第11話 お姉さんと焼肉③

 いきなりテーブルに主役級のお肉たちが並び、スターターどころかラスボスが最初に出てくるみたいな布陣だ。

 網の上には、熾火おきびの熱気がふわりと立ちのぼっている。


「早速焼いていこっか」


 水萌さんは意気揚々と身を乗り出し、すでにトングを手にして臨戦態勢だ。


「ふぅ……じゃ、こっちも焼きますね。まずはタンを──」

「──晴翔くんちょっと待って!?」

「えっ?」


 水萌さんの声に反応するのとほぼ同時。

 伸ばしたトングと、前方から伸ばされたトングが網上でカチンとぶつかる。 


 静寂。


 火花は散らなかったけど、なんかこう、意志のぶつかり合いみたいなのがあった。


「うふふ」

「……ん?」

「晴翔くんは食べ専でいいよ? お姉さんが焼いたげる」

「え、でもオレもちょっとは──」

「ううん、ここは任せて? 誘ったのお姉さんだし、腕に自信もあるから。晴翔くんはツッコミと応援担当で」

「試合開始前にして戦力外通告!?」


 苦笑しながらも、大人しく従う。

 圧倒的な自信と余裕を前にして、トングを引っ込めざるを得なかった。


 いわゆる肉奉行、というやつなのだろうか。

 慣れた手つきでタンを網に並べていく水萌さんの表情は真剣そのものだ。


 やがてふわりと香ばしい煙が立ち上る。

 豊かな旨みと、上質な脂が熱でとろけて放つ、どこか甘く、それでいて香ばしい香りが鼻腔にじんわり染み込む。


「ね……聞こえる?」

「はい。そろそろですかね」


 じゅわっ、じゅわわ──タンの表面から脂がはじける。

 炭に落ちたそれが、少し遅れて煙を上げる。音と香りと熱気と。五感全部を包み込んでくる。


 水萌さんはその様子にうっとりしながら、タンの一枚をすっと持ち上げ、ひょいと裏返した。


 つい目で追ってしまう。

 その動きは不思議なほど綺麗だった。


 指先まで神経が行き届いているようで、力まず、でも迷いなく。

 ちょうどいい焼き色がついたタンが、網の上で音を立て続ける。


「手馴れてますね。道具の扱い方が職人みたいというか」

「ふふっ……分かる? 実はお姉さんね、トングを握ると職人気質に人格が切り替わるタイプなの」

「なんですかその、車を運転するとき性格変わる人みたいな!?」

「しっ!」

「っ!?」

「あのねバイトくん」

「バイトくん……?」

「焼きっていうのは火との対話なの。呼吸を読むの。ビジネスと一緒よ。相手の温度感を読み間違えたら、炎上する。火加減ひとつで、案件が吹っ飛ぶ」

 

 神妙な面持ちの水萌さん、彼女の言葉には謎に説得力があった。

 ってかそれ笑えないやつでは?


「ほら、この子、ちょっと血気盛んだから端に避難~っと。ふふっ、良い感じ」

「確かに人格変わってる……のか? いや、別にいつもの変なノリの水萌さんな気がしなくもないぞ?」

「そこ、変って言わない」

「すんません」


 トングを華麗に動かしポジションを調整した後、職人は様子見の時間を選択した。

 今か今かとその瞬間を待ち侘び、目を輝かせている様子はおおよそ険しい顔つきの職人とは程遠く、さながら純真無垢な子どものよう。

 その姿はどこか愛らしくて……視線が、離れない。


「晴翔くんこっち見すぎじゃない? お姉さんの顔に何かついてるの?」

「あ、いや……ついてないっす」


 慌てて、誤魔化すように肉に視線を落とす。

 

「ちゃんとお肉に集中して?」

「し、してますよ。もちろん」

「ならよろしい♪ はい、晴翔くんのお肉焼けたよ。冷めないうちにどうぞ召し上がれ!」


 スッと差し出された皿には、絶妙な焼き加減の牛タン。色づきも美しくて、脂が照明を反射して艶やかに光っている。特上タンと言っても、その味は焼き方一つで大きく左右するだろう。


 いただきますの掛け声のあと、オレは箸で一枚つまんで、ゆっくり口に運ぶ。

 噛んだ瞬間、ほどけるように脂がとろけて、香ばしさが一気に鼻を抜けた。


「……う、うまっ。今まで食べたタンの中で一番です。丹精込めて育てられたって感じ」

「えー、一番は大袈裟だよー!」

「いや、ガチです。思ったことそのまんまです」

「ふふ、嬉しいな。君が違いの分かる子で」

「火と対話はできませんけど、舌の方は肥えてますからね」

「あら、それはますます食べさせがいがありそう♡」


 水萌さんは口元に手を添えて悪戯っぽく笑い、また次のカルビを網に乗せた。


 どの肉にも満遍なく目を配りながら、でもちゃんとオレのことを気にかけてくれて、会話は弾み止まらない。


 二人きりの焼肉の時間はにぎやかで、気楽で、ちょっとだけ騒がしくて。それでも、どこか落ち着く。


 そんな不思議な空気に包まれながら──オレは、次に焼かれる肉の香りと、その向こうでまた何か楽しそうなことを言い出しそうな彼女の声を少しだけ楽しみに待っていた。

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