桜が狂い咲きしている

数田朗

プロローグ

 桜が狂い咲きしている。校舎前の桜が。季節外れに咲き誇った薄紅色の見事な景色に、クラスメイトたちが持ってきてはいけないはずのスマートフォンで写真を貪るように撮影している。

 夏休み明け、制服はカッターシャツ、授業中には下敷きで顔を仰がないとやってられないこの季節に、見事に咲き誇った桜の花。

「すげぇ」

「ほんとに咲くんだ」

 クラスメイトがいつになくはしゃいだ声をあげている。だけど僕は、クラスメイトたちのその喧騒に入っていくことができない。入ることを許されていないから。だから僕は、桜を横目でちらりと一瞥しただけで、鞄から文庫本を取り出して静かに読み始めた。

 机にだんと手が置かれて誰かが言う。

「こんなあちぃのに、なんで今咲くんだろうな」

 その声が僕に向けられたものでないことがすぐに分かったので、無言でページに視線を落とし続ける。

「毎年この時期に咲いているらしいよ」

 そんな返事が聞こえる。

 窓が開けられているせいで外気が吹き込んでとても暑い。桜なんて、どうでもいい。窓を閉めて欲しい。そう思うけど、もちろんそんなことは口に出さない。暑さに耐えきれなくなった僕は、文庫本を手に立ち上がると教室を出た。去り際、こんな声が耳に残った。

「ほんとおかしいよな」

 それは、桜に向けられた言葉だったのだろうか?

 僕は人通りのない廊下に着くと、羞恥に激しく脈打つ心臓をどうにか押さえ込もうとその場にしゃがみこんだ。

 ――僕はおかしくない。おかしいのは僕じゃないんだ。

 視界の端にトイレが見えた。こんなところにトイレがあったのか。僕はあることを思いつきトイレに入った。右側に個室、左側に小便器。そして正面の窓には、満開の桜。

 とても綺麗だった。

 夏の抜けるような青空、伸びる入道雲の前に咲き誇る、美しい桜色の花びらたち。

「きれいだなあ」

 思わず口からこぼれ出た。それと同時に目に涙が滲んだ。僕だって本当は、クラスメイトたちと一緒に和気藹々と桜を眺めたかった。一緒に写真を撮って出来栄えを比較したり、なぜ今桜が咲いたのか解き明かしてみたりしたかった。

 でも、それはできないんだ。

 僕は涙を拭うと、ポケットからスマートフォンを取り出して桜に向けた。

 シャッター音と共に写真が撮影される。場所が良いからか、とびきり綺麗な写真が撮れた。待ち受けにしよう、そう思った。

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