第14話「砕ける月環」
月光舞踏会の朝が訪れた。ヴィオレットは窓辺に立ち、朝日を浴びながら今日の重大さを噛みしめていた。今宵、すべてが決まる。セレストの救出、ドラクロワの計画阻止、そして王国の運命。
「準備はできていますか?」
振り向くと、レイモンドが入ってきた。彼は両手に美しいドレスを抱えていた。銀と青の生地に、月と星の模様が刺繍された華麗なドレスだった。
「これは…」
「舞踏会のためです」レイモンドは丁寧にドレスを広げた。「アシュフォード家に伝わる特別なドレスです。あなたのお母様も、かつて重要な儀式の際に着用されました」
ヴィオレットはドレスに触れた。生地は驚くほど軽く、指に触れると微かに光を放つようだった。
「魔術が織り込まれています」レイモンドは説明した。「月の加護を強める効果があります」
「ありがとう、レイモンド」彼女は微笑んだ。「完璧ね」
朝食の席で、最後の作戦会議が行われた。フレデリックが宮殿の見取り図を広げ、全員の配置を確認していた。
「ヴィオレットとわたしは正面から入場し、舞踏会に参加する」彼は説明した。「イザベラは裏口から入り、セレスト救出を試みる」
「羽飾りは?」レイモンドが尋ねた。
「わたしが持っていく」ヴィオレットは言った。「ドラクロワは必ずこれを求めてくるでしょう。その時が、彼の計画を阻止するチャンスになる」
「しかし、もし彼に奪われたら…」フレデリックは懸念を示した。
「その時は」ヴィオレットは月環を見つめた。「最終手段として、これを使う」
全員が理解したように黙って頷いた。月環の最後の力—三度目の時間遡行—それはヴィオレットの最後の切り札だった。できるだけ温存したいが、必要なら使わざるを得ない。
「いずれにせよ、儀式は深夜零時に始まるでしょう」イザベラが言った。「満月が天頂に達する時です」
その時、見張りの守護者が駆け込んできた。
「使者が来ています!王太子からです!」
すぐに、王太子の親衛隊を名乗る若い騎士が案内された。彼は深々と頭を下げると、封をされた手紙を差し出した。
「アレクサンダー王太子からの緊急メッセージです」
ヴィオレットが手紙を開封し、中身を読み上げた。
「計画に変更あり。ドラクロワが舞踏会前に特別な儀式を行う情報を入手。彼はセレストを使って何かを始めようとしている。舞踏会より前に行動する必要あり。信頼できる者を連れて、王宮裏の秘密の通路から入るように。地図同封。アレクサンダー」
手紙には確かに宮殿の見取り図と、秘密の通路の場所が示されていた。
「予定より早く動くということですか?」レイモンドが尋ねた。
「ドラクロワも焦っているのかもしれない」フレデリックは考え込んだ。「彼も羽飾りがなければ、完全な儀式ができないことを知っている」
「これは罠の可能性もある」イザベラが警告した。
「でも、王太子の筆跡に間違いはない」ヴィオレットは手紙を注意深く調べた。「それに、彼の印章もある」
「どうしますか?」フレデリックがヴィオレットに尋ねた。
彼女は深く考え込んだ。確かに罠の可能性はあった。しかし、セレストが危険にさらされているなら、一分一秒でも早く行動すべきだった。
「計画を変更しましょう」彼女は決断した。「私とフレデリック、それにイザベラで秘密の通路から潜入します。他の守護者たちはそれぞれの持ち場で待機してください」
急遽計画は変更され、彼らは昼過ぎには宮殿へと向かった。ヴィオレットは舞踏会用のドレスではなく、動きやすい服装に変更し、羽飾りを特別な袋に入れて持っていった。月環は常に彼女の指にあり、時折微かに光を放っていた。
「月環の亀裂が広がっている」フレデリックが心配そうに指摘した。
確かに、銀の指輪には以前より深い亀裂が入り、「残り一度」という文字も薄れて見えた。
「急がなければ」ヴィオレットは言った。「何か重大なことが起きようとしている」
彼らは王宮に近づくと、地図に従って裏手の小さな森に入った。そこには古い石造りの建物があり、王宮への秘密の通路の入口だった。
「ここですね」イザベラは壁の特定の石を押した。
