一.始まりの日
十年ほど前。
鈴虫の声が聞こえる、小学校からの帰り道。未だじんわりと蒸し暑い秋の初めだった。
「あ」
蝶々が、あぜ道に生えた雑草の上に転がっていた。
視線はそれに惹かれ、そのそばにしゃがみこむ。
「……あれ」
気づいて、それを拾う。
それは丸くて、小さくて、薄く色付いたガラス玉——ビー玉だ。蝶々ではなく、ビー玉が転がっていたのだ。
ビー玉を空へかざすと、太陽の光に反射して煌めく。この煌めきが、蝶々の羽ばたきに見えたのだろう。
しばらくビー玉を空へかざして眺めているうちに、中で何かが動く。それは誰かがお祭りで遊んでいる景色のようだ。何故そんな景色が見えるかは分からないが、とても楽しそうで思わず見入ってしまう。
その景色は誰かの視点で変化しているらしい。誰かの顔は見えないのに腕や足が映っていて気がついた。
そのまま見ていると、お祭りならではの食べ物をたくさん買っては食べてを繰り返し始めた。
わたあめを、私と同い年くらいの男の子と一緒に食べていたり、りんご飴にかじりついていたり、焼きそばやフランクフルトを食べ終えていないのに買ってしまって両手がふさがってしまっていたり。それらはお腹が空いてくるくらい美味しそうだが、あまりにもたくさん買っては食べていて、見ているだけでお腹いっぱいになる。
そんな食べ物の次に、誰かはいろんな屋台で遊びはじめた。
水風船すくいで二個取れたのに遊びすぎて両方とも割れてしまったり、金魚すくいでさっきの男の子と勝負して、一匹もすくえず負けていたり、射的でも勝負して、今度は賞品を三個たおしたことでその男の子に勝っていたり。そんな、男の子が遊んでいる景色が新鮮で、音がなくとも見ているだけでとても楽しくなる。
私はそんなビー玉の中の景色を、いつの間にか笑いながら見ていた。
(すごいたのしそうだなぁ、わたしもいっしょにあそんでみたい)
そうして笑って見ている間に、またビー玉の中の景色が変わっていた。
一番に神社の鳥居が見える。それから視点が左を向いたのだろう、景色が右に動いた。動いたその景色には、さっきまで勝負していた男の子の横顔が映っている。
その男の子の横顔は、大きな火傷跡で覆われている。わたあめを食べているときも勝負しているときも顔の左側しか見えておらず、その時に火傷跡は見えなかったので、おそらく顔の右側だけ火傷跡で覆われているのだろう。そういう、顔の右側だけの大きな火傷跡、があまりにも特徴的なので、十年ほど経った今も、あの子の次によく覚えている。
そんな男の子は、キラキラとした目で前を見つめ続けている。
その視線の先を追うようにして、ビー玉のなかの景色も変わる。
パッ、と花火が咲く。
ひとつ、またひとつと咲いていく。
色とりどりの花火で染まるビー玉は、私が見たことのあるビー玉の中で一番、美しかった。キレイだった。心奪われるほどに。
一際大きな花火が咲く。
「あ、僕のビー玉!」
「へ、わ、っとと」
大きな声に驚いて、ビー玉を落としかけた。何とか両手に収めて、声がしたほうを向く。
大きな麦わら帽子をかぶった小学五年生くらいの男の子が、私の方を見てそこに立っていた。
男の子は私の握りしめている両手を指さす。
「そのビー玉、僕のなんだ。大切なものだから、返してほしい」
男の子の言葉に眉根を寄せる。本当に、このビー玉の持ち主なのだろうか。
「ほんとにキミのビー玉?」
「ほんとうだよ、ここで落として探していたんだ」
「ほんとのほんとに?」
「ほんとうにほんとう!僕の目を見てごらんよ」
ちょうど逆光になっているせいか、男の子の目どころか姿形までわからない。
そのことを伝えると、男の子は一度驚いてから困ったようにうつむく。
「うーん、まぁとにかくビー玉さえ返してくれたらそれでいいんだけど……」
男の子はどこか悲しそうな雰囲気だ。
(……この子のビー玉なんだろうな……)
小学校ではビー玉集めが流行っていて、一番キレイなビー玉を持っている子は注目の的だった。
(このキレイなビー玉をもってかえってクラスのみんなに見せたら、クラスのにんきものになれるかもしれない)
男の子を見る。男の子は悲しそうな雰囲気でうつむいたままだ。
私は少し悩んだ後、両手を開いて差し出した。
「いいよ、かえすね」
少し悩んだけれど、誰かを悲しませて人気者になっても意味が無い、と当時すんなり思えたのはすごく偉いと思う。
男の子が顔を上げる。表情は分からないけれど、男の子はとてもうれしそうに、ありがとう、と言った。ような気がした。
リーン リーン リーン リーン
(すず虫だ)
すぐ近くで聞こえた鈴虫の声に気を取られ、一瞬、目線を外す。
それからすぐに目線を戻したが、その時にはもう、大きな麦わら帽子をかぶった男の子も、両手にのせていたビー玉も、すっかり消えてしまっていた。
あの子と、私と、ビー玉と。 ひらはる @zzharu7
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