第17話 夜明けのアンパンと狼の誓い 

【第2回】 屈辱の序章


 錆びた鉄の扉が軋むような重い音を立てて内側へと開かれた。彩花が足を踏み入れた瞬間、カビと埃、そして獣の体臭と安酒の入り混じったような、むせ返るような異臭が鼻孔を突き、思わず顔をしかめる。そこは、かつて何かの工場か倉庫だったのだろうか、広大な空間が薄暗い裸電球の光にぼんやりと照らし出されていた。壁にはスプレーで描かれた品性のない落書きが踊り、床には空き缶やタバコの吸殻が散乱している。隅には、盗品らしきバイクやオーディオ機器が無造作に積み上げられ、この場所が無法者たちの巣窟であることを雄弁に物語っていた。


(悠真……本当にこんな場所に……)

 彩花の小さなハムスターの鼻が、ひくひくと微かに震える。本能が、この場所に満ちる強烈な危険信号を感知し、全身の毛が粟立つのを感じた。それでも、愛する弟のため、彼女は震える脚を叱咤し、奥へと進む。


 やがて、倉庫の中でも一段と広い、コンクリート打ちっぱなしの空間に出た。そこには、十数人の若いケモミミたちが、思い思いの格好で床に座り込んだり、ドラム缶をテーブル代わりに酒盛りをしたりしながら、けたたましい音楽に身を任せて騒いでいた。狼、熊、猫、狐…様々な獣種が入り混じり、そのどれもがまともなケモミミ社会からはみ出したような、荒んだ雰囲気を漂わせている。彼らは突如現れた小柄なハムスターケモミミの侵入者に気づくと、一斉に好奇と嘲り、そして隠しようのない肉欲の光を宿した視線を、彩花へと集中させた。


「おーおー、なんだありゃ? ちっちぇえハムスターが迷い込んできたぜ?」

「マジかよ、こんな時間に女一人かよ。肝が据わってんのか、ただのバカなのか」


 下卑た笑い声と口笛が、彩花の耳を不快に打つ。彼女は、その視線に耐えるように俯き、ぎゅっと拳を握りしめた。

 その不良たちの輪の中心、ひときゅう目立つ場所に、二人の男がいた。一人は、まるで玉座にでも座るかのように、積み上げられたタイヤの上に悠然と腰を下ろしている。しなやかで引き締まった筋肉質の体躯を持つ、豹ケモミミの男。鋭い光を宿した金色の瞳が、彩花を値踏みするように射抜く。頭からは、黒い斑点模様の入った精悍な豹の耳がピンと立ち、その先端が獲物を見つけたかのように微かに動いた。彼こそが、この不良グループ「ブラッククロウ」のリーダー、龍也(タツヤ)に違いなかった。その全身から放たれる、野性的で圧倒的な暴力のオーラは、彩花の呼吸すら奪いそうになる。

 そして、龍也の傍らに、まるで忠実な猟犬のように、あるいは獲物の血を啜る吸血蝙蝠のように、影となって寄り添うもう一人の男。痩身で、どこか爬虫類を思わせる冷たい雰囲気を纏った、ヘビケモミミの男だった。彼の細い目は、彩花の全身をねっとりと舐め回すように見つめ、その薄い唇には常に計算高い、粘つくような笑みが浮かんでいる。腰から伸びる黒く艶やかな蛇の尾が、ゆらり、ゆらりと不気味に揺れていた。副リーダーの隼人(ハヤト)。その存在自体が、彩花に生理的な嫌悪感と、底知れない恐怖を植え付けた。


