後ろの写真
放課後の教室に、乾いた笑い声が響いていた。
「マジで? それって都市伝説じゃないの?」
「いや、本当だって。うちのクラスの智美の知り合いが体験したんだって」
「どんなやつ?」
机を囲む女子たちの中心に、スマホを手にした少女・渚(なぎさ)がいた。画面には、一枚の自撮り写真が映し出されていた。明るく笑う女子高生の肩越しに、ぼんやりとした人影が写っている。髪は長く、顔は見えない。ただ、背中だけが、はっきりと写っていた。
「これ、加工じゃないの?」
「そう思うでしょ? でもね、これ“特定の撮り方”じゃないと写らないんだって」
「特定の撮り方?」
渚が怪訝な顔をする。話していたのは、オカルト好きで有名なクラスメイト・瑞希(みずき)だった。黒髪のショートカットに、どこか神秘的な雰囲気をまとった少女で、普段から都市伝説や心霊話に詳しいことで知られている。
「そう。鏡越しに、自撮りアプリの“透過モード”を使って撮るの。夜、誰もいない部屋で。で、SNSに上げて、1000いいねを超えると――“うしろの人”が現れる」
「うしろの人?」
「うしろの写真っていうのは、その人の“後ろ姿”が写り込むってこと。しかもね、写った人ってのは、“もうこの世にいない誰か”なんだって」
空気が少し冷たくなった気がした。放課後のぬるい風が教室の窓から差し込んでくるのに、背中だけがぞわりと粟立つ。
「でさ、その写真がバズったら……うしろの人が、今度は“前”に来るんだって」
「うわ、それ怖っ」
「イケメンだったらそれもありかも!」
「女の幽霊に決まってんじゃん」
笑い声があがるが、渚は画面をもう一度見つめた。確かに、そこに写っている背中には、不思議な哀しさがあった。消えかけた水墨画のような、儚い、けれど確かに存在する「誰か」の気配。冷たい何かが、指先から伝わってくる気がした。
数日後。渚は、面白半分でその“撮り方”を試すことにした。
夜、自分の部屋。カーテンを閉め、電気を消し、スマホの透過モードを起動する。三面鏡の真ん中にスマホを構え、自分の姿を映す。部屋には誰もいない。後ろにはクローゼットだけ。
静寂。時計の秒針の音すらやけに響く。
「……行くよ」
パシャ。
確認した写真には、自分の笑顔と……その後ろに、誰かが立っていた。
「え?」
長い黒髪。白っぽい服。だが顔は見えず、うつむいていた。背中だけが、まるで鏡に吸い込まれそうなほど、はっきりと映っている。
冗談のつもりだった。でも、その背中は本物だった。フィルターのざらつき越しに伝わってくる、“温度のない生々しさ”。
「うそ……」
震える指先で画面を何度も拡大するが、消えない。それは、スマホの不具合でもなければ、ただの影でもない。確かにそこに、「誰か」が写っていた。
渚は怖くなったが、同時に好奇心が勝った。
(この写真、SNSに上げてみようかな……)
説明はしなかった。文章は書かず、ただの面白写真として、深夜に投稿した。数時間後にはいいねが300を超えていた。
通知の音が止まらない。画面の中のハートマークが、異様な速さで積み上がっていく。
「昨日の写真、バズってんじゃん!」
登校すると、何人ものクラスメイトに声をかけられた。コメント欄には「誰この後ろの人?」「これ合成?」「怖すぎ」など、興味本位の声があふれていた。
その日を境に、渚のフォロワーは急激に増え始めた。
そして、違和感も。
通知音が止まらない。
カウントは、気づけば「いいね512」。数字を見た瞬間、なぜか背筋に冷たいものが走った。
──こんなに反応があるなんて、変だ。
写真は、たしかに変だったけど。
でも、バズるほどじゃない。なんか、妙な勢いで増えている。タグもつけてないのに、知らない人がどんどんリポストしていく。
夜、ベッドに寝転がってスマホを見ていると、ふいにスマホが「ピン」と音を立てた。
「はい、なんでしょう」
女性の声が暗い部屋に響いた。
渚は、スマホを見た。Siriの画面が開いている。
「え……起動してないけど」
画面をタップしても反応しない。Siriのウィンドウは勝手にスクロールし、文字が浮かび上がる。
《うしろにいます》
「……は?」
スマホを握る手が震えた。いたずらか? ウイルス?
