第4話 癒しの食卓

夕闇が落ちる頃、魔法馬車はようやくウォーク村に到着した。

爆発の衝撃から完全に回復したわけではない馬車は、通常より遅いペースでの移動を余儀なくされていた。


スウィフトワルトの田園地帯に位置するこの小さな村は、王都と国境の中間地点として旅人たちの休息地となっていた。


石畳の通りに馬車が止まると、疲れ切った四人は静かに降り立った。リンウッドは一日中ほとんど言葉を発していなかった。

花の爆発以来、彼女の表情には憔悴と何か深い後悔のようなものが刻まれていた。


「ここで一晩休もう」リンウッドは村の灯りを見つめながら言った。

「明日の朝早く出発すれば、夕方には王都に着ける」


ケインは周囲を警戒しながら頷いた。「宿は?」


「そこ」リンウッドは通りの角にある二階建ての宿を指さした。

「『銀月亭』。この村で一番古い宿屋だけど、清潔で安全だわ」


四人は疲労した足取りで宿屋に向かった。銀月亭の内部は、古い木の温かみと、炉の火の心地よさに満ちていた。壁には村の歴史を描いた絵や、魔法の守り札が飾られている。


「お客さんかい?」太った女将が笑顔で迎えた。「あら、リンウッド嬢じゃないか。久しぶりね」


「こんばんは、マリアおばさん」リンウッドは無理に微笑んだ。

「四人分の部屋をお願いできる?」


「もちろんさ」マリアは彼らを見回した。

「大丈夫かい?みんな疲れてるように見えるねぇ」


エルドン先生が一歩前に出た。「少々旅の疲れが出ただけです。良い食事と休息があれば、明日には元気になるでしょうな」


ほっほっと上機嫌そうな笑いをしながらエルドン先生は答えた。


「そうかい。それじゃあ、二階の部屋を用意するよ」マリアはカウンターの鍵を取った。

「二つの部屋でいいかい?」


リンウッドは頷き、宿代を支払った。四人は階段を上がり、男性陣とリンウッドで部屋を分けることになった。荷物を置いたあと、ニルは窓から村の風景を眺めた。平和な夜のウォーク村には、彼の故郷を思わせるものがあった。月明かりの中、農家や小さな商店、村の広場が見える。


「晩飯はどうする?」ケインが尋ねた。


リンウッドは疲れた様子で首を振った。

「私は…少し休んでいるわ。あなたたちで行ってきて」


彼女の声には力がなく、目は虚ろだった。ニルは彼女の姿に何か心を打たれるものを感じた。朝まで見せていた自信に満ちた表情はどこにもない。


エルドン先生とケインが部屋を出た後、ニルは少し考え込んだ。リンウッドの部屋のドアをノックする。


「何?」弱々しい声が返ってきた。


「少し話がしたいんだ」ニルは優しく言った。「いいかな?」


しばらくして、ドアが開いた。リンウッドは疲れた目でニルを見上げた。


「何の用?」


「宿屋のキッチンを借りて料理をしようと思ってる。食べないか?」


リンウッドは驚いた表情を浮かべた。「料理?」


「ああ、村の市場でまだ何か買えると思う。俺の村では結構料理してたんだ」


彼女は一瞬迷ったように見えたが、やがて小さく頷いた。「そう…出来たら教えて」


---


夕暮れのウォーク村の市場は、閉店間際の店が多かったが、まだいくつかの店は開いていた。ニルとケイン、エルドン先生の三人は、残っている食材を探した。


「何を作るつもりだ?」ケインが尋ねた。


「故郷の味だ」ニルは微笑んだ。「アスターフィールドの『森の恵みシチュー』。子供の頃から慣れ親しんだ味だ」


エルドン先生の目が懐かしさで潤んだ。「あぁ、素晴らしい選択じゃの。村の祭りでもよく振る舞われていたのぉ」


彼らは新鮮な野菜、きのこ、香辛料を買い集めた。ニルは特に、スウィフトワルト特産のブルームーン・マッシュルームを見つけて目を輝かせた。青みがかった大きなきのこは、彼の知る種類とは少し違ったが、シチューには最適だと判断した。


