第16話「姉妹の決断」
華やかなシャンデリアの光が舞踏会場を満たし、優雅なワルツの旋律が空間を包み込んでいた。ヴィオレット・アシュフォードは、緋色のドレスを纏い、場の視線を一身に浴びながら立っていた。彼女の先の人生では、この舞踏会で彼女は犯罪者として引き摺り出され、処刑を宣告されたのだ。しかし今、彼女は違う未来を作るために戦っていた。
王太子アレクサンダーとフレデリック伯爵が部屋の反対側で緊張した様子で立ち話をしている。レイモンド執事は影のように壁際で全てを見守っていた。そして、純白のドレスに身を包んだセレスト・ブライトウッドが、まるで聖女のように人々の中心で微笑んでいる。
「そろそろです、お嬢様」レイモンドが小声でヴィオレットに告げた。「宰相は20分後に婚約発表の段取りを整えています」
「予定通りね」ヴィオレットは冷静に答えた。「すべての準備は?」
「整っています。フレデリック卿も配置につきました」
ヴィオレットは軽く頷くと、グラスを片手に優雅に人々の間を歩き始めた。計画は緻密に立てられていた。舞踏会の華やかさの裏で、彼女たちは宰相ドラクロワの陰謀を阻止するための最後の戦いに臨もうとしていた。
しかし、ヴィオレットがセレストの方を見ると、彼女が意味深な視線を送っていることに気づいた。そしてセレストの侍女が彼女に近づき、小さな紙切れを手渡した。
「これを読んでください。お急ぎを」
ヴィオレットは一瞬躊躇ったが、華麗に扇子を広げる動作に紛れて紙片を開いた。
「バルコニーで。今すぐ。計画は変わった」
鼓動が早まるのを感じながら、ヴィオレットは優雅に人々の間を抜け、バルコニーへと向かった。外の冷たい夜気が彼女を包み込む。月は雲に隠れ、一瞬だけその銀色の光がヴィオレットの指の月環を照らした。
「来てくれたのね」
バルコニーの隅から声がした。暗がりからセレストが姿を現した。彼女の白いドレスは月明かりを浴びて幽玄な輝きを放っていた。
「何があったの?」ヴィオレットは警戒心を解かず尋ねた。
セレストは周囲を確認すると、低い声で言った。「宰相が計画を前倒ししたわ。彼は私の様子に何か不審を感じたらしい」
「どういう意味?」
「彼は…」セレストは言葉を選ぶように一瞬言葉を詰まらせた。「私が『赤き月』の支配から少しずつ解放されていることに気づいたの」
ヴィオレットの目が広がった。「あなたは…意識を取り戻しているの?」
セレストは苦しそうな表情で頷いた。「完全ではないわ。まだ彼らの囁きが頭の中に残っている。でも…あなたとの出会いから、特に双子の姉妹と知ってからは、何かが変わり始めたの」
「どうして私を信じられるの?これが罠だということを、どうやって証明する?」ヴィオレットは冷静に尋ねた。
セレストは静かに微笑むと、胸元からペンダントを取り出した。それは太陽を模した美しい羽飾りだった。
「私たちが幼い頃、母さんから渡された分離した王家の宝…『太陽の羽飾り』よ」彼女はそれをヴィオレットに見せた。「あなたの『時間の月環』と対になるもの。二つは共鳴し合う。この共鳴は偽りようがない」
確かに、セレストが羽飾りを掲げると、ヴィオレットの指輪が微かに光を放った。
「じゃあ、計画の変更とは?」ヴィオレットは緊張を隠せなかった。
「宰相は儀式をすぐに始めるつもりよ。婚約発表の場で、私と王太子の契りを口実に」セレストは真剣な面持ちで続けた。「でも、それを止めるには、儀式を途中まで進めなければならないの」
「途中まで?それはどういう意味?」
「儀式が始まれば、私の中の『赤き月』の力も活性化する。そうすれば、私は完全に自由になれる。そして、そのタイミングで宰相の計画を内側から破壊できる」
ヴィオレットは疑わしげに眉を寄せた。「危険すぎるわ。あなたがまた支配されてしまったら?」
「それは…起こり得るわ」セレストは静かに認めた。「だからこそ、あなたの協力が必要なの。もし私が完全に『赤き月』に飲み込まれそうになったら…」彼女は言葉を詰まらせた。
「私があなたを止める?」ヴィオレットは冷静に尋ねた。
セレストはゆっくりと頷いた。「必要なら、私を殺してでも儀式を止めて」
「まさか!」ヴィオレットは思わず声を上げた。「ようやく見つけた姉妹なのに、そんなことできるわけない」