石の壁が動き、暗い通路が現れた。フレデリックが松明を灯し、彼らは慎重に中に入った。冷たく湿った空気が彼らを包み込む。
「この通路は古い」イザベラは説明した。「王宮が建てられた時から存在する、守護者たちの緊急経路です」
彼らは狭い通路を進んだ。時折、ネズミが走り去り、遠くでは水が滴る音が聞こえた。
「地図によれば、このまま進むと王宮の地下に出ます」フレデリックは言った。「そこから儀式が行われるとされる大広間へ」
彼らが通路の終わりに近づいたとき、ヴィオレットの月環が突然強く輝き始めた。同時に、彼女が持っていた羽飾りも袋の中で赤く光った。
「何か近くにある」彼女は警戒した。
「セレストの聖印に反応しているのかもしれない」イザベラは言った。
彼らは慎重に前進し、やがて通路の終わりに達した。石の扉が彼らの前に立ちはだかっていた。フレデリックが慎重に扉を少しだけ開け、外の様子を窺った。
「儀式の間のようだ」彼は小声で言った。「中に人がいる」
ヴィオレットも覗き込んだ。石造りの広い部屋で、床には複雑な魔法陣が描かれていた。中央には石の台座があり、そこにセレストが横たわっていた。彼女は目を閉じ、意識がないようだった。そして、彼女の横には…
「王太子?」ヴィオレットは驚いた。
アレクサンダー王太子も同様に台座に横たわり、動かなかった。二人の周りには数人の黒衣の人物たちが立っており、彼らは何かの儀式を執り行っているようだった。
「罠だったのね」イザベラが緊張した声で言った。
「いいえ」ヴィオレットは首を振った。「王太子も囚われているわ。手紙は偽物だったのかもしれない」
「ドラクロワの姿は見えない」フレデリックが辺りを見回した。
「でも間違いなく彼の仕業よ」ヴィオレットは言った。「どうする?」
「突入すれば、セレストと王太子が危険に」イザベラは警告した。
「しかし、このまま儀式を続けさせるわけにはいかない」フレデリックが言った。
ヴィオレットは決断を迫られた。彼女は袋の中の羽飾りに触れ、その力を感じた。セレストの聖印とこの羽飾りが合わさると、儀式が完成してしまうかもしれない。しかし、それを避けるために妹を見殺しにするわけにはいかなかった。
「私が彼らの気を引く」彼女は決意を固めた。「その間に、二人はセレストと王太子を救出して」
「危険すぎる」フレデリックが反対した。
「他に選択肢がないわ」ヴィオレットは静かに言った。「それに」彼女は月環に触れた。「最悪の場合、これがある」
フレデリックとイザベラは不安げな表情を交換したが、最終的に頷いた。
「合図は?」フレデリックが尋ねた。
「私が羽飾りを取り出したら」ヴィオレットは言った。「光が彼らの目を眩ませるはず。その瞬間に」
三人は静かに作戦を確認し、位置について準備した。ヴィオレットは深呼吸し、月環に触れて力を感じた。
「セレスト、王太子、今助けるわ」彼女は心の中で誓った。
彼女は扉を勢いよく開け、堂々と部屋に入った。
「儀式を止めなさい!」
黒衣の人物たちは驚いて振り向いた。彼らは「赤き月」の紋章を身につけた魔術師たちだった。
「ヴィオレット・アシュフォード」一人が低い声で言った。「まさかここに来るとは」
「妹と王太子を解放して」彼女は毅然と言った。
「あなたが来るのを待っていました」別の声が後ろから聞こえた。
振り向くと、そこにはドラクロワ宰相が立っていた。彼はいつもの政治家の装いではなく、「赤き月」の紋章が刺繍された赤黒い法衣を着ていた。
「罠だったのね」ヴィオレットは理解した。
「手紙は偽物でした」ドラクロワは微笑んだ。「しかし、あなたが来ることは知っていた。姉妹の絆は強い」
「セレストに何をした?」
「彼女は儀式のために休んでいるだけだ」ドラクロワは台座に近づいた。「そして王太子も。二人は特別な血を持っている。ルナリス家の血だ」
「王太子も?」ヴィオレットは驚いた。
「もちろん」ドラクロワは笑った。「彼もまた、王家の正統な血筋。それは儀式に必要なのだ」
「何のための儀式?」ヴィオレットは時間を稼ぎながら、フレデリックとイザベラが動き出す機会を窺っていた。
