第10話 陰キャふじ! 新幹線その4

      ******


「おい、谷藤! 寝てんじゃねーよ」

 もう母親の声並みに慣れてしまった今野の声で俺は目を覚ました。俺はゆっくり目を開き、落ち着いて答えてやった。


「今野、おはよう! 富士山が綺麗で清々しいね。でも、俺の心はこの空のようにマジ超ブルーなんだぜ」

 寝起きの奴がこんなことを言ったら不気味に思われるだろうが、今の俺は何も気にならない。今回こそは余裕しかなかった。


「な、なに言ってんだよ谷藤、超ブルーなのはこっちだってーの」

 そう、お前は紺のパンツを履いてるんだよな。俺はめちゃくちゃ落ち着いていた。一方の今野は心なしか動揺しているように見えた。

 

 さあ来い今野、人類最高峰の返しを見せてやるぜ!


「た、谷藤、よく聞けよ」

 さあ来い!


     名にし負わば 

     いざこと問わん 

     陰キャふじ 

     なのしたごろも 

     何の色かと

 

 ん!? なんか今回違うぞ?! なぜか急に今野が短歌を詠み出した。


「なっ、なんて??」

 余裕から一転、俺は動揺してしまった。パンツの色以外の質問をされる可能性など全く考えていなかった。ど、どうしよう??


「だからよく聞けって言ったろーが。

『陰キャって名前なんだから色々隠してんだろ、パンツの色と一緒に全部吐いちまえよ』、

てな意味だよ。まあつまり、テメェのパンツの色は何だっつってんだよ!」

 あっ、やっぱそれっすよね。良かった! パンツの色を聞かれて良かったと思う人間は今の俺と中島先輩ぐらいだろう。


 さらに偶然だかなんだかわからないが、短歌に短歌で返すという最高の流れもできた。俺の動揺はおさまった。ではいくぞ! 俺はゆっくりと立ち上がり、そして、吟じた。さあ、驚け今野!


       秘してこそ 

      下のこころも 

      勝りけれ

      桜待つ日の 

      気に似たるかも

 

 よしっ、完璧だ! やりきったぞ俺は。もうどんな反応でも俺は受け入れる。心は憂鬱ではなく、窓の外の青空のように晴々としていた。


「テ、テメェ、何言ってんだよ?」

 期待通り今野が動揺する。


「何だよ、今野は人の話もちゃんと聞けないのかよ。いいか、今度こそよーく聞けよ。

『隠すからこそ、パンツの輝きとか誰かへの想いも強くなっていくんだ。桜が早く咲かないかなぁとか思う時の気持ちに似てるだろ』

 てな意味だよ。つーまーり、そういうものは隠すからこそ美しいんだぜ。こんな失礼なことを平気で聞いてくるお子ちゃまな今野ちゃんには一生わからないかもしれないけどな」

 どうだ! クラス1の陰キャが陽キャ女子を完全に子供扱いしてやったぜ! 

 

 俺の完璧な返しに呆然としている今野をよそに車内がざわめき出す。


「谷藤すげぇ!」

「やるじゃん谷藤!」

 みんな口々に言う。今度こそ、今度こそ夢ではなかった。


「あんなの速攻で思いつくとか、実は天才だったのか?」

「えっ、センスありすぎない?」

「いとをかしー、日本の心をまさに表現されたしー」

 

 寝ていた他の生徒も騒ぎに気付いて目を覚ました。

「あれ? 何があったの?」

「今野が罰ゲームで谷藤にパンツの色聞いたんだけど、谷藤が見事に撃退したんだよ」

「何だよ、やっぱり失礼なやつらだな。いい気味だ。谷藤良くやったな」

 

 普段から陽キャ女子グループを快く思ってない奴らも一定数いる。彼女らの悪ふざけの罰ゲームの被害者も多数いる。そいつらにしてみれば胸のすくような快挙かもしれない。


 ほんの一週間前には絶対にありえなかった状況に俺は興奮を抑えきれずにいた。俺が夢見ていたシーンがまさに現実となった。体が高揚感に包まれる。自分の力でやり遂げたぞ、俺は。


 でも、ありがとう塾長、ありがとう神崎先輩、そしてほんのちょっと中島先輩も。みんながいなかったらこの成功はなかった。これは適塾の勝利でもあるんだ。


「何だよ、谷藤のくせに生意気じゃね」

「調子に乗ってんじゃねーよ」

 陽キャ女子グループがぶつぶつ悪態をついてくるが、今の俺には全く響かない。俺はお前らほど生意気でもないし、調子にも乗ってないからな。人のことを馬鹿にしてこんな質問をしてくる奴らに何を言われても、俺はもう何も気にしない。口には出さなかったがそう思った。


 一部を除いて賛美の声が続く中、俺はドヤ顔で隣の席の中村を見る。どうだ中村、悔しいだろ!


