シンボリック 4





学校に行かなくなったのは、いじめが原因ではなかった。部活動での出来事があってから少しして、行かなくなったのだ。母はつらかったろう、といたわったが、直後わたしが珍しくぼろぼろと泣いたので衝撃を受けたのだろう、床に座り込んでしまった。わたしにはもう、抗議して、大人に解決してもらうほどの気力もなかった。母はわたしを抱きしめてわんわんと泣いた。まるで自分がされたように泣いた。泣いてほしくなかった。泣かれると自分の涙が母に取られてしまうような、うまく言えないけれど、そんな気がした。だって母は泣いても、本当に美しくて、美しくて、苦しかった。

 吹奏楽部を辞めた。三年生に呼び出されたことが原因だった。クラリネットパートのオノダユメカとサイトウナナカ、それから吹奏楽部長のフクダハルナは、ある放課後、個人練習をしていたわたしを三年次の教室に呼び出した。教室の外には城を守る兵士のようにべつの三年生が数人張り付いていて、まるで光に集まる夜の虫のようだとわたしは思った。ばかばかしい。

「妹から聞いたんだけど、うちらのこと悪く言っているんだってね」

 部長のフクダハルナが高圧的に放った。妹。フクダハルナの妹・フクダハヅキはわたしのクラスメイトで、一年一組の学級委員長なのである。眼鏡をかけている。太っていて、肌が白く、茶色いほくろが点々としている。いつも大きな声で、自分は社会科の科目が得意な「歴女」だということを豪語していた。周囲よりもいくぶん発達した胸囲を自慢げに持ち上げ、見せつけるようにして鼻を鳴らすさまはまるで白豚そのものだった。クラスの女子生徒が、セーラー服のタイの結び方(当時は折りたたんで少しだけタイをはみ出させる着方が流行っていた)を訊ねたときに、「お姉ちゃんから口止めされているから言えない」と答えているのを見て、嫌な女だなあと思った記憶がある。

「悪く言っている、とは?」

 わたしが言うと、その憮然とした物言いに腹が立ったのか、部長がより声を張り上げた。教室は丁寧に六つの机を向かい合わせにしてグループのように設定されていて、このためにこの場を作り上げたのかと思うとわたしはうんざりした。変なところでまめなのだ。楽譜の細かい指示は見ないくせに。楽器をほとんど練習せずに、いつまでもしゃべっているだけのくせに。

「うちらの悪口言っているんでしょう。うちらの妹が聞いたって言っているんだからね。ここにいないセイラちゃんのことも、「根暗だ」って裏で言っているって聞いたんだから」部長の、妹と似た小さな目。鼻の横には大きなほくろがあって、そこからきんきんとした声が出ているみたいだった。それは大きく大きく、邪悪にわたしには見えて、わたしは目と耳を塞ぎたくなった。こわい。

「全く覚えがありません。言っていません」

「でも妹が言ったって言っているんだよ」とクラリネットパートのサイトウナナカが言った。鼻の穴がよりいっそう膨らんでいて、くしゃみをするのが楽だろうとわたしは思う。

「言っていません」

「シオヤ先生を呼んでいるんだから。もうすぐ来るからね」

 シオヤ先生とは、吹奏楽部の副顧問である。この人はとてもとても太っている。尋常ではない太り方をしていてそれはまるでボールのようで、蹴ればぽーんと飛んで行ってしまいそうだった。顧問はどうしたのか。顧問の黒木先生は、何もしなかった。二十八の若い女で、いつも濡れたような長い髪を結ばずに垂らしていて、喋りもしないのに口を半分開けていた。あえてそれを男子生徒の前でやっているような大人だった。それは母のようでもあったが、けっして母ではなかった。母は黒木先生よりもずっと清潔だったから。母が濡れているのは瞳であってその女のように髪ではなかったから。三年生の言いなりになる顧問の黒木先生は、もうすぐ産休でお休みになる。だからシオヤ先生がメインで指導していくことになるという。わたしなどどうでもよい存在なのだろう。もしかしたら入部していることさえ分かっていないかもしれない。シオヤ先生だって、今回の件ではじめてわたしが部内にいることを認知したはず。わたしはそのように、先生からは目をかけられない存在だった。シオヤ先生の旦那は教育委員会の上層だという。よくこんな太った目の細い女とセックスができるものだとわたしは思う。

