第2話 救済と壊れた微笑み

——ピピッ、ピピッ、ピピッ。


【支配終了まで:残り12秒】


「……直哉くん、命令、ないの?」


まだ抱きついたままの白川澪が、顔を上げた。

頬には涙の跡。けれどその唇には、壊れたような微笑みが張り付いている。


「なぁ……白川。お前、なんでそんな——」


【支配終了:完了】


「あっ……あれ?」


ふっと、彼女の身体から力が抜けた。

目の焦点がずれて、しばらく口を開けたまま瞬きを繰り返す。


「……あれ? 私……何してたんだっけ?」


「……いや、なんでもない。お前、寝ぼけてたぞ」


「そっか。……そっかぁ……」


澪は静かに笑った。

けれどその笑顔には、どこか“期待を裏切られた子ども”のような哀しみがあった。


---


次の日、俺は妙な胸騒ぎで登校した。

だが澪はいつものように笑っていた。昨日のことなどなかったかのように。


ただ——


「ねぇ直哉くん。放課後、ちょっとだけ付き合ってくれる?」


その声が、どこか“試してくる”ような響きを持っていたのが、気になった。


---


そして放課後。

俺は再び、昨日と同じ教室にいた。


「澪……何か、言いたいことがあるんだろ?」


「……うん。あるよ。……いっぱい、ある」


彼女は机に座ったまま、自分のスカートの裾を指で弄びながら、ぽつりと呟いた。


「昨日の夜、急に思い出したの。……直哉くんの命令が……夢の中でずっと、繰り返されてた」


「っ……」


「最初は怖かった。でもね……夢の中の私は、すっごく幸せそうだった」


「白川……」


「……私、壊れてるのかな?」


その声は、とても静かだった。

だけど、その言葉の向こうには、助けを求める叫びがあった。


---


「……白川、今から話すことは命令じゃない。だけど、本音を聞かせてくれ」


「……うん」


「お前、誰にも助けを求めたこと、ないだろ?」


「……うん。ずっと、そうだった。

家では“いい子”でいなきゃいけなくて。

誰かに甘えたら、“弱さ”だって、叱られて——

だから、誰かに命令されて、動く方が楽だったんだよ」


彼女は微笑んだ。

けれどその笑みは、涙と一緒に崩れていった。


---


「じゃあ……俺が命令する。これからは、お前が“自分の言葉”で生きろ」


「……そんなの、無理だよ」


「無理でもいい。俺が何度でも“洗脳してやる”よ」


「っ——」


彼女の目が、大きく見開かれる。


「洗脳ってのは、本当は便利な言葉なんだ。“君はそれでいい”って、誰かに肯定してもらえる魔法だから」


「……バカだね、直哉くんは……」


澪は泣きながら、俺の胸にしがみついてきた。


「でも、そういうバカが一番好きだよ……」


---


——それが、白川澪の“救済”の始まりだった。


だが俺はまだ知らなかった。

この瞬間から彼女が“自分の意志で”俺に依存して執着し、そして——

他の誰にも渡さない狂気の恋へ進みはじめていることを。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る