「これだ」ニルはきのこを手に取った。「これがあれば、特別な味になる」


「それはスウィフトワルトの名産だ」野菜売りの老婆が教えてくれた。

「魔力を持つ者が食べると、心の傷を癒すといわれておる」


ニルは微笑んだ。「それはちょうどいい」


宿屋に戻ると、マリアは快くキッチンを貸してくれた。「自分で料理するのかい?珍しいねぇ。でも好きにしておくれ。何か必要なものがあったら言っておくれよ」


ニルはエプロンを借り、調理に取りかかった。彼の手は記憶を辿るように動き、野菜を切り、香辛料を計り、きのこを丁寧に準備していく。


「手伝おうか?」ケインが提案した。


「ああ、じゃあその根菜を切ってくれないか」


エルドン先生も自ら買ってきた薬草を使って特製のブレンドティーを準備し始めた。「これは精神を落ち着かせる効果がある。彼女にも良いだろう」


彼らが料理に集中している間、宿屋の一階には心地よい香りが広がっていった。シチューの香りに引き寄せられるように、何人かの宿泊客も様子を見に来た。


「いい匂いだね」マリアが覗き込んだ。「本当に腕があるみたいだね」


「村の伝統料理です」ニルは微笑んだ。「良かったら、あなたもどうぞ」


「あら、ありがとう」マリアは嬉しそうに頷いた。


シチューが煮込まれる間、ニルはふと思い出した。「そうだ、パンも欲しいな」


「それなら」マリアは笑顔で言った。「朝のために焼いておいたのがあるよ。使いなさい」


彼女が出してくれたのは、まだ温かい焼きたてのパンだった。香ばしい匂いがキッチンに広がる。


「完璧だ」ニルは満足げに言った。


---


料理が完成した頃、ケインがリンウッドの部屋をノックした。


「食事ができたぞ」


しばらくして、ドアが開き、リンウッドが出てきた。彼女は赤く腫れた目をしていたが、少し落ち着いた様子に見えた。


「何を作ったの?」彼女は小さな声で尋ねた。


「『森の恵みシチュー』だ」ケインは答えた。「ニルの故郷の料理らしい」


彼女は頷き、二人は階下の食堂へと向かった。そこでは、既にニルとエルドン先生がテーブルを用意していた。宿の食堂の一角を借り、四人分の席が準備されている。テーブルの中央には大きな鍋があり、その中からは湯気と共に香ばしい香りが立ち上っていた。


「座って」ニルは彼女に席を勧めた。


リンウッドは静かに席に着き、目の前に置かれた皿を見つめた。ニルがシチューをよそい、エルドン先生がパンを配った。シチューは濃厚で、ブルームーン・マッシュルームの青い色が美しく溶け込み、独特の光沢を放っていた。


「いただきます」ニルが言うと、他の三人も同じように言った。


最初の一口を食べた瞬間、リンウッドの表情が変わった。彼女の目が驚きで見開かれ、次第に柔らかな表情になっていく。


「これ…美味しい」彼女は小さく呟いた。

「こんな味、初めて…」


「故郷の味だ」ニルは微笑んだ。

「心を癒す料理と言われていた」


彼らは暫く無言で食事を続けた。シチューの温かさが体に浸透し、緊張していた空気が徐々に和らいでいった。エルドン先生の淹れたお茶も、心を落ち着かせる効果があるようだった。


