第五話 二人目の男 前田剛健のこと その2
◆◇◆
突如立ち上がったパソコンのチャット欄に、私は飛び上がるほど驚いた。
――マケダ ゴウケン?
次第に記憶が蘇り、私は青ざめた。
☆
それは、街コンで出会った男だった。
二十五歳の頃。
☆
「
チケット割引できますよ。
良かったら、私たちと一緒に行きませんか?」
街コンは、
市内、または周辺在住の男女に仲良くなってもらい、ゆくゆくは結婚、出産、第二子、第三子。
そうして定住し、おおいに街を盛り上げて頂こう!と、まあ、そういうことだ。
「いいじゃない。
その頃はまだ仲の良かった、
舞たちの見せてくれた
しかし私の目は、その隣の美味しそうなワインやおつまみに、釘付けになっていた。
悪くない。
元の価格では少々割高に感じられたが、
しかも初日。
参加者は、関係者の確率が高いだろう。
マッチングアプリよりはギラついていない、落ち着いた、ごく普通の男性が来るのでは?
私は誘いを承諾して、会社を早退をし、母に
【私】今日は早上がり。晩御飯いらないです。
【母】わかりました。
幸か不幸か、その頃の私の容姿は、まだそれなりに洗練されていた。
私は、夕陽の中シャワーを浴びた。
ワンピースやヒール、ブランドバッグを取り出し、ドレスアップした。
いつもの胸を小さく見せる下着ではなく、普通の下着を身に着けた。
(
☆
「きゃあ!
「えー!そのエリーヌのバッグ、去年の限定品だよね。私、欲しくても買えなかったんだよ。リップかわいー」
「そうなんだ。……頂き物なの」
「えー、彼氏?!」
「えーっと、ううん、昔の仕事先の人、……かなあ」
そんな他愛もない会話をしながら、ワインを飲み、チーズやサラダを食べて、街を闊歩した。
組織の広報部。
緩く巻いた髪。
ノースリーブの、フリルワンピース。
スラリとした脚に、ピンヒール。
二人の甘い芳香には、同性の私だってクラクラした。そんなわけで私たちは、自然と周囲の注目を集めることになってしまった。
スーツ姿の男たちは、私たちを振り返った。
タトゥーの男たちは、群れをなし遠巻きにこちらを眺めながら、口笛を吹いた。
居酒屋のキャッチをしていた大学生らしき男子が、果敢にナンパに来たが、二人はスルーした。
そして、無言の微笑み。
しかし、知り合いであろう女性たちとすれ違うとぱあっと笑顔を見せて、二言三言談笑した。
店に入れば、店員や客たちの目は釘付けだ。
目立つ席を案内され、前菜やデザートが増える。
店を出る際には、謎のイケオジが現れ、支払いを済ませて颯爽と立ち去ってゆく。
(ひゃあ。……これが美人の生活なんだ)
街には、街コンのチケットや
「次は、どのお店にしよう?」
しかし、店選びと、男たちの品定めには熱心だった。
(お店選びは二人に任せよう。変な男が近づいてきたら嫌だな。……私が二人を護らなきゃ)
私の心配を他所に、やがて二人は慣れた様子で、三人連れの男性客の卓へと近づき、にこやかに談笑を始めた。
そして、勤め先や懐具合を、さり気なく確かめていった。
私はというと会話そっちのけで、おつまみのサラダやサラミ、ワインに夢中だった。ろくに口もつけず、乾いていくおつまみを見ると、ただただ心が傷んだ。
そうこうしていると、二人にチョイチョイと手を引かれて、三人で化粧室へ行った。
「見た?
「あっちは、オレックスよ」
(す、……凄い。まるで探偵か、スパイ映画だ)
☆
「じゃあ、私たちはこれで」
「また、月曜日にね!」
(展開早っ!……これが肉食女子?世間の恋愛ってこんな感じなの?)
私は唖然とした。速さに、……ついていけない。
レベルが違いすぎて、パンチが見えなかった。
「二人きりに、なっちゃいましたね」
ぞわぞわぞわ。
あぶれた男性一人が声をかけてきて、私は鳥肌が立った。
しかし、彼は皿を下げ始めていた店員さんに声をかけ、残したおつまみを手でヒョイと食べると、飲みかけのボトルワインを、再び飲み始めた。
「残すとか、あり得ないっすよね!」
「で、……ですよね!サラダもサラミも、美味しいし、新鮮だし」
(ほっ。なかなか気が合うかも?
