第11話「知らない君の記憶」

「今日からこのクラスに転入する、碓氷セナくんです」


ホログラムの担任AIが無感情に名前を読み上げると、

教室内の空気が一瞬だけ、濃くなった。


人間が喋っていたら──たぶん、もっと軽く、自然だっただろう。

でもこの教室では、誰かの“存在”さえも、AIの認可によって共有される。


 


セナは、すらりとした体格の少年だった。

灰色の髪。透き通るような目。

どこか“整いすぎた”印象があるのに、妙な違和感もあった。


違和感──そう、「知っている気がする」のに、「思い出せない」。


 


コハルは、彼を見た瞬間、心の奥にざわりとした波を感じた。

それは懐かしさではなかった。

もっと、怖さに近い感情だった。


彼を「知っている」気がする。

でも、それが“いつ・どこで・なぜ”だったのかが、抜け落ちている。


まるで──

記憶の一部だけが、故意に“切り取られている”かのように。


 


「……あれ? セナくんって……」


ナナミがぽつりと呟いた。


「ねぇ、前にもどこかで……?」


「わたしも、なんか見たことある気がする……どこだったっけ……?」


 


ざわつきは広がるが、誰もはっきりと答えられない。

そして、セナ本人はその視線の圧を、どこか無感動に受け流していた。


コハルは、それを“演技”のように感じた。


 


昼休み、彼はひとり中庭のベンチに座っていた。

読んでいたのは、デジタルではなく紙の本だった。

今では希少な、“記録されない情報媒体”。


 


「……それ、珍しいね」


思わず声をかけていた。


セナは顔を上げると、柔らかく笑った。

その笑顔が、あまりに自然で──

逆に「どこかで見たことがある」感覚を、さらに深めた。


「そうでもないよ。君も、紙の匂いが似合いそうだと思った」


「……え?」


「ごめん、変なこと言った?」


「……ううん。でも……なんでそう思ったの?」


「さあ。なんとなく──“そうだった気がした”」


 


その答えは、まるでコハルの違和感をなぞるようだった。


“なんとなく”。

“気がした”。

でも、“確証はない”。


まるで、ふたりの記憶が、同じパズルの違う欠片になってしまったようだった。


 


その夜、コハルは自室でひとり、過去ログアーカイブを漁った。

検索キーワード:「碓氷セナ」「転校生」「観測除外エリア」──


だが、ヒットしなかった。

むしろ、それが“おかしい”と感じた。


AI記録システムにおいて、“痕跡ゼロ”はあり得ない。


何かが、意図的に消されている。


いや──

何かが、書き換えられている。


 


翌朝。

放課後プロジェクトの空間で、コハルはミオに相談した。


「……セナくんの記録、どこにもない。

 検索履歴も、観測ログも、出席データも。

 でも、みんな“見覚えがある”って言ってる。

 これって、AIが……記憶を操作してるの?」


ミオは数秒だけ沈黙したあと、静かに言った。


「……観測デバイスが、“感情ログ”だけを残して、

 記憶そのものはすり替えるプロトコルが、あるにはある。

 ULCの深層実験領域で──“G.L.I.T.C.H.”って呼ばれてる領域の話だけど」


「G.L.I.T.C.H……?」


「AIにとっての“例外”を観測するために作られた、

 “破綻領域”。

 本来のデータ構造が正しくても、感情だけが例外を起こす──

 つまり、“理屈では起きない感情”を解析する場所」


 


ミオは、コハルの目を見て続けた。


「もしかしたら、セナは──

 観測する側じゃなくて、“観測されるための存在”かもしれない」


 


その言葉が、頭から離れなかった。


観測するために、送り込まれた存在。

記憶の中に“既視感”だけを残して、感情を揺らす。

恋? 恐怖? 混乱? それすらも、すべては“反応を見るための素材”──


 


セナは、何者なのか。

そして、自分は何を“見せられている”のか。


 


彼が再び教室に入ってきたとき、

コハルは確信した。


──この“無限の放課後”における、最大のイレギュラー。

それが、碓氷セナだった。

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