「時間を支配するためだ」ドラクロワは高らかに言った。「『赤き月』の下で、過去と未来の壁を壊し、時の流れを変える。そして新たな世界を創造する」
「あなたにそんな権利はない」ヴィオレットは言った。
「権利?」ドラクロワは嘲笑した。「力こそが権利だ。そして私は、その力を手に入れる」
「それには、これが必要なはずよ」ヴィオレットは袋から羽飾りを取り出した。
部屋が瞬時に赤と青の光に包まれた。羽飾りからの赤い光、月環からの青い光、そしてセレストの聖印からの光が混ざり合い、眩しいほどの輝きを放った。
「太陽の羽飾り!」ドラクロワは欲望に目を輝かせた。「よくぞ持ってきてくれた」
ヴィオレットが合図を送ると、フレデリックとイザベラが影から飛び出し、台座に向かって走った。黒衣の魔術師たちが彼らを阻止しようとしたが、二人は素早く対応した。
「セレストを取り戻すのよ!」ヴィオレットは叫んだ。
ドラクロワは彼女に向かって手を伸ばした。「羽飾りを渡せ」
「決して」彼女は羽飾りを強く握り締めた。
ドラクロワの手から暗い力が放たれ、ヴィオレットに向かって伸びた。しかし、月環が反応して青い盾を形成し、攻撃を防いだ。
「なるほど」ドラクロワは眉を上げた。「月環の力を使いこなすようになったか」
「あなたの想像以上にね」ヴィオレットは言った。
フレデリックとイザベラは台座に辿り着き、セレストと王太子を守ろうとしていた。しかし、魔術師たちの障壁が彼らを阻んでいた。
「もう遅い」ドラクロワは高らかに宣言した。「儀式は始まっている。羽飾りを用いようが用いまいが、『赤き月』は今夜、天に昇る」
ヴィオレットは焦りを感じた。しかし、諦めるわけにはいかなかった。彼女は月環の力を集中させ、羽飾りと合わせた。二つの遺物が共鳴すると、強力な衝撃波が部屋中に広がった。
黒衣の魔術師たちが吹き飛ばされ、ドラクロワも一歩後退った。障壁が一瞬弱まり、フレデリックがセレストに、イザベラが王太子に手を伸ばした。
「セレスト!」ヴィオレットは叫んだ。
彼女の声が響くと、セレストがわずかに目を動かした。彼女は意識を取り戻しかけているようだった。
「姉さん…」セレストの弱々しい声が聞こえた。
「行くわよ!」ヴィオレットは羽飾りを掲げ、月環の力と合わせて障壁を破ろうとした。
しかし、その瞬間、ドラクロワが思いがけない行動に出た。彼は自らの胸を切り裂き、血を流した。その血が床の魔法陣に落ち、赤く光り始めた。
「我が血を捧げる」彼は厳かに言った。「『赤き月』の女王を目覚めさせるために」
魔法陣が激しく光り、セレストの体が浮き上がった。彼女は苦しそうに体を震わせ、胸元の聖印が強烈な赤い光を放った。
「何をした!?」ヴィオレットは怒りを露わにした。
「彼女の中にある『赤き月』の力を呼び覚ましただけだ」ドラクロワは冷笑した。「十五年間の準備が、今実を結ぶ」
セレストの体が再び台座に横たわったが、彼女の目が開いた。それは彼女のものではない、赤い光を放つ目だった。
「セレスト…?」フレデリックが恐る恐る呼びかけた。
「彼女はもういない」セレストの口から別の声が発せられた。「私は『赤き月』の女王、エリオネラ」
「違う!」ヴィオレットは叫んだ。「セレスト!戻って!」
しかし、セレストは—いや、エリオネラと名乗る存在は—台座から起き上がり、冷たい目でヴィオレットを見つめた。
「双子の力よ」彼女は手を伸ばした。「来なさい」
ヴィオレットの持つ羽飾りが激しく震え、彼女の手から離れようとした。月環も同様に強く反応し、彼女の指から抜け落ちそうになった。
「ダメ!」ヴィオレットは必死で両方を握りしめた。
ドラクロワは満足そうに見ていた。「千年の計画が、ついに完成する」
「エリオネラとは誰?」イザベラが混乱した様子で尋ねた。
「『赤き月』の最初の女王だ」ドラクロワが答えた。「レオナルド王の時代に、時間の力を狙って敗れた魔女。彼女の魂は代々、『赤き月』によって守られてきた。そして今、完璧な器を得たのだ」