「ようこそおいでくださいました、サンライズマートの可愛らしい店長さん。弟さんのことで、さぞやご心配だったことでしょうなぁ?」

 隼人が芝居がかったような抑揚で、ねっとりとした声を発した。その声は、まるで蛇が獲物に巻き付く直前の、不気味な静けさを孕んでいる。


「悠真は……! 私の弟、悠真はどこにいるんですか!? どうか……どうか無事でいると、そう言ってください……!」

 彩花は、震える声で必死に訴える。だが、龍也はそんな彼女の悲痛な叫びを、まるで面白い玩具を見つけた子供のような、残忍な好奇の目で見下ろすだけだった。


「弟の安否、か。そいつは、アンタのこれからの“誠意”と“態度”次第で、どうとでもなる話だ」

 龍也の低い、地を這うような声が、倉庫の冷たいコンクリートの壁に反響する。彼は、タイヤの玉座からゆっくりと立ち上がると、一切の物音を立てずに、まるで滑るように彩花の目の前へと移動した。その動きは、まさに獲物を追い詰める百獣の王、豹そのものだ。間近で見る彼の金色の瞳は、吸い込まれそうなほど深く、そして底なしの冷酷さをたたえていた。


「まずは、その場違いで貧乏くせえコンビニの制服を脱いでもらおうか。俺たちの大事な“お客さん”であり、そしてこれから俺たちの“新しい仲間”になるかもしれないアンタに、そんなみっともねえ格好をさせとくわけにはいかねえからな」

「な……何を……おっしゃって……!?」

「聞こえなかったのか? 俺は、親切にもう一度言ってやる。その薄汚れたエプロンとブラウスを、今すぐここで脱げ、と言ったんだよ」


 龍也の口調は穏やかだったが、その言葉の端々には、逆らうことを許さない絶対的な圧力が込められていた。彼の鋭い爪が、鞘から抜き身の刃のように、ほんのわずかに覗いている。

 隼人が、どこからか取り出した黒いビニール袋を、彩花の足元へと嘲るように放り投げた。袋が破れ、中から転がり出てきたのは、およそ人間の着るものとは思えないほどに布面積の少ない、肌が透けて見えるほど薄いシルクのキャミソールと、フリルとリボンだらけの、極端に丈の短いショートパンツだった。それは、彩花のハムスターケモミミとしての小柄で愛らしい容姿を、悪意をもって歪め、ただただ卑猥な玩具として消費するためだけに用意されたかのような、悪趣味極まりない衣装だった。


「さあ、さっさと着替えるんだな。それとも、俺たちが手ずから“お手伝い”してやった方がお好みかな? グヒヒヒ……」

 隼人の下卑た笑い声が、周囲にいた他のブラッククロウのメンバーたちの、獣のような欲望に火をつけた。彼らの目が、一斉にいやらしい光を放ち、彩花へと注がれる。


「や……やめて……ください……! こんな……こんな格好……!」

 彩花の顔が、屈辱と怒り、そして恐怖で真っ赤に染まる。だが、龍也の冷たい視線が、彼女の言葉を封じ込めた。悠真の顔が脳裏をよぎる。ここで抵抗すれば、弟の身に何が起こるか分からない。彩花は、唇を強く、血が滲むほどに噛みしめると、震える手で、店のトレードマークである緑と白のエプロンの紐へと、絶望的な思いで手をかけた。


 彩花が、男たちの汚れた視線が突き刺さる中で、涙をこらえながらキャミソールとショートパンツに着替えさせられている間も、その屈辱的な時間は終わらなかった。薄いシルクの生地は、彼女の柔らかな肌の温もりを吸って、まるで第二の皮膚のように張り付き、ハムスターケモミミ特有の、控えめだが確かな丸みを帯びた胸の膨らみや、きゅっと引き締まったくびれ、そしてショートパンツの短い裾から大胆に覗く、細く白い太もものラインを、無慈悲なまでに露わにした。特に、ショートパンツは彼女の小さくふさふさとした丸い尾を全く隠すことができず、その愛らしい尾の付け根までが、男たちの卑猥な視線に晒されている。


「ひっ……うぅ……」

 彩花の肩が小刻みに震える。大きな黒い瞳からは、止めどなく涙が溢れ、白い頬を伝って顎からポタポタと滴り落ちた。そのあまりにも無防備で扇情的な姿は、若い不良たちの獣欲をさらに掻き立てた。


