第20話 拾って来た黒い子犬



 『まあこの家に近付けるって事はただの犬なんじゃないですかね?』

 『可愛い!橋山のおじちゃんが拾って来たの?』


 黒い子犬を拾って来た翌朝、家の前に放しておくとお琴が大喜びをして子犬と戯れあっていた。

 『いやでもよ?ただの子犬が妖怪の犬っころ二匹に痛ぶられて生きてるっておかしくないか?確かに怪我はしていたが、普通の子犬ならひと噛みで殺されてるだろ?』

 『丈夫なんじゃないですかね?』

 『そう言う問題か?』

 『だって普通の犬じゃなかったらこの子は何なんですか?こうして護符を貼り付けても何にも反応しないんですから妖怪ではありませんからね?』

 お菊により背中に護符を貼られても全く反応しないのである。即ち妖怪では無いと言う事なのだが。橋山にはどうしても普通の犬には見えないのだ。何かがそう感じている。


 『まあ取り敢えず妖怪で無いのならうちで飼っても問題ありませんよ。お琴ちゃんも気に入っていますからね。』

 『本当に!?この子を飼ってもいいの!?お菊さん!!』

 お琴が子犬を抱き締めそう言うと、お菊はニコリとして頷いていたのだった。



 『それで?お琴ちゃんそいつの名前は決まったのかい?』

 『まだ決まってないんだぁ。橋山のおじちゃんも何か考えてよ!』

 『そうだなぁ。そいつはオスだろ?そうすると…ハチとかポチとかどうだい?』

 『嫌だよそんな犬みたいな名前!もっと格好良い名前にしてあげたい!』

 『そう言われてもなぁ…。』

 あっさり提案を却下されてしまった橋山は、子犬を持ち上げてじっくりと見てみた。

 すると漆黒の黒い毛並みに、綺麗に透き通った茶色のつぶらな瞳が輝いている。

 『ネロ…って言うのはどうだい?この黒い毛の色を表す言葉なんだが。』

 『ネロ…格好いいかも。あなたはネロ。今からネロってお名前だからね!』

 ワンッ!

 どうやらお琴も当人も気にいった様で、子犬の名前はネロと決まった。ネロはお琴に抱かれたまま、嬉しそうに尻尾を振っていたのであった。


 

 橋山の手のひらの上には、二つの大豆程の大きさの赤く光る妖石があった。それは昨晩ネロを襲っていた犬型の妖怪が落とした妖石だ。

 『お菊さん。犬型で赤く目の光る妖怪なんて聞いた事あるかい?』

 『ええありますよ?それは犬鬼って奴ですよ。鬼が連れて歩いてるって話ですね。』

 『鬼が連れて歩いてるのか?』

 『まあ聞いた話ですけどね?鬼が連れて歩いてて、そいつに人間を狩らせるって話です。恐ろしい話ですよね?』


 じゃあ昨晩ネロを襲っていたのは犬鬼って事か?何でまたそんな危ねぇ奴等に狙われていたんだ?しかもよく死なずに済んだな。やっぱりあいつは普通の犬では無いんじゃねぇか?


 そう思う橋山の視線の先には、お琴の事を飛び跳ねながら楽しそうに追い掛けているネロがいた。見た感じはどう見てもただの子犬である。護符の結界には弾かれる事は無く、更に護符を貼り付けても何の反応も無かったのだ。その状況を踏まえるとお菊の言う通り、ただの子犬と言う事になるのだが。

 鬼が人間を狩る為に使うと言う狩猟犬が、ただの子犬を殺そうとするのだろうか?橋山はどうしても腑に落ちず、頭を悩ませていたのだった。


 すると、ネロが橋山の元へと駆け寄って来た。

 『よおネロ。お前は一体何者なんだ?まさか神獣とか言わねぇだろうな?』

 ワンッ!

 橋山が冗談混じりにそう言うと、ネロは元気に吠えていたのだが。人の言葉が分かっているのだかいないのだか、ネロは再びお琴の元へと楽しそうに駆けて行ったのだった。



 ◇◇◇◇



 『店主、こいつはいくらになる?』

 橋山はそう言うと犬鬼の妖石を差し出して見せた。

 『お?これはデカいのを持って来たもんだな。犬鬼か?』

 『店主、何故わかった?』

 『丁度討伐隊が鬼の妖石と一緒に持って来てたからな。見りゃわかるよ。そうだな、こいつなら金二分で買い取ってやるが。』

 『金二分もか!?』

 その高額査定に橋山は驚き声を上げた。

 『これぐらいの大きさになると、もう武器に使えるからな。良い値が付くんだよ。どうする?一応この街で他で売ろうと思っても二分を出す所はねぇと思うがな?』

 『別に店主を疑ってはいねぇよ。ああ、じゃあそれで頼む。』

 橋山は取り敢えず一つの犬鬼の妖石を金二分で売却したのであった。金四分で一両になる為、橋山にとっては思いがけない大きな臨時収入となったのであった。


 『しかしじゃあこの辺りでも犬鬼を連れた鬼が出たって事なのか?』

 『ここ最近良く聞くなぁ。まあ出てるのはここよりだいぶ西の方らしいがな?以前より鬼の出没が多くはなって来てるらしいぞ?』

 

