第六話 そして、プロローグへ至る

 ◆◇◆




 八年前に一度会ったきりの男からの連絡。

 私の気持ちは、沈みに沈んだ。


(どうしよう、まいたちに確かめてみようか?)


 スマホの画面を見ると、ピロンと通知音がした。



美月みつき成宮なりみやさんって、まだグループチャット居るんだ?退職者って普通、自分から抜けません?


まい】行けたら、行くだって。


みお】エリート君の友だちも、全然紹介してくれないし。ほんと、使えない。


 ピロン、ピロン、ピロン。


 嘆息たんそく嘔吐おうと髑髏どくろのスタンプが飛び交う。



 ――息が止まった。



美月みつき】送信を取り消しました

まい】送信を取り消しました

みお】送信を取り消しました



 誤爆。

 

 (……あるいは、わざと?)

 

 呼吸が荒くなった。


「ええぇぇーー……」


 まいみおとは、八年間、わりと仲良くしていたつもりだった。

 そして、美月みつきさんは、私の退職が決まった後に入社した、後任の新人さんだ。

 仕事熱心な美月さんとだって、それなりに気が合うと思っていた。

 だから私は、彼女をまいみおとの、グループチャットへと誘ったのだ。


「……。」


 入社したての新人さんが、先輩である自分よりも、遥かに同僚たちと仲良くなっている……。

 もう、声も出なかった。


 かくいう自分だって、真山まやまさんやミイ先輩たちとは、あっという間に仲良くなったわけで。

 よくあるといえば、よくあることだ。


 同僚には、同僚の事情。

 後輩には、後輩の事情。

 今更、傷つきはしない……。

 

 そう思ったものの、私はへなへなと力なくソファベッドにへたり込んだ。

 想像以上の、心身へのダメージ。


 部屋を満たすベーグルの香りとは対象的に、私のすっかり食欲は失せてしまった。

 私はカフェ・ミュージックを止めた。


「はぁ……」


 会社員には守秘義務がある。

 私的な集まりとはいえ、退職者が同僚たちとのグループチャットをウロウロするのは、さぞ気分の悪いことだっただろう。


 私は、画架イーゼルの上の油絵に着手した。

 夏空の下、芝生で寛ぐクロと私の絵だ。

 珀斗はくとには、大いに傷つけられたが、学びもあった。

 見様見真似で始めた油絵は、私の心を大いに癒やしてくれた。皮肉なものだ。


 さて。どうしよう。


 (今すぐ、グループチャットを退会?

 それは、あまりに大人気おとなげない気がする。幸い、既読は付けていない。 

 この際、街コンに、剛健ごうけん氏の友人を連れて来てもらおうか?そうしよう。うん。悪くない。)


 私はパレットナイフを置いて、油絵を布で覆った。


 そして、ドレッサーを開いた。

 入念にパックをし、髪を巻く。

 お洒落をするのは女子への気遣いと、自己満足だ。

 気分が上がってきた。

 ううん。二十代の頃と比べると、身体のラインが少し下がった気が……。


 ピロン、とスマホの通知が鳴った。


 (あれ?……まいたちじゃない)


 しばらく動いていなかった、同級生のグループチャットだった。


 【真夏まなつてん、久しぶり!

 【優愛ゆあ麗奈れいなに、二人目の子が産まれたんだよ。みんなで、お家にお祝いに行かない?


 (わあっ。これは、おめでたい!)

 

 【私】おめでとう!行くよ!

 【麗奈れいな】みんな、ありがとう。この間のカフェの後に、破水して産まれたんだよ。報せるのが、遅くなってごめんね。今、生後三ヶ月だよ。


 それから、麗奈れいなと赤ちゃんの写真が届いた。


 (んん?)


 【真夏まなつ】元気で良かった。

 【優愛ゆあ】うちも三人目のとき、緊急帝王切開したよ。


 しばらく、子どもの写真の送り合いが続いた。

 

 (この間のカフェ?私は、そこには行ってない。

 どうやら、三人は個別に会っているようだ。

 じゃあ、なんでわざわざここのグループチャットへ、連絡を?) 


 頭に?が湧いている間に、個別に連絡が来た。

 

 【優愛ゆあ】それで、てんに、車出して欲しいの。うちらの車、チャイルドシート付いてるから、大人乗せられないし。

 あと、真夏まなつと一緒にプレゼントも買ってあるから、てんも一緒に割り勘しない?


 「げげっ。……運転手と、割り勘要員?!」


 (うわっ。現地集合で良くない?

 麗奈れいなの居るグループチャットで連絡してくるとか、……完全に外堀埋めに来てるじゃん。

 ここのグループチャットも、退会するべき?