「うおおおお……! ヤッベェ……! あのハムスター、ちっちぇえけど、体は完全に女じゃねえか!」

「マジでたまんねえな、あの泣き顔! あのフリフリのパンツの下、どうなってんだよ!?」

「なあ、リーダー! このお宝、ちょっとくらい俺たちにもお裾分けしてくれてもいいっすよね!? もう我慢できねえっすよ!」


 一人の、血気盛んな狼ケモミミの若い不良が、獣のような唸り声を上げると、興奮を抑えきれないといった様子で彩花へと手を伸ばし、その肩を掴んで無理やり自分の方へと引き寄せようとした。


 その瞬間だった。

 ゴッ!!!という、肉と骨が砕けるような鈍い音が、倉庫の広い空間に響き渡った。

 狼ケモミミの不良の体がまるで鞠のように宙を舞い、数メートル先のコンクリートの壁に叩きつけられて、ぐにゃりと崩れ落ちた。その口からは、夥しい量の血が泡となって噴き出している。

 一瞬の静寂。そして、不良たちの視線が、音もなくその場に立っている龍也へと集まった。彼の右足は、今しがた強烈な蹴りを放った名残で、わずかに空中に留まっている。


「……調子に乗るんじゃねえぞ、クズが」

 龍也の冷え切った一切の感情を排した声が、しんと静まり返った倉庫内に響き渡る。床に蹲り、もはや虫の息となっている不良を一瞥もせず、彼はゆっくりと周囲のメンバーたちを見渡した。その金色の瞳には、絶対的な支配者だけが持つことのできる、冷酷無比な光が宿っている。


「こいつは、俺たちブラッククロウの大事な“客人”であり、そしてこれから俺たちのために大いに“貢献”してもらう予定の、貴重な“商品”だ。てめえらのような下っ端のチンピラどもが、俺の許可なく勝手に手を出していい代物じゃねえ。次に同じような真似をしてみろ。そいつは、指の一本じゃ済まさねえ。脳漿ぶちまけて、倉庫の肥やしにしてやるから、そう思え」

 その言葉には、刃物のような鋭さと、氷のような冷たさが込められていた。他の不良たちは、龍也のその圧倒的な暴力とカリスマ性の前に完全に萎縮し、まるで石像のように動きを止めてしまう。


 この一連の出来事は、ブラッククロウという組織の、恐怖による絶対的な支配体制を改めて示すと共に、彩花に対して、自分たちがどれほど非道で残忍な存在であるかを、骨の髄まで理解させるための、計算され尽くした見せしめだったのだ。


(怖い……この人たち、本当に人間じゃない……ケダモノだわ……悠真……お願いだから、お願いだから無事でいて……お姉ちゃんが、必ず助け出すから……!)

 彩花の心は、恐怖と絶望で押し潰されそうだった。目の前で繰り広げられた生々しい暴力は、彼女のハムスターとしての臆病な本能を激しく揺さぶり、立っているのもやっとの状態だった。だが、弟の顔を思い浮かべた瞬間、彼女の奥底で、か細いながらも、しかし決して消えることのない、姉としての強い意志と愛情が、最後の抵抗の炎を燃え上がらせた。


「さて、と。余興はここまでにして、お着替えも無事に済んだことだし、そろそろ“本題”に入るとしようか、彩花ちゃん?」

 隼人が、まるで何もなかったかのように、再び粘つくような笑みを浮かべ、ビデオカメラを構えながら彩花に近づいてきた。その細い蛇の目が、彩花の体を頭のてっぺんから爪先まで、執拗に、そしていやらしく舐め回す。


「お前の最愛の弟、悠真は、俺たちが責任を持って“丁重に保護”してやっている。まあ、ここ数日、少しばかりやんちゃが過ぎたんでな、俺たち流のやり方で、ケジメの付け方ってもんを教育的指導してやってる最中だ。無事に、五体満足でその腕の中に取り戻したければ、お前には、これから俺たちが提示する三つの条件を、素直に、そして誠意をもって受け入れてもらわなきゃならねえ」