「俺しか気づいてなかったけど、谷藤は昔から面白かったからな。ついにみんなも気づいてしまったか。オレだけの谷藤じゃなくなったのは少し寂しいけど、良くやったな谷藤! オレは誇らしいよ」

 何の悔しさも見せず、ただただ嬉しそうだった。

 

 そういえば、以前塾長が言っていた。「谷藤、辛い時とか苦しい時に同情してくれるからって本当の友人とは限らないんだぞ。どんな人でも弱ってる人間にはだいたい優しくできるんだ。でも、嫌いな人が成功した時って、普通喜べないだろ。だからこそ、自分が成功した時に心から喜んでくれる人っていうのが本当の友人なんだよ」

 

 誰かが結婚するたびにキィーキィー言って悔しがっている塾長の言葉なのでこの時は話半分に聞いていたが、今、実感を伴って俺の中に蘇ってきた。


 ごめん中村、やっぱり、やっぱりお前は最高の親友だ! 俺は中村のことを誤解していたのかもしれない。数少ない友人のことすら自分は理解しようともしてなかったのかと思うと恥ずかしくなってくる。人と向き合う大切さを再び学んだ気がした。


 もう少し中村との友情に浸っていたかったが、とりあえずもう一人、今向き合わなければならない人がいる。俺はすぐ近くの今野に目を向けた。今野はまだ顔を耳まで真っ赤にして俯いていた。さあどう来る? 泣くのか、文句を言ってくるのか、それとも……。どんな反応をしても受け止めるだけだ。さあ来い今野ぉ!


「た、谷藤、さっきの短歌って、もしかして……」

 泣くでも文句を言うでもなく今野は予想外の反応をした。元気のない声で歯切れ悪くぶつぶつ言う。


「ま、まあいいや、わ、悪かったよ谷藤、気持ちよく寝てたのにな。ごめんね」

 なんかやけに素直だ。本当にこれは今野なのか。また演技なのかとも思ったがそうとも思えない。拍子抜けした俺は無意識に謝っていた。


「ちょっと言いすぎたかもしれない、こっちこそごめん」


「いや、こっちが悪いんだから……」

 今野はトボトボと元気なく陽キャ女子グループの方に帰って行った。


「谷藤なんかに何言われても気にすんなよ」

「あいつマジうぜーな」

 陽キャ女子たちが今野を慰めてる声が聞こえた。あいつら、いちいち慰めるのにも俺の悪口かよ。ちょっと腹が立った。


「でも、こっちが悪くね?」

 意外なことに今野が俺を庇うようなことを言っているのが聞こえた。なんか変だぞあいつ。今野の予想外の言動に少し戸惑った。


 もっと言い返してくれば良かったのに、とも思った。言い返してくれば良かった? そう思った自分が意外だった。でも今、俺はもう少し今野と真正面から向き合いたいと思っていた。まだ賞賛は続いていたが、俺は勝利の栄光に浸るより、さっきの今野の顔を頭に浮かべていた。


「なあ、谷藤。さっきの短歌って、お前もしかして……。いやまさかな、いや何でもない」

 何か奥歯にものが詰まったような言い方で中村が喋りかけてきた。


「何だよ、はっきり言えよ」


「い、いや、お前今野さんの下の名前知ってるか?」

 中村が妙な質問をしてきた。


「何だよ急に、たしか、周りの女子からノンコって呼ばれてるから、のりことかじゃないのか?」

 俺はクラスメイトの下の名前なんか一切関心がなかったが、教室で陽キャ女子グループが今野に向かってノンコと呼びかけているのを覚えていた。


「あれ? お前中二から今野さんと一緒のクラスだよな。それなのに……。でもまあオレの知りたいことは分かったからいいや」


「何だよ。気持ち悪いな」

 何かを隠していそうな中村の態度が気になった。


「い、いや、それにしてもさっきの返しすげえな。よくあんなのすぐに思いついたな。オレも国語というか勉強全般得意だけど、こんな咄嗟に思いつかないよ。係り結びまでちゃんとしてたし」

