第38話 本番と裏舞台

 文化祭当日の朝。校舎はいつもの教室とは思えないほど華やかに飾られ、クラスメイトたちは慌ただしく出し物の最終準備に追われていた。


「ポスター、もう少し右! ……そう、それくらい!」

 悠真は脚立の上から指示を飛ばし、貼り直した紙が真っすぐになったのを確認すると小さく頷いた。


 体育祭の時とは違う、けれど似た空気。クラスの中心にいるわけじゃないのに、いつの間にか悠真の言葉にみんなが従うようになっていた。

 それは派手なリーダーシップではなく、誰もがやりやすいように支えていく姿勢が評価されていたからだ。


「天城、裏方の天才だな」

 男子の一人がそう呟くと、何人かが笑いながら頷いた。


 悠真は苦笑で返しつつも、内心は複雑だった。

(俺は……裏方でいいんだろうか。けど、それが俺にできることだ)



 開場のチャイムが鳴り、観客が次々にやって来る。廊下は笑い声と喧騒であふれ、クラスの出し物――喫茶スペース兼ミニ演劇――も盛況だった。


 裏で演劇の進行を確認していると、理央が袖から顔を出した。

「悠真、台本の小道具、揃ってる?」

「うん。ほら、ここに全部」

「……ありがと。あんたがいなかったら、きっとバラバラになってた」

 ふっと微笑む理央。その瞳は、舞台に立つ緊張よりも悠真を見つめる眼差しの方が強い気がした。


 一方で、ひよりは衣装直しに忙しく走り回っていた。

「縫い目、ちょっとほつれてる! 私が直すから、待って!」

 器用な手つきで針を動かす彼女に、感謝の声が飛ぶ。

 悠真が「助かるよ」と声をかけると、ひよりは頬を赤くして笑った。


 そんな二人の姿を見て、美羽は少し離れた場所で腕を組んでいた。

「……なんであんなに自然に感謝されるのよ」

 小さな声は誰にも届かず、観客席に紛れて消えていった。



 演劇が始まる。照明が落ち、舞台に立つクラスメイトたちが堂々と台詞を口にする。

 裏方に徹する悠真は、舞台袖で照明のタイミングを見計らいながら、仲間の熱演を支えていた。


 観客席からは大きな拍手や笑い声。公演は順調に進み、クライマックスを迎える。

 その瞬間、演者の動きに合わせてライトを切り替える悠真の指先は、誰よりも集中していた。


 ――成功だ。


 幕が下りると同時に歓声が上がり、舞台袖ではクラスメイトたちが抱き合い、飛び跳ね、泣き笑いした。


「やったな!」

「最高だった!」


 悠真も拍手を送る。彼の存在を直接知る人は少ない。それでも「支えてくれた」空気は確かに全員に伝わっていた。


「天城、裏で神がかってた!」

「お前のおかげでズレなかったよ!」

 笑顔で声をかけられるたびに、胸の奥が温かくなる。


(俺が……役に立てたんだ)



 公演が終わったあと、理央がそっと近づき、小声で言った。

「悠真、すごかったよ。本当に」

 その瞳はまっすぐで、彼の心の奥を見透かしているようだった。


 一方で、ひよりも衣装を抱えながら駆け寄ってくる。

「先輩、やっぱり頼りになるんですね! 私、尊敬しちゃいます!」

 無邪気な笑顔。その言葉はまるで告白に近い温度を持っていた。


 そして観客席の端。美羽は一人、拍手をしながらも視線を落とした。

 かつて一緒にいたはずの悠真が、今は別の場所で光を浴びている。

「……どうして、あの頃は気づけなかったんだろ」

 小さな呟きは、賑やかなざわめきにかき消された。



 夕方。文化祭の熱気が少しずつ落ち着きを見せ始めるころ、悠真は一人で校舎裏に出ていた。

 人の歓声から離れると、胸の奥に残るざらついた感情が顔を出す。


(俺は……“裏方の天才”。でも、それは“表には立てない”ってことでもあるんじゃないか?)


 そんな思考を遮るように、背後から足音が近づいた。

「また、一人で考え込んでる」

 振り返ると、理央が立っていた。淡い夕焼けが彼女の輪郭を照らす。


 悠真は、言葉に詰まりながら笑うしかなかった。

 文化祭の成功と同時に芽生える孤独感。それを見抜かれている気がして、心が落ち着かない。


「……俺は、みんなのために動いただけだよ」

「それでも。あんたがいなきゃ、今日は成り立たなかった」

 理央は強く言い切った。

「自分を軽く見るの、やめなさい」


 悠真は視線を逸らす。夕日が滲んで見えた。

 その沈黙を破るように、遠くで花火の音が鳴り響いた。文化祭を締めくくる合図のように。

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