そう思った瞬間、画面がまた切り替わる。今度はGoogleアシスタントが起動する。
「こんにちは。何か、お困りですか?」
静かな部屋に機械音声が重なる。
画面にはまた、文字。
《まだ、前じゃないよ》
恐る恐るスクリーンショットを撮ろうとしたが、その直前に画面がふっと消えた。
履歴を開いても、なにも残っていない。SiriもGoogleも、起動履歴はゼロだ。
渚はスマホを布団に放り出し、枕をかかえて縮こまった。
怖い。けど、なぜか……見たくなる。確認したくなる。もう一度、あの写真を。
次の日、渚のことを学校中で知らない人はいなかった。
あっという間に画像は拡散され、学校中の注目が渚に集まる。
「ゆーめー人じゃん、渚!」
みんなが声をかけてくる。だが、渚は怖くて仕方がない。
「ねえ、あの写真消した方がいいかな?」
「怖くなったの?」
「怖くなんか!……怖い、かも」
やはり、その日も異変が続く。
放課後、帰り道。誰もいないはずの後ろから、気配がする。
信号待ちで振り返る。誰もいない。
コンビニの窓に映る、自分の姿――その背後に、白い服の影。
心臓が跳ねた。
「まさかね……」
後ろを振り返っても誰もいない。
“いいね”は700を超えていた。
次の日の深夜、渚は眠れずにいた。通知音は止まらない。スマホの画面には「800いいね達成おめでとう」のメッセージが表示されている。
そして、次の瞬間。
勝手にスマホのカメラアプリが起動した。
画面に映った自分の顔。その後ろに、例の“女”が立っていた。
目の前の空気がひやりと冷たくなる。
そして、音もなく“女”が口を開いた。
「……とって」
かすれる声。目は合わない。だが確かに、カメラの中だけで“女”は存在していた。
1000いいねを達成したのは、翌朝のことだった。
登校前、スマホを開いた渚は、通知の嵐に押されるように画面を確認した。
「1001いいね」
そこに写っているのは、自分の自撮り。だが――
「……増えてる」
“女”が、昨日よりもくっきりと映っていた。うつむき加減で顔はほとんど見えないのに、その「存在感」は異様に濃くなっていた。肩のあたりに、濡れた長髪がぴたりと張りついている。
画面の中の女の影が、わずかにこちらを向いた気がして、渚は思わずスマホを落とした。
その瞬間、背後から――
「とって」
――ささやくような声が聞こえた。
振り返ったが、誰もいなかった。ただ、自室の壁と、本棚と、少し開いたドアだけがあった。
だが、ドアの隙間から、何かが引っ込むような影が一瞬見えた。
「……気のせい、だよね?」
渚は恐ろしくなり、画像を削除することにした。だがそれだけでは怖くなり、アカウントもアプリも削除した。
だが、学校でも、奇妙なことは続いた。
クラスメイトの小田が「昨日インスタ見たら、渚の写真バズってたな」と声をかけてきた。
「うしろのやつ、マジでやばいって。ああいうのってさ、加工だとしても良くないらしいよ。あれ写ってるの、後ろの女だろ?」
「後ろの女?」
「ああ、知らないの? 一時期ネットで話題になった。自撮りしたら“後ろ姿の誰か”が写って、その人に1000いいね以上つくと……現れるってやつ」
小田が話す都市伝説の内容は、渚が友達に聞いた噂と一致していた。
「でさ、写ってるのは“人間だった頃に後ろから殺された霊”って言われてて……だから写ってるのも“後ろ姿”なんだって」
渚の喉がひりついた。今、自分の背後を確認したくてたまらないのに、それが怖くてできなかった。
「1000いいねを超えると、今度は“その人が”自分の後ろに立つようになる」
「……本当に?」
「マジだって。あと、1000いいね超えても、絶対に削除しちゃいけないらしい」
渚は驚いた。ちょうど今日の朝、削除したばっかりだ。
「削除したらどうなるの?」
「そいつが“本当に”現れるんだって」
渚は硬直した。学校を早退し、急いで家に帰る。
携帯を開き、急いで写真を確認した。
アカウントは削除されていたが、削除しても、写真は完全には消えなかった。
別のまとめアカウントに投稿され、コメントとともに再び拡散されていたのだ。
──「これ本物? やばくない?」
──「写ってる女、昨日より近くない?」
──「1000超えてるじゃん。これ撮った人どうなったの」
一度ネットの海に流れたものは、早々回収はできない。
そして、その夜――
渚のスマホが、勝手にカメラアプリを起動した。
強制的にフロントカメラに切り替わった画面には、彼女の驚愕した表情と、その後ろで微笑む“誰か”の姿が、はっきりと映っていた。
白い顔。濡れた髪。ぼやけていたはずの女の輪郭が、まるで実物のように、いや、実物そのもののように――
「やっと……あなたが“うしろ”」
女の口が動いた。
次の瞬間、スマホが渚の手からすべり落ち、画面は真っ暗になった。
翌朝、渚の姿はなかった。だが、それに気づくものはいない。
だが、学校では奇妙な噂が流れていた。SNSに、とある新しい写真が投稿されたという。それは、女子高生の自撮り写真。背景は彼女の自室――
その“うしろ”には、渚の後ろ姿が、ぼんやりと、しかしはっきりと写り込んでいた。
そして投稿には、こう書かれていた。
「この子、誰?」
人は戦慄き、彼らは闇より笑う Tako_tatsuta @Tako_tatsuta
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