第12話 お姉さんと焼肉④

 パチパチと心地よく耳に残る炭火の爆ぜる音。

 テーブルの上には、ジュウジュウと香ばしさを立ち上らせる特上の肉たち。


 ――そして、目の前には水萌さん。


 肉をひっくり返しながら、時折ふっと目を細めて笑うその顔には、今この時間を心から楽しんでいるような温かさがにじんでいた。


 箸は進み、お酒も進み。


 心なしか会話のペースも落ちて、ふたりの間に静かな間が落ちる。

 炭火の弾ける音だけが空気を埋めていて、それがかえって意識させてくる。


(……なんか照れくさいな、この空気)


 見つめ合うとかじゃないけど。ただ妙に静かで、気まずいような。

 でも、満ち足りていて悪くないような。不思議な時間。


 それでも最後にはやっぱり気まずさが勝って、オレは静寂を破るように、ふと浮かんだ疑問を思い出したように口にする。


「そういえばなんですけど」

「ん、なにかな?」

「この前、うちでハンバーグ焦がしてましたよね。あ、めっちゃ美味かったですよ。美味かったんですけど、やっぱ焼肉とは違うんですかね? 色々と」


 言い終えた、次の瞬間だった。

 網の上でジュッと肉の脂が弾けたのと同時に、背筋に冷たいものが走る。


 トングを構えた水萌さんからの静かな圧が、地雷を踏み抜いたことを宣告していた。


(ごくりっ……)


 店内の喧騒が、今だけは遠のいて感じられる。

 口角は微かに上がっていて、でも眼差しは感情をシャットダウンしたように冷たい。「その話、今から無かったことにしてあげるね♡」なんて、今にも言い出しそう。え、オレ今から消される? 消し炭になっちゃう?


 実際は何も言ってないのだが、確かにそんな幻聴を感じるくらいには威力があったのだ。


「……晴翔くん?」

「は、はい」


 長く繊細なまつ毛がおもむろに動く。

 声は優しい。トーンもやわらかい。ザ・お姉さんって感じ。

 でも、それが今はむしろ怖い。

 圧を加速させているのだ。


 そうか……あの焦げハンバーグ、触れちゃダメなやつだったのか。

 一先ず、この場を切り抜けるためにフォローを……。


「ハンバーグがどうかした?」

「聞いてください水萌さん。あのハンバーグ、確かに見た目はちょっと強気だった気がしますけど、食べた瞬間に思ったんです。その真髄は見た目じゃなく中身だって。ギャップ萌えってやつです。オレ、感動して泣きそうでしたもん」


 勢いに任せて当たり障りのない言葉を並べたが……やばい、自分でも何言ってるか分からん。

 見た目じゃなくて中身とか言っちゃってその実は全然フォローになってないし。


「あ、あの、水萌さん……?」

「ぷっ……ふふっ……あはははっ! 晴翔くんめっちゃ必死! もう、かわいすぎるんだけど……!」


 一転して、腹を抱えて笑い出した水萌さん。

 さっきまでのプレッシャーはどこへやら。くるくる変わる表情に振り回される。

 単に揶揄っているだけだと、すぐに分かったのでオレもいつものノリで応戦することに。


「ちょっ、笑いすぎ! ってか全然必死じゃないですから!?」

「必死だったよ〜! 可愛いと思う♡ お姉さん、晴翔くんのそういう優しいところ気に入ってるんだよね」

「うぐっ……また軽率に……」

「きっと将来は良い旦那さんになるんだろうなぁ」

「だ……旦那……さん!?」

「そう。ご飯ちょっと焦がしちゃっても、『世界で一番うまい!』って笑って食べてくれそうでさ」

「え、ええまあ……それくらい夫婦円満のために朝飯前ですよ。たとえ水萌さんが砂糖と塩間違えたって余裕で完食します」


 恥ずかしいことを言っている自覚はある。

 熱くなる顔を誤魔化すようにお冷を呷るが……ダメだ、全然冷えない。

 爆弾発言を矢継ぎ早に投下され、さっきからずっとこの人のペースに乗せられっぱなしだ。


 極め付けは──。


「ふふっ、なにそれ。お姉さんと夫婦になりたいの?」

「……!? はっ? あ、いや、今のはそういう意味で言ったわけではなくてですね!? 例え話ですから! そもそも水萌さんが変なことを!」

「うん、知ってる。ふふ、ごめんね。君の反応が面白くてつい」


 にこっと笑う優しいその目尻に、また翻弄される。


 どこまでが本気で、どこまでが冗談なのか。きっとほとんどが冗談で構成されているはずなんだが……その中に本音が隠れているかもしれないなんて、少し期待して。

 けれど読み切れないまま、こちらの心拍数だけがどんどん上がっていく。


「頑張ってフォローしてくれたんだよね、ありがとう。晴翔くんになら、ちょっとくらい騙されてもいっかって思えちゃったなっ」

「ちょっと酔ってますよね……?」

「えぇ、どうかなぁ〜? ふふっ……あっ、ロース焼けたよ〜♪」


 ごまかすようにトングをひょいと動かす水萌さん。

 それを受け取るオレの手が、ちょっとだけ震えていたのはきっと気のせいだ。


「ほんとにこの人は……」

「なんてぇ?」

「美味しいって言いました」

「うんうん、いっぱい食べて大きくなろうね♡」

「やっぱり酔ってますよね!?」


 突っ込まずにはいられないのに、どこか楽しくて。

 振り回されてばかりなのに、気づけばついて行きたくなってる。


 冗談に笑わされて、優しさに惑わされて、まるで煙の中にいるみたいだ。


 でも──この煙が悪くないと思ってしまうのは、たぶんもう少し深みにハマりかけてる証拠なのかもしれない。


 そんな風にどこか火照った心を、どうにか落ち着けようと水を口に含んだその時だった。


「んふふ〜……ねぇ晴翔くぅん、このお肉やわらかくてトロけちゃうね♡」

「……そ、そうです、ね」


 声のテンションが、明らかに1オクターブ上がっていることに気づく。


 視線をやればそこには、頬をほんのり赤らめて妖艶な空気を纏いながら、肉に舌鼓を打つお姉さんの姿が。

 上機嫌で、語尾は少しだけ伸びている。


(……間違いない)


 この変化――明らかに、いつものそれだ。


 酔いどれお姉さんが静かに──しかし確実に降臨していた。

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