尋問

 消毒液の匂いと、規則的な振動で目を覚ます。

 どこかで見たような――そう、病院ドラマでよくある「口元にマスクを当てられた患者」のシーンが頭に浮かぶが、そんな装置はついていない。


 代わりに目に入ったのは、見慣れない――明らかに“日本”では存在しない機械類だった。

 光の輪のようなものを回転させながら、静かに宙に浮いている。

 規則的な波形と数字を刻むあたり、形が違うだけで機能は似通っているのかもしれない


 だがやはりここは、異世界なのだろう。


「……」


 倦怠感、疲労感それ以上に眠い。

 全身が安堵に包まれていた。

「もういい」と言われたような、緊張が溶けるような感覚。

 頭痛を感じることも無く、身体の節々に違和感があるがそれ以外に問題は無さそうだ。


 そのまま、再び眠りに落ちる。

 穏やかな眠りへ落ちていく


 ……目覚めと眠りを何度繰り返しただろう。

 体感で、少なくとも一週間ほどは経った気がする。

 目を開ければ誰かが傍にいて、驚いたような息を漏らして、だがこちらの様子を見ては安堵し、静かに布団をかけ直してくれる。

 優しさが、かえって申し訳ない。


 結局は俺がまともに病人食を腹に入れて、会話ができるまでかなり時間がかかったと思う


「すみません、何日も寝てばかりで……」


 声をかけると、そばにいた男が微笑んだ。


「構いませんよ。むしろ、あなたが目覚めたこと自体が奇跡です。状況としては、かなり危機的でしたから」


 落ち着いた口調だった。背が高く、鍛え抜かれた体格の男だった。灰がかった濃い茶の短髪に、精悍な顔立ち。服装は質素で動きやすそうだが、袖口に織り込まれた紋様が只者でない雰囲気を漂わせていた。

 

 年齢はよくわからないが、知的で理性的な雰囲気を纏っている。



「すみません……俺、名前が思い出せなくて……」


「……なるほど。呼名こめいもまだ無理そうですね」


 彼はそう言って一つ頷いた。

 呼名こめい呼名よびなのことだろうか?

 妙に納得したような顔だった。


(別の世界から来たなんて、言っていいのか?)


 身体を少し起こしながら、俺は考える。

 異世界に来た主人公が拷問される――そんな展開は、小説投稿サイトでいくつか見た。

 現実ならもっと慎重になるべきだ。

 人を信じたい。でも信じるには、あまりに根拠がない。


 それでも、この環境の整った病室や、こうして治療してくれる人たちの存在が、恐怖を少しだけ和らげてくれていた。


「では、まずは私から名乗りましょうか」


 男は真っ直ぐこちらを見て言った。


「私は【修行者】。本名はありますが、基本的にこの世界では“呼名”を使います」


 そして彼は微笑んだ。


「あなたは、おそらく別の世界から“迷い込んだ”存在……。ならば、仮に【迷い人】と呼ぶことにしましょう」


「……は?」


 思わず聞き返す。

 まるで全てを見透かしていたかのような口ぶりだった。


(……全部バレてるじゃねーか!)


 突っ込みそうになったが、声には出さなかった。

 「えっと……」


 言葉にする前に、頭の中で疑問を並べ立てる。ここはどこか、自分はなぜここにいるのか、――考えようとすればするほど、疑問は雪崩のように押し寄せてくる。


 そんな中、対面に座る男――修行者は穏やかな声で促した。


「落ち着いてください。お茶も用意しましたので、ゆっくり話しましょう」


 そう言って、どこから取り出したのか、金属光沢を帯びたポットと陶製のカップを机に並べた。蒸気とともにふわりと立ち昇るのは、どこか花のような甘く上品な香り。見慣れぬ器具だが、不思議と懐かしさを感じる。