「でも、それが最悪の事態に備えた最後の手段よ」セレストの目に決意の光が宿った。「この儀式が完成すれば、宰相は時間そのものを支配する力を得る。あなたの時間遡行なんて比ではない絶対的な力を」
ヴィオレットはセレストの真剣な顔を見つめ、それから月環に目をやった。すでに亀裂が入り、最後の残機しか残っていないことを思い出す。
「わかったわ」彼女は決意を固めた。「でも、あなたを殺すなんてことはしない。必ず別の方法を見つける」
「頑なね」セレストは小さく笑った。「だから私は…あなたを姉と呼びたいと思ったのかもしれない」
「姉?」
「ええ。記録によれば、あなたが数分早く生まれたそうだから」
二人の間に不思議な安堵感が流れた。しかし、それは長くは続かなかった。舞踏会場から急に音楽が止み、ざわめきが聞こえてきた。
「始まったわ」セレストが緊張した面持ちで言った。「宰相がアナウンスを始めるわ」
「レイモンドたちに合図を送らなきゃ」ヴィオレットは言った。
「もう遅いわ」セレストが言った。「私たちだけで対処するしかない。あなたは下で待機して。私が太陽の羽飾りを掲げたら、それが合図よ」
「舞踏会場の大シャンデリアの真下ね」ヴィオレットは先の計画を思い出して言った。
セレストは驚いた顔をした。「どうして知っているの?」
「私たちの計画の一部よ。シャンデリアを落として混乱を作り出す」
「そう…」セレストの顔に微かな安堵の色が浮かんだ。「それなら、計画通りにいきましょう。あなたはシャンデリアの真下に宰相を誘導して。私が羽飾りを掲げたら、それが合図」
二人は短く頷き合い、再び舞踏会場へ戻った。
すでに人々は大広間の中央に集まり始めていた。ドラクロワ宰相が壇上に立ち、その横には王太子アレクサンダーが固い表情で立っていた。
「ルナリア王国の紳士淑女の皆様」宰相の声が広間に響き渡る。「本日は特別な夜になります。月光舞踏会の伝統に則り、王太子殿下と、神に愛された聖女セレスト・ブライトウッド嬢の婚約を発表する栄誉を賜りました」
会場から拍手が沸き起こった。セレストは優雅に壇上へ上がり、王太子の隣に立った。彼女の表情は完璧に統制され、聖女としての微笑みを浮かべていた。
ヴィオレットは会場の端に立ち、フレデリックと目を合わせた。彼は小さく頷き、準備ができていることを示した。レイモンドもまた、別の位置から彼女に合図を送った。
「結婚は単なる二人の契りを超え、王国の未来を輝かせる聖なる儀式です」宰相は続けた。「今宵は月の光が特別な輝きを放つ夜。この神聖な瞬間に、古来より伝わる祝福の儀式を執り行いたいと思います」
ヴィオレットは緊張感を高めた。これは普通の婚約発表ではない。宰相はすでに儀式を始めていた。彼女はセレストを見た。彼女もまた、内なる戦いを続けているようだった。
「まずは、花嫁となる聖女に特別な祝福を」宰相はセレストに向き直り、何かを差し出した。それは赤い宝石が埋め込まれた聖杯だった。
ヴィオレットの心臓が跳ねた。前世では、この聖杯に毒が入れられ、彼女が犯人に仕立て上げられたのだ。今回は違う道筋だが、聖杯の意味は変わらない—それは儀式の始まりを告げるものだった。
「聖女よ、この杯を受け取りなさい。月の祝福が貴女を通じて王国に降り注ぐでしょう」
セレストは優雅に聖杯を受け取り、その内容物を一口飲んだ。一瞬、彼女の表情が歪んだが、すぐに元の穏やかな顔に戻った。しかし、ヴィオレットには見えた—セレストの目の奥の恐怖と決意。
「次に、王太子殿下にも同じ祝福を」宰相が言うと、侍従が別の杯を持ってきた。
その時だった。セレストが突然体を震わせ始めた。彼女の目が一瞬、赤く光ったように見えた。
「セレスト?」王太子が心配そうに声をかけた。
「大丈夫です、殿下」セレストは微笑んだが、その声には異質な響きがあった。「これは月の祝福が私の中に流れ込んでいるだけです」
宰相はほくそ笑むように見えた。「そうだ、聖女よ。月の力を受け入れなさい」
セレストはゆっくりと胸元から太陽の羽飾りを取り出した。それは金色に輝き、会場のシャンデリアの光を受けて眩いばかりの光を放った。
「これは…」宰相の表情が変わった。「どこでそれを…」
「月の祝福だけでは不十分です、宰相」セレストの声は力強かった。「太陽の力も必要でしょう?」
これが合図だとヴィオレットは理解した。彼女は素早く人々の間を抜け、舞台の方へ進み始めた。