 龍也が、重々しく言葉を続ける。その声は、どこまでも冷たく、交渉の余地など一切感じさせない、絶対的な最後通牒だった。


「一つ、お前が現在店長を務めているコンビニエンスストア『サンライズマート』の経営権利書。もちろん、土地と建物、全ての権利を俺たちブラッククロウに譲渡するということだ」

「二つ、その店の金庫に現在保管されているであろう、全ての売上金。一円残らず、だ」


 そして、龍也は一呼吸置くと、その金色の瞳をさらに細め、まるで獲物を嬲るかのように、ゆっくりと、そして残酷な言葉を続けた。


「そして三つ目……それは、お前自身が、今日この時から、俺たちブラッククロウの“専属慰安婦”となることだ。もちろん、お前のその可愛らしいハムスターの体を使って、俺たちメンバー全員を、心ゆくまで“楽しませる”ってことだよ」

「なっ……! そ、そんな……! そんなこと、絶対に……!」


 彩花の顔から血の気が完全に引き、言葉を失う。店の権利書と売上金なら、まだ何とか……いや、それすらも彼女にとっては到底受け入れられるものではない。だが、専属慰安婦とは……それは、彼女の人間としての尊厳を、女性としての全てを、完全に踏みにじる、あまりにも非道で、そして許しがたい要求だった。


「冗談じゃ……ありません……! 私が、私がそんなこと……できるはずが……ありません……!」

「ほう、できない、と? なら、お前の可愛い弟のことは、もう諦めるってことでいいんだな? あのガキ、なかなか見所があるぜ? 骨があるし、根性も据わってる。俺たちの手でじっくりと“可愛がって”やれば、数年後には、ブラッククロウの立派な幹部候補生に育つかもしれねえ。まあ、その前に、ちょっとした“不慮の事故”で、手足の一本や二本、あるいはそのちっぽけな命そのものが、この世から綺麗さっぱり消えちまうかもしれねえがな。それでもいいのか?」


 龍也の言葉は、紛れもない、そして一切の情け容赦もない脅迫だった。彼の金色の瞳が、愉悦の色に細められ、その唇には残忍な笑みが浮かんでいる。


 隼人が、すかさずビデオカメラを、涙ながらに首を横に振る彩花の顔へと向けた。


「いいぜぇ、その絶望に歪んだ美しい顔! これだよ、これ! 俺様が見たかったのは! この映像、編集してネットに流せば、世界中のマニアがよだれ垂らして群がってくること間違いなしだぜ? タイトルは、そうだな……『哀れなハムスターの姉、愛する弟のために自ら汚れなき身を捧げる物語』ってのはどうだ? グヒヒヒ……たまんねえなぁ、おい!」

 カメラのレンズが、冷たい機械の目のように、彩花の流す涙と、恐怖に引き攣る表情を、容赦なく、そして克明に記録していく。


「や……やめて……ください……! お願いします……悠真だけは……悠真だけは絶対に助けてください……! その子の命だけは……!」

 彩花は、もはや立っていることもできず、その場に両手をつき、必死に頭を下げて懇願する。小さなハムスターの耳は、屈辱と恐怖で完全に伏せられ、そのふわふわとした愛らしい尾も、力なく冷たいコンクリートの床に垂れていた。その姿は、あまりにも哀れで、痛々しく、そして絶望的に無力だった。


 龍也は、そんな彩花の姿を、まるでゴミでも見るかのように、冷ややかに見下ろすと、最後通牒を突きつけた。

「取引の期限は、明日の朝、太陽が昇るまでだ。それまでに、お前が一人で、店の権利書と有り金全部を持って、もう一度ここへ来い。もし、約束の時間に遅れたり、あるいは警察にチクるような真似をしたり、誰か余計な奴を連れてきたりしたら……その時は、お前の可愛い弟の、バラバラになった無残な姿を、お前のその目に焼き付けさせてやるから、そう思え」


 その言葉を最後に、龍也は隼人に顎で合図し、彩花を倉庫の入り口まで引きずって行き、まるで汚物でも捨てるかのように、外へと放り出すよう命じたのだった。

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