「セレスト…」ヴィオレットは悲しみに打ちひしがれた。妹の体が別の存在に乗っ取られたのだ。
「月環と羽飾りを渡しなさい」エリオネラ/セレストが命じた。「さもなければ、この男の命はない」
彼女は王太子の喉元に手をかざした。王太子はまだ意識がなく、無防備だった。
ヴィオレットは苦しい選択を迫られた。遺物を渡せば、エリオネラは時間を操る力を得るだろう。しかし、王太子の命を危険にさらすわけにもいかない。
その時、突然、大きな爆発音が響き、部屋の壁の一部が崩れ落ちた。灰と煙の中から、武装した衛兵たちが現れた。彼らの先頭には、マーカス・グレイがいた。
「王太子の親衛隊だ!」フレデリックが叫んだ。
「遅れて申し訳ありません」マーカスは言った。「王太子が行方不明になり、手がかりを追っていました」
「助かったわ」ヴィオレットは安堵した。
エリオネラ/セレストは怒りに顔を歪めた。「邪魔をするな!」
彼女の手から暗い力が放たれ、衛兵たちに向かって飛んだ。何人かが吹き飛ばされたが、マーカスは踏みとどまった。
「陛下を解放しろ!」彼は剣を構えた。
混乱に乗じて、イザベラは王太子のもとに駆け寄り、彼を台座から降ろそうとした。フレデリックはヴィオレットの側に戻り、彼女を守った。
「どうすれば?」フレデリックは息を切らしながら言った。「セレストを取り戻せる?」
「わからない」ヴィオレットは苦しい表情で答えた。「でも、試すわ」
彼女は羽飾りと月環を掲げ、その力を集中させた。「セレスト!私の声が聞こえる?帰ってきて!」
エリオネラ/セレストが一瞬、動きを止めた。彼女の目に、わずかな変化が見えた。
「姉…さん…」セレストの本来の声が一瞬だけ聞こえた。
「そう!戻ってきて!」ヴィオレットは叫んだ。
しかし、ドラクロワが素早く動き、エリオネラ/セレストの側に立った。彼は何かの粉末を彼女に振りかけ、呪文を唱えた。
「目覚めよ、我が女王。この娘の声に惑わされるな」
エリオネラ/セレストの目が再び完全に赤く染まり、彼女は冷たい笑みを浮かべた。
「愚かな試みだ」彼女はヴィオレットを見下ろした。「あなたの妹はもういない」
ヴィオレットは絶望しそうになったが、諦めなかった。彼女は月環と羽飾りの力を最大限に引き出そうとした。青と赤の光が混ざり合い、紫の光の柱が形成された。
「この光…」イザベラが驚きの声を上げた。「双子の力が共鳴している!」
エリオネラ/セレストも光に反応し、聖印が強く輝いた。彼女の表情が一瞬、苦しそうに歪んだ。
「やめろ!」ドラクロワが怒鳴った。
彼は魔術を使い、ヴィオレットに向かって暗い力の波を放った。フレデリックが身を挺して彼女を守ろうとしたが、力の波が彼を直撃した。
「フレデリック!」ヴィオレットは叫んだ。
フレデリックは床に倒れ、動かなくなった。彼の胸から血が流れ出していた。
「フレデリック!しっかりして!」ヴィオレットは彼の側に駆け寄った。
「ヴィオレット…」フレデリックは弱々しく目を開けた。「気をつけて…」
「大丈夫よ、あなたを守るわ」彼女は涙をこらえながら言った。
「邪魔者は消えた」ドラクロワは冷たく言った。「さあ、儀式を続けよう」
ヴィオレットは怒りに震えながら立ち上がった。「許さない…」
彼女の月環が強く輝き始めた。亀裂が入った銀の指輪からは、これまでにない強い光が放射された。
「あなたたちのせいで、大切な人を二度も失うところだった」彼女は静かに、しかし力強く言った。「もう、誰も傷つけさせない」
月環の光が彼女全身を包み込んだ。そして、彼女の手にある羽飾りも共鳴するように輝き始めた。
「やめろ!」ドラクロワは焦りを見せた。「その力は制御できんぞ!」
しかし、ヴィオレットは聞く耳を持たなかった。彼女は月環と羽飾りの力を最大限に引き出し、エリオネラ/セレストに向かって光の柱を放った。
光がエリオネラ/セレストを包み込むと、彼女は悲鳴を上げた。それはエリオネラの声とセレストの声が混ざり合ったような奇妙な叫びだった。
「セレスト!聞こえる?私の声が聞こえる?」ヴィオレットは叫び続けた。