 やはり何か変化が起こり始めているのか?牛鬼に馬鬼にその他の鬼まで増えて来ていると言う事は。


 そう橋山が訝しんでいると店主は言うのだ。

 『おそらく鬼門が開いて来ているんじゃないかと討伐隊の連中は言っていたがな。』

 『鬼門?なんだそれは。』

 『地獄から鬼達が出て来る為の門だよ。何十年かにいっぺんの間隔でその鬼門が開く時があるのさ。牛鬼や馬鬼もその影響だろうな。』

 『そんな話今まで聞いた事も無かったな。』

 『まあ昔話の迷信として考えてる者が多いからな。ここは一応ネリタ山のお膝元だからよ。そう言う考え方になるって訳だ。鬼門が開いているとしたら街の外は危険になる。お前さんも用心するこったな。』

 『ああ、ありがとよ。用心する。』

 橋山は思い掛けない情報を耳して、一抹の不安を抱いていたのであった。




 『鬼門ですか?まあ確かに昔話の悪鬼は鬼門を打ち破って現世に現れたとは言われてますけどね?そんな物本当に存在するんですかね?』

 『私も聞いた事はあります。何十年かの周期で鬼門が勝手に開いてしまう時期があると。ネリタ山信仰では有名な話ですね。』

 『なるほどな?二人ともやっぱり知ってはいたか。どうやらその鬼門が開いて来てるらしいんだよな。討伐隊が言ってたらしい…西の方で鬼が増えてるそうだ。』

 橋山がそう告げると、お菊もお米も心配そうな顔をしていた。

 『まあ変わらずに夜道は歩かない様にする事と、護符の結界も強めておくとするか。用心する事に越した事はねぇからな。』

 『まあ討伐隊も巡回してる事ですからね。この辺りではそこまで心配する事も無いかと思いますけど…橋山さんの言う通り用心はしておいた方が良いですね。お琴ちゃんも居る事ですし。』

 『お琴には護符の結界からは絶対にひとりで出ない様に言い聞かせておきますので。』

 三人がそんな話をしていると、お琴はネロと一緒に楽しそうに家の周りを走り回っていたのだった。



 ◇◇◇◇



 『橋山さん!先日はありがとうございました!』

 橋山が出先から戻ると、家の前には丁髷姿に立派な着物を着た、タゴノ藩の村木が居た。どうやら税の徴収に来たらしい。今日は他にも二人の役人を連れて来ており橋山が行くと皆が丁寧に挨拶をしてくれた。

 『村木様、怪我の具合はどうですか。』

 『ええ、問題ありません。数針縫っただけで済みましたので。本当に橋山さんのお陰です。改めて、助けて頂きありがとうございました。』

 村木がそう言い頭を下げると、他の二人の役人も橋山に対して頭を下げ礼を述べていた。


 『俺はあくまで助太刀しただけですから、そこまで礼を言われる事はしてませんよ。皆んなが無事で何よりでした。今日は税の徴収に?』

 『はい。それも有るのですが、最近シモノウサの西の地域で鬼が頻繁に現れているとの情報が入りまして、税の徴収と共に注意喚起をして回ってる所なんです。』

 『やはり村木様の所にも、俺も先日ネリタの骨董屋から話は聞いてまして。今の所は西の方だけみたいですが、つい先日のこの付近にも犬鬼が二体出ていたんですよ。』

 『犬鬼が!?大丈夫だったんですか!?』

 橋山が犬鬼の話をすると役人達も驚いていた。

 『ええ、特に問題なく討伐はしております。最近夜間に妖怪退治をするのが日課になってましてね。』

 『橋山さんが、妖怪退治を?犬鬼は鬼が使役していると言う獰猛な妖怪になりますが。まあ…橋山さんになら可能かと思いますね。』

 村木はそう言うとひとり納得をしていた。

 橋山の強さは村木が身をもって体験しているからであろう。

 『しかし鬼自体にはまだ一度も出会してはいませんからね。この辺りまではまだ来てないものかと思いますよ。』

 『ええ、藩の方でも対策を整えておりまして、独自の討伐隊でも警戒を強めようと言う方針になっています。橋山さんが巡回にご協力頂けるのでしたら非常に心強いですよ。』

 『まあ俺のはあくまで趣味でやってる様なものですからね。ただ、まあこの辺りの夜道に関しては毎晩回っていますんで大丈夫かと思いますよ。』

 『いえ、ご趣味であろうともタゴノ藩よりの依頼とさせて頂きたいと思います。きちんと報酬はお支払い致しますので、またその件に関しましては後日にご連絡させて頂きたいと思います。』

 『いや、そんな大それた大義名分はいりませんぜ?村木様。』

 『いいえ、これは藩内の事ですのでそうはいきませんよ。タダ働きさせるつもりは有りませんので。キチンと受けて頂きますよ?先日の野盗討伐の件でも別途報奨金が出ますので。』

 『橋山さん。村木様がここまで言われるんだ。お役目として受けておきなさい。』

 お菊の父にまでそう言われてしまった橋山は、渋々了承しておいたのだった。


 

 



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