第2話
「アリアさん。ショーが始まりますよ」
今回のスケジュールについて来た部下が呼びに来て、壁際で煙草を吸っているアリアに気づいた。
「どうしたんですか?」
「……ホテルに戻るわ。ちょっと事情が変わって来た」
「えっ? でも……」
「ここはいいわ。エンターテイメントに小慣れた役者なんか、白々しいだけ」
シザ・ファルネジアの輝きは本物だ。
カジノの本場などと言われても、こんな使い古された舞台でのうのうと暮らしてる連中の中にインパクトなど求められるはずもない。
煌びやかなカジノ併設のホテルも、アリアの目には一瞬にして興味の無いものに見えて来てしまった。
「ホントに帰るんですか? まだカジノで遊んでない!」
女性スタッフがショックを受けたように言う。
「遊びたいなら遊んで来ていいわよ。私は帰るわ」
「えぇ~。アリアさん、一人じゃ心細いですよう……あっ、ほら、それに! まだお世話になってる会長さんにご挨拶済んでませんし!」
「なによ、鬱陶しいわね……。あの親父はどこよ」
「ポーカーがお好きだと聞きましたから、あっちじゃないでしょうか」
「ったく……こっちはやることたくさんあるってのに……」
アリアが完全に冷めた顔と声で、賑やかなカジノフロアに入って行く。
「アリアさん、煙草、だめですよ」
女性スタッフが慌ててアリアの手から煙草を取った。
やれやれと、このモンテカルロ王国では最大規模と言われるカジノ場を、一人確かな足取りで過っている時だった。
突然、ドン! とカジノ場全体が揺れたのだ。
下から突き上げるような大きな衝撃だった。
「きゃっ!」
後ろで部下が転がり、広いカジノ場全体からどよめきと大きな悲鳴があがった。
地震かと思ったのだが揺れたのは一瞬で、立ちくらみの様によろめいたアリアは側のスロット台に手を突き、ばさりと目許に落ちて来た自分の長い髪を掻き上げる。
「なによ、今のは……」
言った途端、突然側のスロットが光を放ち、音を鳴らしながらジャラジャラとコインを吐き始めた。
「あれ?」
「ちょ、アリアさん何してるんですかあ」
「なんにもしてないわよ……突然、」
同時に、カジノ場のあちこちから同じような音と光が鳴り始め、コインの派手な音が聞こえる。
会場全体がもう一度どよめき、ガードやフロア・パーソンたちが一斉に走り始めた。
『お客様にお知らせいたします。ただ今、緊急事態発生につき、一時カジノ場の入り口を閉鎖させていただきます。
係員が誘導するまで、どうぞ側の席に着席してお待ちください』
緊急放送が掛かり、警報音が鳴り響く。
しかし、素早い放送とは異なり、いつまで経っても入り口の扉は開いたままだ。
スロット台は賑やかに歌い続けている。
なんだ⁉ とスタッフが慌てている様子が分かる。
「申し訳ありません、ただいま事態を確認いたしますので、どうぞ今しばらくお待ちください!」
スタッフが口頭でも案内を始めた。
丁度その矢先のことである。
パーン、と音がした。
【グレーター・アルテミス】に暮らすアリアには、慣れた音だ。
銃声である。
きゃあああ! と女の悲鳴が響き、客達がぐわっと動き始めた。
開いたままの出口に向かって殺到して来るというより、混乱で逃げ惑っている感じだ。
「ちょ、なによ、これ……ああっ! ここが【グレーター・アルテミス】ならリーグ中継始めるとこなのに!」
もう一度鳴った銃声に一応体勢を低くしながらも、アリアは歯ぎしりをした。
「カメラを持って来るんだった!」
悔しがりながらも携帯を取り出して動画を撮ろうとしたが、カジノフロアということもあり、電波が遮断されている。携帯が起動しない。
――と。
今度は銃声ではなく、もう一度さっきの、地震のような衝撃が走った。
人々が悲鳴を上げ、揺れた衝撃に地面に倒れ込む。
同時に、そんな人々の恐怖を嘲笑うかのように、あちこちで客の携帯のアラームが鳴り始めたのである。
「えっ、あっ! わたしのも!」
女性スタッフが匍匐前進のような体勢で、アリアのところまで這って来た。
アリアの携帯も訳の分からない文字がスクリーンに出て、ずっとバイブレーション機能が発動している。
「てめえ! 待てこらァッ!」
男の怒声が飛んだ。
銃声は随分遠くで聞こえたが、この声はすぐ近くで聞こえた。
取り押さえろ! 叫んだのはカジノ場の警備員だろう。
警笛が鳴り、隣のフロアからも警備員たちがなだれ込んで来るのが分かった。
男二人が捕まったのが見えた。
その時、こういった事件に日々慣れているからなのか、食い入るようにそっちを見ている他の客とは異なりアリア・グラーツの意識がチラ、と横に逸れた。
視界の端で何かが動いたのだ。
一人の青いドレス姿の女が後方を少し気にするようにしてから、バッと駆け出した。
奥の非常口から、飛び出していく。
誰も見ていなかった。
アリアは咄嗟に、彼女を追おうとした。
その途端自分の身体を、凄まじい力で上空から押し潰されたように、身体がカジノ場の床に倒れた。
「な……!」
身動きが取れない。まるで金縛りにあったようだ。
視線だけ動かすと、他の客も全く同じように、突然床に突っ伏している。
(なによこれ……!)
数秒間ほどだっただろうか。
明らかに動けなかった身体が、突然軽くなった。
アリアが自分の姿も顧みず、根性で身を起こした時だった。
ダン! と側のポーカー台に人影が立ったかと思うと、バサリと着ていた黒色のモッズコートを翻し、アリアのすぐ側に降り立った。
――――ザッ。
見上げたアリアと、氷色の瞳が交錯する。
茶髪男はポーカーテーブルの上からアリアを見下ろすと、可笑しそうに唇を歪めて鳴らした。
「いい格好してんねぇ」
アリアはハッとして自分のドレスの後ろを反射的に引っ張った。
めくれ上がってパンツまで丸見えだったのである。
彼女の仕草の一部始終を見た男は、目を細めてくっ、と笑うと、まだ状況を把握出来ずに全ての人間が突っ伏したカジノ場を、出口から悠々と出て行ったのだった。
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