「何をする気だ?」宰相が低い声で言った。「計画通りに進めろ。さもなければ…」
「さもなければ何?」セレストは羽飾りを高く掲げた。「私は自分の意志を取り戻しました。『赤き月』の洗脳からね」
「馬鹿な!」宰相は声を荒げた。「お前は私の…」
「あなたの操り人形ではない」セレストが言い返した。「私は自分自身なの。そして…」彼女はヴィオレットの方を見た。「私には姉がいる」
ヴィオレットが舞台に駆け上がると同時に、セレストは太陽の羽飾りをヴィオレットに向かって投げた。「姉さん、受け取って!」
羽飾りが空中を舞い、ヴィオレットが手を伸ばす。人々は混乱し、あちこちで驚きの声が上がった。
宰相は激怒の表情で叫んだ。「止めろ!誰か止めろ!」
しかし、すでに遅かった。羽飾りはヴィオレットの手に収まり、彼女の指の月環と共鳴し始めた。二つのアイテムが放つ光—一方は銀色に、もう一方は金色に輝き、互いに引き合うように震えていた。
「なっ…!」宰相は恐怖と怒りの入り混じった表情で後ずさりした。
その瞬間、頭上のシャンデリアが不吉に揺れ始めた。大きな金属製の照明器具が、まるで地震でもあるかのように軋み音を立てて揺れている。
「逃げて!」誰かが叫び、人々の間にパニックが広がり始めた。
しかし、ヴィオレットの目は宰相から離れなかった。彼女は人々が逃げ惑う中、ゆっくりと宰相に近づいていった。
「全て終わりよ、ドラクロワ」彼女は冷たく言った。「あなたの計画も、時間支配の野望も」
「終わりだと?」宰相は突如として冷静さを取り戻したように笑った。「愚かな。これはまだ始まったばかりだ」
彼はローブの下から何かを取り出した。それは拳銃だった。
「姉さん、気をつけて!」セレストが叫んだ。
ヴィオレットが身をかわす前に、宰相は拳銃を…セレストに向けていた。
「彼女がいなければ儀式は完成しない。だが、彼女の血があれば…」宰相の目が狂気に満ちていた。「聖女の血は力となる!」
「セレスト!」ヴィオレットは叫んだ。
銃声が舞踏会場に響き渡った。セレストの白いドレスに赤い染みが広がり始める。彼女はゆっくりとひざまずき、驚いたような表情で自分の胸に触れた。
「いいえ…」ヴィオレットは絶望的な声で呟いた。
シャンデリアの揺れがさらに激しくなり、天井から小さな破片が落ち始めた。人々の悲鳴が舞踏会場に満ちる中、ヴィオレットはセレストの元へ駆け寄った。
「セレスト!しっかりして!」彼女は妹を抱きかかえた。
「姉さん…」セレストの声は弱々しかった。「私は…失敗した…」
「大丈夫よ、あなたは何も失敗していない」ヴィオレットは必死に言った。「私が何とかするわ」
「太陽と月…二つそろわなければ…儀式は止められない…」セレストの呼吸が苦しそうだった。
ヴィオレットは絶望的な状況を察した。彼女は指の月環を見つめた。すでに深い亀裂が入り、最後の力しか残っていない。たった数分しか戻れない…そして、それが最後の機会だ。
「フレデリック!」彼女は会場の混乱の中で彼を探し、見つけると手で合図した。
フレデリックは人々の間を縫うようにして彼女の元へ駆けつけた。
「ヴィオレット!大丈夫か?」
「聞いて、計画を変更するわ」ヴィオレットは急いで言った。「私はこれから月環の最後の力を使う。数分だけ時間を戻せる。その時、あなたはすぐにシャンデリアのロープを切断して」
「だが、それだと…」
「みんなを避難させて。そして、シャンデリアの真下に宰相がいることを確認して」
フレデリックは一瞬躊躇ったが、ヴィオレットの決意の表情を見て頷いた。「わかった。任せろ」
ヴィオレットはセレストを優しく抱きしめた。「大丈夫よ、妹。あなたは死なない。私が必ず救ってみせる」
「姉さん…」セレストの目から涙がこぼれた。「私を信じてくれて、ありがとう…」
ヴィオレットは月環に手をかけ、最後の力を呼び覚ます。指輪から銀色の光が放たれ、時間の歪みが彼女の周りに形成され始めた。
「もう一度だけ、やり直すわ」彼女は決意を固めた。「今度こそ、みんなを救ってみせる」
舞踏会場のシャンデリアが不気味な音を立てて揺れる中、ヴィオレットの姿は銀色の光に包まれ、時間の流れに飲み込まれていった。
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