「ありがとう」リンウッドは半分ほど食べ終えると、顔を上げた。「こんなことをしてくれるなんて思っていなかった」


「辛そうだったからな」ケインはパンをちぎりながら言った。

「それに、もう少し一緒に旅するだろう?」


彼女は少し微笑んだ。「そうね…」


会話は自然に流れ始め、最初は故郷の思い出や料理の話から始まった。やがてエルドン先生が静かに尋ねた。


「リンウッド嬢、無理なら答えなくていいが…」老人は優しく言った。「なぜあの危険な花を運んでいたのだ?」


彼女は一瞬、表情を曇らせたが、シチューの入った皿を見つめながら、ゆっくりと口を開いた。


「私の妹のためよ」


「妹?」ニルは驚いた。


リンウッドは頷いた。「エリーザ…彼女は3年前、ガノン帝国の黒魔法に触れて重い後遺症を負ったの」


彼女のお茶に手を伸ばし、一口飲んでから続けた。


「当時、私たちは国境に近い村に住んでいた。エリーザは私と同じく、魔法の才能があった。でも彼女の方が…ずっと優れていた」


彼女の目に懐かしさの光が灯った。


「ある日、ガノン帝国の偵察隊が村を襲った。彼らは新しい黒魔法の実験をしていたの。エリーザは村を守るために戦ったけど…」


彼女の声が詰まった。


「彼女は勝ったの。でも、その代償として黒魔法の毒に侵された。徐々に体が弱り、魔力が暴走し始めた。今は王立魔法病院で眠っている状態…」


ニルは故郷を失った自分の痛みとリンウッドの痛みが重なるのを感じた。


「それで、ブラッドムーン・ローズが必要だったのか」エルドン先生は理解したように頷いた。


「そう」リンウッドは小さく頷いた。「王立魔法研究所では、黒魔法の毒を中和する実験をしている。ブラッドムーン・ローズはその実験に必要な素材だった。危険なのは知っていた…でも、妹を救うためなら…」


「わかる」ニルは静かに言った。

「大切な人のためなら、何でもする」


彼の言葉にリンウッドは少し驚いたように見え、そして彼を見つめた。その悲痛にゆかむ顔を


「あなたも…大切な人を失ったのね」


「故郷も友人も家族も」ニルは頷いた。

「だから、あなたの気持ちはわかる」


リンウッドは初めて、心から微笑んだ。「ありがとう。本当に…最初はあなたたちを単なる仕事の道具としか見ていなかった。でも…」


「私たちを信用していなかったのも無理はない」エルドン先生が優しく言った。「互いに知らない者同士、警戒するのは当然だ」


ケインはワインを注ぎながら言った。「俺たちもお前を疑っていたしな」


四人は笑い、雰囲気はさらに和らいだ。


「実は…」リンウッドは少し恥ずかしそうに言った。「あなたのことを知ってるの、ニル」


「え?」


「アスターフィールド村に特異な才能を持つ青年がいると聞いていた。だから、難民キャンプでサラ監査官からあなたの話を聞いた時、すぐにわかったわ」


「でも、俺は魔法が使えない」ニルは首を振った。「感じることはできても」


「それこそが珍しい才能なの」リンウッドは真剣な表情で言った。「魔法感知は、魔法使いよりも稀な能力よ。特に未訓練でそれだけ鋭敏なのは…」


エルドン先生が頷いた。「確かに、村でもお前の感覚の鋭さは特別だった。雨や嵐が来る前に必ず感じ取っていたな」


ニルは考え込んだ。彼の能力は単なる偶然ではなかったのだ。


「王都には、あなたのような才能を育てる場所がある」リンウッドは続けた。

「王立魔法監査局のことを悪く思わないで。あの花を運ぶ任務は非公式なものだった。個人的な…」


「わかってる」ニルは穏やかに言った。「妹のためだったんだろう」


彼女は感謝の表情を見せた。「妹が目覚める日まで、私は諦めない」


「立派な姉だ」ケインは真剣に言った。


食事が進み、彼らの会話はさらに打ち解けたものになっていった。リンウッドはスウィフトワルトの話をし、王都の様子を詳しく説明してくれた。巨大な魔法塔、活気ある市場街、そして王立魔法研究所の壮大さ。


「そこで仕事をするのか?」ニルが尋ねた。


「ええ、魔法監査官として」彼女は頷いた。

「魔法の誤用を監視し、才能ある人材を見つけるのが仕事よ」


夜が更けていくにつれ、彼らの間には不思議な連帯感が生まれていた。最初は疑念と警戒心で満ちていた関係が、一つの食事を通じて変わり始めていた。


「ニル、本当にありがとう」リンウッドは席を立つ前に言った。「このシチューのおかげで、久しぶりに心が軽くなった気がする」


ニルは微笑んだ。「ブルームーン・マッシュルームのおかげだよ。心を癒す力があるらしい」


「本当ね」彼女は笑った。「明日は早いから、そろそろ休みましょう」


四人は後片付けを済ませ、それぞれの部屋へ向かった。ニルは窓辺に立ち、夜空を見上げた。明日は王都へ。新しい人生の始まりになるだろう。


彼の心には、様々な感情が交錯していた。故郷への思い、これからの不安、そして新たな可能性への期待。そして不思議なことに、今夜の食事を通じて、彼は希望も感じ始めていた。


月明かりが窓から差し込み、部屋を優しく照らしていた。ニルはベッドに横になり、明日への準備を心の中で整えていった。

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