四角い顔はまったく好みではないが、……友人としてならアリかもしれない)
街コンのチケットは、まだ二枚残っている。
私は今夜のうちに、このチケットを使い切ってしまいたかった。
「すぐ近くに、俺の行きつけがあるんですよ。そのチケットも使えますよ。行きます?」
「行きます」
私の即答に、彼は笑った。
「お姉さん。失礼だけどそのヒール、歩き慣れてないっしょ?」
私は、ワインを吹き出しそうになった。
美術モデルのときしかピンヒール
つまりは、図星だ。
「ははは!やっぱりね!体の軸がブレてるから、すぐわかったよ!俺、甲子園経験あるから」
(へー)
どうやらそれが、彼の自慢らしい。
ドヤ顔をする彼は、たしかに体格の良い男だ。キビキビとした所作には、テレビで見る高校球児の面影があった。
「お姉さん、名前は?」
「メイです」
私は、ぽろりと偽名を言ってしまった。
久々に引っ張り出した、ワンピースとピンヒール
ずいぶん酔いも回っていた。
(しまった。どう訂正したものか?!……突っ込まれるのも面倒だなあ。いいや!どうせ、今後、この人とは会うこともないし。このまま、偽名で押し通そう)
「メイちゃん!俺は、
(……ゴウじゃなくて、ケンなのね)
☆
ケンこと、
ゴトゴトと音が鳴る、年季の入ったエレベーター。
(あっ。もう笑えるほど、過去になってる。……きっと、クロのおかげね)
「ここだよ、メイちゃん!」
ドアは寂れていたが、内装は綺麗だった。
ドアが開いてすぐのバーカウンターには、白髪のシュッとしたイケオジのバーテンダーが一人。
色とりどりのボトルがずらりと並び、席は満席だった。折良く、入れ違いで男女が出ていき、二席が空いた。
「あら。ケン坊、久しぶり。彼女?」
「そうなったら、いいんですけどね。メイさん、何、食べます?マスターの料理、どれも美味いですよ」
私は、蒸した貝やキノコ、サラダ、バジルのパスタを頂いた。
どれも美味しい。
ここは、たしかに穴場だ。
満席になるのも頷ける。
しかし。
街コンの
(このメニューって、チケット使えるのかな?
大丈夫?)
店名から、スマホアプリでも確認してみたが、どうやら対象店舗の一覧には乗っていない。
「ごめんね。うち、そういうのやってないんだよ」
私の手にある
(どうしよう。
現金は、ほとんど持っていない。
カードは、自宅だ。
みんなのように、決済アプリも入れておけばよかった。
このところ、
「あっれー?
ごめんごめん。勘違いした!」
私の顔色を見て、
(こ、こいつ!)
私は珍しく、怒りが顔に出たらしい。
「マジ、ごめん!ここの食事代は奢るよ。
――へえ、かわいいね!柴犬、飼ってるんだ?ねえ、一人暮らし?実家?