光の中で、エリオネラ/セレストの姿が揺らめいた。まるで二つの存在が争っているかのようだった。
「姉さん…」セレストの声が聞こえた。「助けて…」
「セレスト!」ヴィオレットは手を伸ばした。「私の手を掴んで!」
しかし、ドラクロワが二人の間に割って入った。彼は古い短剣を取り出し、魔術で強化してヴィオレットに向かって突進した。
「儀式を邪魔させん!」
イザベラが警告の声を上げたが、遅かった。ドラクロワの短剣がヴィオレットの胸に向かって突き刺さろうとした。
その瞬間、予想外のことが起きた。エリオネラ/セレストが光の中から飛び出し、ドラクロワとヴィオレットの間に割って入ったのだ。
「やめて!」セレストの声だった。彼女の目は一瞬、通常の青に戻っていた。
短剣がセレストの体を貫いた。彼女は小さな悲鳴を上げ、床に崩れ落ちた。
「セレスト!」ヴィオレットは叫んだ。
「愚かな…」ドラクロワは呆然と言った。「器を傷つけるつもりはなかったのに…」
ヴィオレットはセレストの側に駆け寄った。彼女の胸から血が流れ出ていた。聖印は弱々しく光を放っていたが、その光は徐々に弱まっていた。
「セレスト、しっかりして」ヴィオレットは彼女を抱きかかえた。
「姉さん…」セレストは目を開けた。それは彼女自身の青い目だった。エリオネラの赤い光は消えていた。「やっと…自分に戻れた…」
「大丈夫よ、治してあげるから」ヴィオレットは震える手で彼女の傷に触れた。
「もう…遅い…」セレストは微笑んだ。「でも…良かった…私自身で…最後の選択ができて…」
「そんなこと言わないで!」ヴィオレットは涙を流した。「私たちはこれからずっと一緒にいるのよ」
セレストは弱々しく手を上げ、ヴィオレットの頬に触れた。「姉さん…ありがとう…私を見つけてくれて…」
「セレスト…」
セレストの瞳から光が消えかけていた。彼女は最後の力を振り絞って言った。「月環を…使って…」
ヴィオレットは理解した。最後の手段—月環の最後の残機を使って時間を戻す。しかし、それは大きなリスクを伴う。月環は既にひび割れており、残り一度の使用しかできない。そして、どれだけ時間を戻せるかも定かではなかった。
「セレスト…」ヴィオレットは彼女の手を強く握った。
「行って…」セレストは最後の微笑みを浮かべた。「私たちは…また会える…」
彼女の手が力なく落ち、目が閉じた。
「セレスト!」ヴィオレットは絶望的な叫びを上げた。
部屋に悲しみが満ちる中、ドラクロワは後退りしていた。彼の計画は崩れ去った。「赤き月」の女王の器を失い、儀式も失敗した。
「まだ終わっていない」彼は歯を食いしばった。「別の器を見つければ…」
しかし、マーカスと衛兵たちが彼を取り囲んでいた。
「ドラクロワ宰相、反逆罪で逮捕する」マーカスは宣言した。
混乱の中、イザベラがヴィオレットの側に来て、静かに言った。「月環を使うなら、今です」
ヴィオレットはセレストの冷たくなりつつある体を見つめ、決断した。彼女は月環に触れ、その力を呼び覚ました。
「時よ、戻れ」彼女は祈るように言った。
月環が強く輝き始めた。亀裂が広がり、ついに砕け始めた。破片が宙に浮かび、青い光の渦が形成された。
「どれだけ戻れるかわからない」イザベラが警告した。「月環の状態が悪すぎる」
「でも、やるしかない」ヴィオレットは決意を固めた。「セレストを救うために」
彼女は最後にフレデリックを見た。彼はまだ床に横たわっていたが、かすかに息をしていた。
「フレデリック…必ず助けに戻るわ」
彼女は月環の力に身を委ね、時間の歪みが彼女を包み込むのを感じた。世界が逆回転し始め、光と闇が混ざり合った。
最後に見たのは、砕け散る月環と、瀕死のセレストの姿だった。
「今度こそ、全てを正すわ」
彼女の意識が遠のいていく中、彼女はその決意を胸に抱いた。いつ、どこに戻れるかはわからない。しかし、彼女は諦めなかった。今度こそ、セレストとフレデリックを、そして王国を救うと誓った。
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