 みんな子持ちで既婚者。

 独身で彼氏ナシは、私だけだし。……いやいや。でも、この先、結婚しないと堅く決めているわけでもないしなあ?

 うーん。……みんな、ガソリン代出してくれるかな)


 「いいや!!もう、行きます!!」


 私は、やけくそで『YES』のスタンプを送った。


 おめでたい席に、変わりはない。

 そうして、麗奈れいなのお宅への訪問日は、来週の日曜日に決まった。

 そして、決まった後で青ざめた。

 今、私が乗っているのは、二人乗りのスポーツカーだ。チャイルドシートどころか、座席は二席しかない。


 「も、も、もぉぉぉー!!」


 以前なら実家の車を借りたところだが、母や弟と仲違いした今は、それも無理だ。

 私は涙目になりながら、レンタカーアプリで七人乗りのワゴン車を予約した。


 彼女たちのことだ。

 当日になって、突然、うちの子どもたちも連れて行きたい、と言い出しかねない。

 不測の事態にいちいち気を回してしまうのは、事務職の性分サガだ。

 もう辞めたけども。


 出しゃばらず。波風立てず、つつがなく。

 なにやら標語のようになってしまったが、それが仕事の上での矜持モットーであり、本音だった。


 みんなと会うまで、間があって良かった。

 手土産は、駅前のクッキーにしようかな?

 近頃、SNSで話題の商品だ。日持ちもする。


 私は、剛健ごうけん氏のパソコンメールと、舞個人へ、それぞれ街コンへ参加する旨の連絡を入れた。


 ツッターーーン!!


 「はあぁぁぁーーー」


 勢いよく、エンターキーを押す。

 本日何度目かの、大きな溜息が漏れた。


 (疲れたーーー!)


 ビールでも飲みたかったが、過去の手痛い経験から、私はアルコール類をほとんど口にしなくなった。

 仕事の打ち上げの乾杯すら、ほんの一口舐めるだけだ。完全なるトラウマ。


 テーブルの上には、『薔薇のペーパーナイフ』が輝いている。

 デザインは、ガラスでできた、紅い細剣レイピアだ。

 胸の奥底が、きゅうん!と、ときめいた。


 (使ってみようか。開封する手紙なんて、……あったっけ?)


 ごそごそとポストを探ると、たっぷりのDMが溜まっていた。

 どう考えても、数日分だ。

 またしても、クロのことで頭がいっぱいだったのだろう……。


 私は封書型のDMを探して、その隙間に刃を入れた。

 すると、長辺はスルリとした感触とともに音もなく、パカリと開いた。


 (凄い切れ味)


 私は、『薔薇のペーパーナイフ』を赤い布に包み、黒い封筒とともにバッグへ収めた。

 そして、薔薇の紅茶を淹れることにした。


 ガラスポットの中でゆっくりと開く茶葉。

 部屋を満たす、豊かな芳香。

 温かいカップを持つと、後ろから誰かに強く抱きしめられた心地がした。

 日だまりと花の香りがした気がした。

 薔薇のクッキーを齧ると、涙が溢れた。


 (美味しい)


 ――これは、クロからの贈り物?……なんて。



「熱っ!」


 瞳の奥がチリチリと燃えるようだ。

 後頭部から汗がブワリと吹き出して、思わず両手で顔を覆った。


 あーあ。

 もう駄目かもしれない。




 「クロ。……会いたいよお、クロ」




 涙が止まらない。

 だけど、この後の予定を考えたら、これ以上、この感情に深入りしては駄目だ。

 私は、目を腫らさないよう急いで蛇口を捻り、小さな洗面ボウルに顔を突っ込んで、流水を直接顔を冷やした。 

 

 (うう。髪もメイクも、一からやり直し。……何やってるんだろう、私!!)




 ◆◇◆




 ――とまあ。

 これが、つい数時間前までの出来事。


 そして、プロローグの出来事へと繋がるわけである。




 ***




 私は、成宮天なりみやてん

 どこにでも居る、事務員のOL。


 そして、

 異世界の騎士であり、侍女じしょ

 薔薇騎士ばらきし乙女おとめ

 紅薔薇のテンナイーヴ。


 信じられないことに、

 これは、どちらも現実だ。

 回廊のこっち側と、あっち側のお話。


 だけど。

 こっち側、

 『現世』では、

 私の出る幕は、まもなく終わろうとしていた。


 そして、

 物語の舞台は、あっち側。

 『虹の回廊』及び、『ゲート』『薔薇の領域リージョン』へと、移ってゆくのだった……。

 



 ***

 







―――――――――――




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