 あんなの瞬間で返答する奴がいたら俺もそう思っていただろう。しかし、一回聞いただけの短歌の係り結びにまで気づく中村もすごい。


「い、いや塾でやってたからな」

 ちょっと動揺して返す。


「パンツの色を聞かれた時の返しをか? どんな塾だよ!」

 そうです。これが変態塾の力です。咄嗟に言いかけたが、かろうじて止まった。


 俺は適塾のことは親友の中村も含めてほとんど他の人には話していない。せっかくの学校外の居場所に同じ学校の誰かにいてほしくないからだ。幸い今は他の学年も含めてうちの中学校の生徒は俺しかいない。だが、もし中村が入ってきたら、俺とは違い人望のある中村なので他の誰かも入ってきてしまうだろう。


「んなわけねーだろ、どんな塾だよ。教わったのは短歌だよ短歌」

 まあ嘘はついていない。


「そりゃそーだよな、冗談冗談。それにしても瞬間であの返しを思いつくのは正直びっくりしたぞ。あと驚いたといえば今野さんもだな。急に短歌で質問とは。『陰キャふじ』はちょっと面白かった。ちょうど富士山見えてるし、谷藤の藤とかけたんだろうな」


「中村までそんなこと言うなよ! 陰キャは俺の名前でもあだ名でもないからな! でもそれって『掛け言葉』ってやつか」

 親友にまで馬鹿にされたようで心外だったが、俺は適塾で習った短歌の知識を思い出した。


「よく知ってるな。あんなに国語、というか勉強全部嫌いなくせに、なんか谷藤じゃないみたいだな」

 勉強のことで中村に初めて褒められた気がする。意外と悪くない。まあ塾長並みに知識がある中村は本当にすごいが。


「俺の返しにも掛け言葉二つ入ってたんだぜ、気がついたか?」

 俺は少し得意げに中村に聞く。


「えっ、二つも? 一つはこころもで心と衣かな、もう一つは何だ?」

 さすが中村だ、一つ目はすぐ答えた。


「『気に似たるかも』の、気に、桜の樹の意味も込めてみたんだ」

 意図せずに掛け言葉になっていたのだが、俺は狙って入れたかのように言った。


「あーなるほど、花咲く前の桜の樹って確かになんかすごいエネルギー隠してそうだもんな。すげぇな。お前本当に谷藤か? なんか生まれ変わったんじゃないか?」

 中村が少し大袈裟に反応する。


「あまり僕をみくびらないでもらえますか」

 俺は神崎先輩の真似をして言う。まあ4回も繰り返したからだけどな。俺は口には出さず心の中で思った。

 

 俺に勉強面でマウントを取られたような形になり少し悔しいのか中村が俺の知らない知識を聞いてきた。

「じゃあ、本歌取りって知ってるか?」


「知らない、何の鳥だよ?」


「違う違う、この前授業でやっただろ古今和歌集、その中の一首、


      名にし負はば 

      いざ言問はむ 

      都鳥みやこどり 

      わが思ふ人は 

      ありやなしやと


『みやこっていう名前がついているならば私が都に残してきた大切な人のことも知っているのだろう、さあ都鳥よ、答えておくれ、その人が元気なのかそうじゃないのか』

てな意味だな。遠く離れた恋人のことを思って歌ったのかな。で、元の歌をもじって新しい歌を作るのが『本歌取り』ってやつだ。今野さんの短歌ってこれが元だと思うよ。成績いいのは知ってたけど流石だな。内容は下品で元の歌台無しだけどね」


 なるほど、パクリじゃなくて、本歌取りっていうのか。じゃあ、あの滑り倒した「心配してください、履いてませんよ!」も本歌取りと言ってもいいのかな。古文の知識なんてほんの少し前の俺だったらつまらなすぎて眠くなっていたと思うが、今の俺は興味深く聞いている。人ってこんなにも変わるんだな。


 今回はこの後も眠くならなかった。前回の今野が言っていた通り、やはり最後だったのだろう。最後に大成功を収めた俺は大満足だった。そして俺たちは無事に東京駅に着いた。


      ******

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る