第5話 甘い贈り物

衝撃的な出来事を経験した割に、スピカは体調も良くまた日常を過ごしていた。


スマホにはメールでトゥインクル・トゥインクル商事から定期検診だのメンタルケアだの、正式な皮の仮縫いの案内が来ていたが、無視していた。


皮が剥けて一時は世界がひっくり返ったが、日常は変わらずやって来る。

なら、泳ぎきるしかないだろう。


部活でノルマの25m自由形を20本やった後、記録を測っていたコーチが声をかけて来た。


「・・・鈴木、調子いいな!・・・でも、まあ、無理するなよ?大会までに合わせればいいんだからな。前回は直前でタイムが落ちちまったからなぁー・・・」


元日本代表だったと言うコーチはそう言うと、スポーツドリンクを手渡した。


「・・・はい」


スピカは小さく頷いた。



制服姿で昇降口の隅に座り込み、スピカはため息をついた。


「ねー、気にしないでよー。過去の1秒や2秒くらいさあー。スポーツマンでアスリートでしょ!?」


同じ水泳部でクラスメイトの柚木子ゆきこが心配そうに声をかけて来た。


いや、その1秒や2秒を削るのがスポーツなのだが・・・。


と、言い返そうとしてやめた。


そんなチマチマした事に拘らない、このおおらかな友人のそう言うところが好きだから。


なのにちゃんと、彼女は大会には毎回帳尻合わせて来る。

プレッシャーにも、本番にも強い。


こういうタイプがスポーツ選手として大成するんだろうな、と思う。

自分のようにキリキリしているのではなく。


お互い違うスイミングクラブに所属しているが、ジュニア時代から顔見知り。

たまたま同じ高校、同じクラスになって以来、親友だ。


「ねー、スピカー、アイス食べて帰ろう!つーか、もうカレーとか食べたい!」


スポーツというのは腹が減るものだが、水泳と陸上の長距離と言うのは、とにかくガソリンを食う。


昨年の水泳クラブチームの合宿では、滞在先でどこかの陸上部も滞在していて、バイキングの料理が足りなくなったのだ。


夏場所の相撲部屋が来ても料理を切らしたことはないのに!とレストランのスタッフが驚いていた。


「スピカ、駅前のインドカレー屋行かない?あそこナンおかわりできるしー。ナンおかわりいらないって言うと、テンチョー、悲しそうな顔するじゃない?」

「ナンがデカすぎんだよ。あんなの、ウチらじゃないと3枚食べれないよ!?」


二人は弾かれたように笑って、昇降口を出て、歩き出し、また話しては何度も笑い出した。


箸が転げてもおかしい年頃である。


「あー、カレー、早く食べたい!」

「わかるー。私、絶対チーズナンにするー」


カレーと言うのは不思議で。

一旦カレーが食べたいと思ったら、食べるまで頭がカレーでいっぱいになる。




馴染みのインドカレー屋に着くと二人はメニューを開いた。


「イラッシャイ!よく食うガールズ。今日はナンにする?」


すぐに、信じられない程彫りの深い異国情緒溢れる店長が注文を取りに来た。


「アタシ、バターチキンと、ひよこ豆!ナンとターメリックライス!コールドチャイで!」

「私、エビと、ベジタブル!チーズナン!マンゴージュース!」


二人は元気いっぱいに宣言した。


「じゃ、俺は、マトンとー、このザグ・パニールほうれん草・チーズ、あんこナンで、ラッシー」


いきなり声がかぶせられて、二人は振り返った。


佐藤忍が後ろの席に座って手を振っていた。




「・・・おじさん・・・なんでいるの・・・」


スピカはゴキブリにでも出会ったかのように固まった。


「え?叔父さん?」

「・・・違います!お兄さん!」

「え?スピカ、お兄ちゃんいたっけ?」

「いないよ!」

「だよねぇ?じゃ、ダレ、このおじさん?」

「だ!か!ら!おじさんじゃないって!」


「ナシラー、ラッシー飲めー」


店長が忍の前にグラスを置いた。


「おー、あんがと!ここのラッシーうまいよなー。さすが、本場インドの味!」

「ヨーグルトはブルガリアだけどナー」


日本人が作って売っている、ブルガリアという名前のヨーグルトで、インド人がラッシーを作る。


なんだか複雑な話だ。


「ね、スピカ、マジ、誰?」

「・・・あー、商事会社の、人?」

「障子?」


柚木子ゆきこがしたたかに首を傾げた。


「・・・違います・・・」


忍が名刺を見せた。


「あ、こっちの商事ね!・・・トゥインクル・トゥインクル・・・?何売ってる会社ですか・・・?」

「えーと、業種は多岐に渡っているんだけど、一番は、皮・・・」

「・・・服!服屋さん!アパレルの人!」


スピカが慌てて言い繕った。


「服屋さん?・・・何で突然、服屋さん?」

「・・・あ、あの、服、注文してて・・・」

「そうそう。15年着れるやつ。仮縫い合わせになかなか来てくれないんだけどねぇ。・・・なんか・・・JKとインドカレーってのもいいね!次、どこ行く?奢るよ?カラオケとか行く?」


