第13話 陰影ハンター

 俺は深く息を吸って、裏口の扉をゆっくりと押し開けた。


 ――静寂。


 中は、まるで時が止まったかのように、物音ひとつなかった。

 照明は完全に落とされ、人工の光源は、俺の腰に装備された携帯ランプだけ。

 その灯りすら、敵に気づかれることを恐れて、最低限に抑えていた。


 俺は息を殺し、暗い階段を下り始めた。

 足音を限りなく無音に近づけて。

 心臓の鼓動だけが、自分の耳にうるさく響いた。


 そのときだった。

 数フロア上――。


 一瞬、黒い影が音もなく、視界を横切った。

 素早くて、まるで風か、煙のようだった。


(誰かいる……!)


 俺は反射的に後ろを振り返った――その瞬間だった。


 影が、裂けて、その暗がりの中から、人間の姿が、まるで空間のひだから抜け出すように現れた。


「っ……!」


 驚く間もなく、俺とその男は目が合った。

 向こうも、俺に気づいたらしい。だが、その表情は一瞬で切り替わった。

 その男の腕が、一瞬で俺の首に巻きついた。


 鋭い動きで、明らかに訓練されていた。

 俺は呼吸が止まって、視界が揺れた。


(絞められてる……!)


 俺は必死に抵抗しようとするが、力が抜けていった。

 冷たい汗が背中を流れた。

 俺は……殺される……のか?


 ――違う。まだ終わっていない。


 朦朧とした意識のなか、手に誘電パッチを掴んだ。

 これしかない。


 俺は、無我夢中で、そのパッチを男の背中に叩きつけた。

 だが――手の力は緩まない。

 絞め殺す意思は微塵も揺らいでいなかった。


(くそ……!)


 俺の中で迷いがよぎった。

 だが、やるしかない。

 死なない程度に……そう思いながら、俺は右手をかざした。


「雷、落ちろ――!」


 言葉とともに、力が奔った。


 しかし――制御なんて、できるはずもなかった。

 体は極限の恐怖と酸欠で震えていた。

 その状態で、精密な制御なんてできるものではなかった。


 バチィィィィィィィィン!!!


 凄まじい光と音が俺の耳と目を襲った。

 黒ゴーグル越しでも、世界が真っ白に染まった。


 天井を突き破って、一直線に落ちる雷。

 そして、それをまともに背中で受けたその男の体が、ビクッと大きく跳ねた。


 次の瞬間、首を締めていた腕がふっと力を失い、俺はその場に崩れ落ちた。


「ハァッ……ハァッ……!」


 肩で息をしながら、俺は必死に意識を保った。

 目の前には、倒れた男の姿。煙が上がり、まだ体が微かに痙攣していた。

 ドン――という重たい音が床に響いた。


 そして、見上げた天井には、雷が貫いたまっすぐな穴。そこから月明かりが、静かに差し込んでいた。

 さらに、いま自分がいるフロアの天井にも、同じく小さな貫通孔ができていた。


 煙が立ち上り、焦げた匂いが俺の鼻を刺した。

 男は、ピクリとも動かなかった。

 呼吸の音も、呻き声も、もう聞こえなかった。


 俺の指先が震え出した。


「……殺した、のか?」


 自分の口から出た声が、あまりにも遠くて、現実味がなかった。

 喉が渇いている。心臓が痛いほど速く脈打っているのがわかった。


「俺が……殺した……?」


 声に出すたび、胸の奥がどす黒く濁っていった。

 やってしまった――取り返しのつかないことを。


 俺は、放心状態で、その場に立ち尽くした。

 目の前の現実を理解できないまま、ただ煙の中で、月明かりを浴びていた。


 そんなときだった。


「蓮くん!!」


 通信機から、鋭く、切羽詰まった声が耳を突き刺した。

 西村さんの声だった。

 その叫びに、脳が一気に現実に引き戻された。


「っ……はい!」


 俺は咄嗟に通信機に返事をした。声が震えていた。


「いますぐ、光が当たっていて、影がない場所に向かって!!」


 なぜ?と考える余裕はなかった。

 西村さんの声の調子が、これまでに聞いたことがないほど切迫していたから。


 俺はその場からよろめきながら立ち上がり、月明かりが差し込む場所へと駆け出した。

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