――得意料理とかある?俺、家庭的な子が好きなんだ。朝は、奥さんの包丁の音と味噌汁の香りで目覚めたいよね。
――スポーツ観戦とか興味ない?スパローズの五番の
(あははは。悪い人じゃなさそうだけど……食以外の趣味、ぜんぜん合わなそう)
「出身大学はどこ?」
ぎくりとした。
悲しいかな、私の出身大学は、けして有名大学ではない。だから、この手の話題で優越感に浸れることは、まーったくない。
都内私立大学の文学部です、とだけ、ぼかして伝えた。
彼は、有名な都内私立大学のスポーツ推薦だった。
先輩には、スポーツ選手の誰それ、後輩には芸能人の誰それと、名前を挙げ連ねてくれたが、あいにく私は、誰一人知らなかった。
だから、へー、すごいですね!!、と、かなーり適当に相槌を打っておいた。
我ながら雑すぎる返しに、さすがにご機嫌を損ねるかと思ったが、むしろ、
「女の子は、料理が上手くて、素直で、ニコニコしてる子が一番だよ!栄養士の資格とか興味ない?俺、子どもにはスポーツやらせたいんだよね」
(うわ。……無料シッターと無料家政婦扱い)
私はドン引きした。
「忙しいなあ。なあ、ケン坊、店、入ってくれねえ?」
「いいっスよ」
「学生の時のバイト先なんだ。今でも、ときどき、店に立ってるの」
そう言ってシェイカーを振る剛健は、なかなかにキマっていた。頂いたライムのカクテルも、実に美味しかった。
「これも、奢りね」
そういって、白い歯を見せて笑った。
それから、バーのお客さんたちと談笑をして、テキパキと酒を作っていった。
(慣れた手さばきだ。この人、モテるだろうなあ)
そして、私はギョッとした。
彼の左手の薬指には、指輪の跡がくっきりとあった。
「ねえ、大丈夫?」
「はい。……すみません。気分が悪くて」
(この人、……既婚者だ)
「おい、ケン、送ってやれ」
(おいおい、マスター。倫理観どうなってるのよ、……イケオジだと思ってたのに、裏切られたあ)
「はい。メイさん。ヒール、大変でしょ。タクシー呼んだから。乗って」
「いえいえ、大丈夫です!ホントに大丈夫です!……」
(うう、吐き気がする。まさか地元でこんな目に逢うなんて。怖いのは、……都会だけじゃじゃないんだ)
あ、あれ?
私、飲みすぎた?
――ガッシャーーン!!
私は、慣れないピンヒールの脚で派手に転倒した。
膝がとても痛い。
目が回る。
意識が、遠のく……。
☆
この後、とてもとても恐ろしいことが起きた。
知らない天井。
知らないベッドの中。
知らない壁のアナログ時計は、17時。
窓際には、男物の下着と黒いカーテンが下がっていた。玄関には、男物の靴と傘があった。
――ここは。
どう考えても、一人暮らしの男のワンルームマンション!!
私は、そばに落ちていたショルダーバッグと服とを引っ掴み、着替えると、冷や汗をかきながら慌ててマンションを飛び出した。
外は、まったく見覚えのない街だった。
チイチイと、聞き慣れない鳥の声がした。
少し遠くを見やると、マンションや商業ビルが立ち並んでいる。
私は、それを頼りに大きな通りへと出た。
通る車はほとんどなく、アスファルトの歩道ではカラスがゴミ袋を食い破り、辺りを残飯まみれにしていた。
私は、商業ビルのテナント一階にコンビニを見つけ、急いで化粧室へ駆け込んだ。
膝を擦りむいている以外に、身体に異変はなかった。
しかし、髪もメイクも、ぐちゃぐちゃだ。
心臓がバクバクした。
急いで身なりを整え、ペットボトルの水を買い、イートインスペースで飲んだ。
(そうだ!スマホ)
そして、
私は、
そして、職場の前へ辿り着いたが、自動扉は施錠されていて、勢いよく頭をぶつけた。
ガラス越しに見える、社屋の中のデジタル時計は、5時半だった。
(17時じゃない。早朝だ!!)
それは、土曜日の朝だった。
☆
――そんなわけで、記憶から抹消した男。
もう八年前だ。
何で今更、彼から、パソコンに通知が来るのだ?
きっとそうだ。
オレックス(仮)と剛健は、同じ会社だったはずだし、
しかし、三ヶ月ほどで、破局していた気もする。
(パソコンメールということは、偽名を使ってたこともバレたな。……ナリミヤテンから、メイ。
突っ込まれたら、五月が好きだからとか、適当に誤魔化すとしよう)
◆◇◆
***
だあー!!
駄目だってェ、モランダール。
仕方ないじゃん!
回廊の向こうのテンちゃんは、か弱いご婦人なんだから。
駄目駄目!!
回廊の向こうの人間には、手出し禁止。
痛ってェ゙ー!!
暴力反対!!
だから俺は、こいつを立ち会わせるのは反対だったんだよォ。
まあまあ、落ち着ついて。
早合点は、間違いの下だよ。
え?お前が言うな?
わっはっは!!
いやー、すまない。そのとおりだ。
後でテンには、誤解を解かなきゃいけないね。
ほら、テン。
懐かしいだろう。
この
間もなく『薔薇の
***
―――――――――――
この度は、当作品にお越しいただき、
誠にありがとうございます。
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珈琲やお茶のお供に、
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※
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