チャラつき始めた忍に、スピカは舌打ちした。


「・・・あの、佐藤さん?18歳未満に手を出すのは淫行で捕まるって知ってます?」

「あー、青少年保護育成条例ねー。・・・それはナイナイ。だから、18になった瞬間に連絡ちょうだい?君、誕生日いつ?」


は?と柚木子ゆきこが尋ね返した。


「最低!」


スピカがそう叫んだところに、店長がナンのお代わりを持ってやって来た。


「なんだ、セクハラか?!タンドールで焼いてヤるかー?」

「炭にやるまで焼いといて!」


スピカが吐き捨てた。



柚木子ゆきこを車で自宅まで送り届けて二人になると、スピカは顔色を変えた。


「・・・ねぇ!ゆっこに言わないでよ!」

「宇宙人なんですって?」

「う・・・!・・・そう。言わないで。お願いします」


スピカは頭を下げた。


意外に思って忍は首を傾げた。


「・・・私、地元から遠い高校行っちゃったし・・・、自分で決めた事だけど・・・。友達って今、ゆっこくらいしかいないの・・・。ゆっこ、本当は音楽部入りたかったの。でも、私が水泳部入るって言ったら、ウチの水泳部、一年への当たりが強いから、私だけだと心配だからって一緒に入ってくれて。だから、私、なんとかやれてるの。・・・変な事知られたくない」


確かにその話は本当で、上級生による下級生への対応は、なかなかにキツイ時もある。


しかも、スピカと柚木子ゆきこは、上級生よりも成績が良い。

仕方ないとは言え、先輩である彼女達が面白かろうはずがない。


ほぼ当て付けに近い雑用なんていくらでも回って来た。

それを、彼女はめげずに一緒に片付けてくれるのだ。


「・・・分かった。そもそも顧客の個人情報なんて漏らさない」


スピカはほっとして、また少し頭を下げた。


「ありがとう。・・・あのね、ゆっこ、すごい優しいの。あとね、お嬢さまだし。ハープって知ってる?あれ出来るんだよ!」

「あー、だよなあ。だって、あの地区に一戸建て平屋だもんなー」

「おっきいトイプードル飼っててね。すごく可愛いの・・・」


一度自宅に行った時に、彼女の両親が歓迎してくれた。

そして、彼女の愛犬がとても可愛いかったのだ。


「トイプードルってあんなに大きくなるんだね。なんとかって体にいい高級フード食べてるって言ってたからかなあ」

「プードルって、もともとデカいんだけど。それ、ジャンボプードルじゃないの?」


そういう種類だと言われ、プードルはトイプードルしか居ないと思っていたスピカは驚いた。


「・・・ああ、そうだ、これ」


忍が後部座席から、小さな紙袋を取り出した。


「・・・何これ」

「店長から預かったやつ」

「・・・お持ち帰りなんて頼んでないよ?」


不思議に思って紙袋を開けると、甘い香りに包まれた小さなお菓子が沢山入っていた。

丸いもの、花の形のもの、不思議なクッキーのようなもの、銀色の菱形のもの。

何だかワクワクするような楽し気な詰め合わせ。


「・・・お菓子だ。何だろ、サービス?」

「違う違う。お祝い。贈り物プレゼント

「何の?」


忍がスピカを指差した。


「十六歳になった、脱皮の」


なんで知ってる、いや、なんで、とスピカは大いに慌てたが、もしや、と思い当たった。


「・・・ウソ・・・店長も、宇宙人なの・・・?」

「正解。店長の名前は今度教えて貰いな。ちゃんとお礼言ってさ。・・・あの子、脱皮したんだな、ちょっと大人になったんだなって何となく分かるんだよなー。・・・結構いろんな人に見守られてたわけだよ、おとめ座αアルファ星・スピカちゃんは」


本名で呼んだのでまた言い返されると思ったが静かなものだったので忍は不審に思って隣のスピカを見た。


彼女は、妙な、不可解そうな顔をしていた。

身の回りに起きる変化や、人々の想いを、なんとか飲み込もうとしているのだろう。


拒否や反発では無く、違和感がありながらも受容が始まったとしたら、それは成長だろう。


いつまでも子供でしかいられない者と、いつまでも子供ではいられない者がいる。

まさに、スピカはその分岐点にいる。


「・・・だからさ。さっさとちゃんと寸法合わせに来てくんない?いつまでも(仮)なのも周りに分かるんだよねー。・・・それともさ。わざと来ないわけ?」


え?とスピカが眉を寄せた。


「自分で分かってんだろ?その仮の皮着てるから、タイム良いって」


スピカは黙って忍を睨みつけた。


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