雨が木々の葉を打つ音。微かに香る土の匂い。それらがかもし出す雰囲気が夏郁の射に静謐さを産む要因でもある。
「っ」
短く吐かれた息の後に響くややくぐもった凛々しい音。弦音と呼ばれる音は夏郁の耳に自身の象徴として響く。
自分以外の誰にも奏でることの出来ない音。射手の数だけ弦音はある。
夏郁は自分の作る弦音が好きだ。それこそ、誰もいない弓道場で弓を引くくらいには。
「よし」
同じ音は絶対になることは無い。毎回同じに聞こえて少し違う。夏郁はそう感じるのだ。
放った矢は正確に的をうち抜いている。使った四本の矢、全てが。所謂皆中というもの。
片付ける前最後の射だったのもあり、安土を整備すれば片付けは終わりなのだ。
「帰るか」
依然として雨足は強いものの、予備の傘を持ってきている。濡れることはないので、風邪をひく心配もない。
「家も片付けないとなぁ」
散らかっている自分の家を思い浮かべながら雨空に歩を進める夏郁だった。
翌日。登校した夏郁は教室の雰囲気に違和感を覚える。
「おはよ、夏郁」
「あぁ。おはよう」
気さくに話しかけてきたのは夏郁の数少ない友人である篠澤紘斗。クラスのムードメーカーであり、夏郁にも声をかけてくれた人間の一人だ。
「転校生だってよ」
「へぇ。こんな時期に?」
「こんな時期に」
どこかソワソワとした雰囲気を作っているクラスメイト達はどのような人物なのか気にしているようだ。会話に耳を傾けてみるとイケメンかなや美人だったらいいななど様々な憶測が飛び交っていた。
「夏郁は気にならないのか?」
「別に。誰が来ても関係ないし」
「お前らしいよな」
そういえば、昨日あそこにいた少女はなんだったのだろうか。夏郁の通う学校の制服を着ていたが、見たことがない。もしかしたら、先輩の中にいる可能性もあるが、それなら何かしらの接触があるはずだ。
夏郁の思考を止めさせたのは始業のチャイムだった。慌ただしく席に着くクラスメイト達は担任が来るのを待っているようだ。
最大の期待を一身に背負う担任が教室に入る。
「お前たちも知ってのことだろうが、今日は転校生を紹介する。入っていいぞ」
扉をくぐって教室に入ってきた人物に夏郁は目を見開く。黒板の前に立った淡青色の髪をした少女は黒板に綺麗な文字を書く。
「梶原天舞音です。これからよろしくお願いしますね」
昨日見た雰囲気とはまるで違う、人好きするような笑顔を見せている。
昨日夏郁が見た天舞音は他人を拒絶するような表情と口調だったのだ。
「席は朱都の隣だ」
担任の口から飛び出すまたも衝撃的な一言。席自体は離れているものの、隣であることには変わりない。
確実に休み時間に質問攻めにあうだろう天舞音に巻き込まれたくはなかった
「朱都さん。よろしくお願いしますね」
「……ああ。よろしくな」
作り物めいた笑顔から夏郁は目を逸らす。彼女の瞳からは柔和は光を宿しながら、他人を寄せ付けないような雰囲気を纏っている。ごく僅かに、ではあるが。
目を逸らした夏郁の横顔にさっきとは違ったニュアンスの笑顔が一瞬むくのだが、顔を背けた夏郁はもちろん、天舞音に質問しようと周りに集まって来ていた生徒達も気付かなかった。
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