 注がれた茶に、修行者は小瓶の中の透明な液体を数滴垂らす。とろりとした動きからして、蜂蜜のようだ。


「どうぞ。勝手に入れてしまいましたが、このお茶には蜂蜜が合うんですよ」


 柔らかく笑って差し出されたカップを、両手で包むように持ち上げる。

 飲むことは問題ない。数日前までまともに動けなかったことを思えば、回復の兆しは明らかだった。


 ふわりと広がるのは、知っている紅茶とは違う、瑞々しく芳しい香り。まるで花畑を歩いているような錯覚さえ覚える。

 口元に運び、慎重に一口――甘く優しい蜂蜜の余韻が、体の奥からじんわりと染み込んでくるようだった。


「口に合ったようですね」


「はい……ありがとうございます」


 心の中に渦巻いていた不安や緊張が、少しずつ解けていく。全てをぶつけたい衝動はある。けれど、それを飲み込ませるだけの空気がここにはあった。


 修行者は、こちらの様子を慎重に観察しながらも、無理に何かを言わせようとはしない。少しの沈黙が流れたあと、彼が口を開く。


「リラックスしてもらえたようですね」


「……はい」


「混乱されているのも無理はありません。こちらから、いくつか簡単な質問をしてもよろしいでしょうか?」


「わかりました」


 場の空気がひとつ、落ち着いた。

 修行者は、少し考えるように視線を落とし、やがて穏やかに切り出した。


「まずは、なぜあのような場所に?……あの砂漠の洞穴に倒れていた理由を、お聞かせいただけますか?」


 問いかけられた瞬間、意識が記憶の奥へと引き戻される。


「あぁ……それなんですけど……えっと、信じてもらえるかは分からないんですが」


 そう前置きしながらも、俺はあの不可思議な場所を思い出す。見渡す限りの花畑、澄んだ空気と異質な静寂。どこか楽園めいた世界――冥界。


「気づいたら、冥界……っていうんですかね。そんな場所にいて。花畑が広がってて……その場で、女性に会いました。農作業してるみたいな感じで。彼女に“送り返す”って言われて……それで、気づいたら、あの砂漠の中でした」


 その言葉に、修行者は目を細めた。驚いたようでも、深く納得したようでもある。まるで長年の謎が一つ解けたような表情だった。


「……冥界、ですか。しかも、“彼女”から直々に。あの方が……あの方が、そんなことをなさるとは……」


 かすかに眉を寄せたが、すぐに落ち着きを取り戻して頷いた。


「なるほど。むしろ、それで全て納得がいきます」


「え、何がですか?」


 自分には理解できないことを、相手が当たり前のように受け入れている。その状況に、戸惑いが募る。


 修行者はゆっくりと主人公の方を見て、やや低く静かな声で言った。


「君が遭遇したのは、おそらく冥界の管理人……【葬儀人】でしょう。彼女が誰かを“送り返す”というのは、非常にまれなことです。つまり、それは――君がこの世界に現れることを、彼女が容認した証明でもある」


「……俺の“潔白”を証明ってことですか?」


 思わず訊き返す。まるで自分が最初から疑われる存在だったような物言いに、わずかな不安が胸を刺した。


「ええ。君が“異界から来た存在”である以上、警戒は当然です。だが、冥界の管理者がそれを認めたとなれば、少なくともこの世界の理には逆らっていない。そう判断できます。」

 そして

「もっといえば悪心をもって冥界に進んだ人間は彼女が送り返すことはないので。その点についても君の善性を担保してると言えますね」


 修行者から語られた冥界についての話で妙な安心感が胸に灯る。少なくとも、身の危険は無さそうだし、この修行者を名乗る男は、信じてもいい気がする。


「さて……次の質問に移ります」


 修行者は場の空気を和らげるように笑った。


「君の“元いた世界”は、どのような世界でしたか?」


「元いた世界……」


 思わず、曖昧な記憶の中から浮かび上がるイメージを掘り起こす。夕焼けの放課後、制服、コンビニ、スマートフォン、電車の揺れ。家族――特に、妹の笑顔。


「えっと、まず“日本”って国で暮らしていました。技術はかなり進んでいて、空を飛ぶ車こそなかったけど、携帯端末とかは一般的でしたし……」


 断片的ながらも、知っている限りのことを話してみる。科学、都市生活、文化、言語、社会制度――そんなものを、できるだけ分かりやすく言語化しながら伝える。


「なるほど……想像以上に興味深い文化です。こちらの世界と似た部分もありますが、やはり根本が違うようですね」


 修行者は目を細めながら興味深そうに、頷いた。


 


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