 案の定、罪を認めないわたしにシオヤ先生は怒鳴った。それはそれはヒステリックに、大きな声で怒鳴ったものだから、わたしはすっかり驚いてしまった。三年生に囲まれている、ランドセルを背負わなくなったばかりの一年生を、ふつうの大人は庇うものだろうと思っていたからだ。このまま否定をつづけていれば、家に帰してもらえない。母の顔を思い出した。今日のことを話したら、母はどんな顔をするのだろうと思った。母の美しい顔を思い浮かべ、それが歪み、憤り、泣きわめいているのを想像した。わたしよりも憤り、泣いてしまうものだから、いつだってわたしはすっかり感情が乾いてしまう。いつも我慢しているのはわたしだ、そう思い、なぜだか自分が不憫に思えてきて涙が滲みそうになった。シオヤ先生はそれを見て、見当違いな解釈をしたようだ、優しい声色にもどって、「謝りなさい」と言ってきた。わたしは謝った。思ってもいないこと、やってもいないことを謝った。「わるくちゆってごめんなさい」と、ばかばかしい声色でしおらしく謝った。もうしません。許してください。ばかみたい。三年生はわたしを解放した後も、ひそひそとこちらを見て何か話していた。ざまあみろ、とオノダユメカはすれ違いざまに笑った。ばかみたい。ほんとうに。帰り道、わたしも少し笑った。あまりにも幼稚だった。なんにも知らない、漱石も鴎外もポーもヴェルレーヌもヘッセもハイデガーもサルトルも知らないような女たちに、どうしてわたしを問い詰める権利がある、と思った。家に帰って笑いながら今日の出来事を母に話したとき、母は言った。「それは、つらかったね」そうして泣き出してしまったのだった。つらかったね、つらいね。ゆるせないね。ああん、ああん。するといままでこらえていたものがあふれ出してきて、わたしも決壊してしまったのだった。それは母には先輩に呼び出されて怖気ついたように見えたのかもしれない。けれどもそのときのわたしは違った。大人。母親も含め、大人が世界に存在しないことが、わたしをかなしく、やるせない気持ちにさせたのだった。大人とは、年齢を重ねたからと言ってなれるものではないのだ。シオヤ先生は、怒鳴った。黒木先生は、見ないふりをした。母親は、男を連れ込んでいる。母親らしく慰めたり言葉を与えたりすることもない。わたしはただ「担任の先生に電話してみよう」とか「気にしないで、部活はやめてしまえばいい」だとか、そういうことを言われたかった。「ぶすでばかな女の子なんだから、無視していればいいのよ」と慰めてもらいたかった。どこにも大人はいなかった。大人がいないということは、わたしにとって、自分を認めてくれる人がいないということ。自分が孤独であるということだった。

 あの事件のあとも、しばらく学校には行っていた。朝の始業チャイムギリギリに登校すれば、吹奏楽の意味のない挨拶運動の前を通らなくて済むし、その際に噂話だってされないと思った。教室でフクダハヅキたちから陰口をたたかれることもなかろうと思った。太った狸のような担任にも相談したが、案の定なんの解決にもならなかったので、退部届だけを印刷してもらった。運動はやりたくなかったから、美術部に入った。全員が部活動に入らなければならなかったのだ。わたしはクリムトの画集が見たくて美術部を選んだのであるが、美術部の顧問から呼び出され「正式に部員になったとは認めていない」と言われてからわたしはなぜだかもう、その瞬間から学校に行きたくなくなってしまったのだった。

 情けない?

 学校に行かなければ、明るい気持ちになれた。家で動画を見ながら勉強していれば済むことだ。家にいると母は喜んだ。喜んでわたしの髪を栗色に染めて、化粧を施し、さまざまな場所へ連れて行った。深夜のレイトショー、米軍基地の近くのバー、二人で自転車に乗って近くの森林や海へも行った。母は、嬉しそうだった。眩しいほどに。眩しければ眩しいほど、わたしの影は大きく深くなってゆく。その場には男を連れてくることが多かったけれど、男はよほど母よりも年上に見えた。パリやらオーストラリアやら、海外で宿泊する時も別のホテルを取っていて、恋人ではないふうにに感じた。恋人ではないということは、肉体関係がないということ。わたしはそれが、肉体関係がある、ことよりも、不潔に思えた。エンドウリョウタのことがあった。男はみな性的な欲望を満たすために女と接しているのである。ほかの男たちだって。前の母のお気に入りの男だって、婦女暴行でつかまったではないか。パトロンなのだ、と母は言った。パトロン。古い響き。

「ままのことが好きだから、お金出すだけで幸せなんだって」

 母は鼻歌でも歌うように言った。

 わたしはその態度になんだか嫌な気持ちになって、

「お母さん以外にもいるのかな、エンジョしてもらっている女の人」と言った。

「さあねえ」

 母は言ったきり、少し黙った。わたしは母が意外にも執着心が強いのを知っていた。相手が〈オンダ〉でなくても、執着することを知っていた。あえて執着する前に男を逃がしている(捨てている)ことも知っていた。母は、甘えている。母は男にいつだって甘えている。そして自身の美しい身体、実存そのものに甘えている。自身を、何事をも裁ける天女のように思えているのだ。わたしはそれを否定したかった。

 いつだったか実存、という言葉を、家の本棚で見たことがあった。〈オンダ〉の書物だと母が言ったもの。もうわたしはそれを読める年齢にある。実存は空虚で、意味がない。サルトルの著書にもそう書いてあった。わたしは母の生き方を否定したかった。母はほんとうに存在が濃くて、わたしはそれがむっと自分の器官に入り込んでくるかのようで苦しいときが、ときとしてあった。

「いつ捨てられるかわからないものに思いを傾けるのってむなしいよ」

「それってままのこと?」と母。

「べつに。そう思うだけ」

「らかんちゃん、いじわるしなくてもいいのに」

 そう言って、めそめそと母が泣き出すものだから、わたしはうんざりした。べつにママのことじゃないよ、単純にわたしの考えている事象なんだよ。しかし母は走ってカバンの中の薬を取りに行って一気に飲み干し、夕食時パトロンの男に「らかんちゃんがいじわるを言うのだ」とすねて言いつけるのだった。

 こんな旅を続けているうちに、母と過ごすのは、気がめいることに気が付いた。おそらく母とは、合わない。母にはわたしの考えていることがちっとも伝わらない。だから学校に行った方がいいかもしれない、と思うようになった。

 結局わたしは担任がおろおろと電話をかけてきたのをきっかけに、保健室登校として通い始めたのだった。

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