第2話 破滅する未来と、その人生への備え

 カン、カンッ――!


 陽光降り注ぐ王宮の庭に、風を切る音と、木剣が打ち合う鋭い音が響く。


 時折、相手の鋭い呼気が聞こえる。



 俺は、流麗な剣捌きを見せる少し年上の女騎士、リスティーヌと対峙していた。


 王国近衛騎士団長のオルボスの娘にして、俺の剣の師でもある。


 彼女の真剣な眼差しを受けながら、俺はただ無心に剣を振るう。



 先日、国務大臣ダルフォルネの来訪をきっかけに判明した事実――


 それは、この世界が前世で知っていた『聖女追放もの』の小説の舞台であり、俺がその中で破滅する運命の『悪役王子』だということだった。



 俺は定められた結末に抗う決意を固めた。


 あの日から、俺の日常は破滅する運命に抵抗するための準備期間となった。

 この剣の稽古も、その一環だ。

 

 父王は当初、俺が剣を習うことに難色を示した。


 王子に剣など不要、というのが父王の言い分だった。


 確かに、それは臣下の務めだ。

 しかし、何度も食い下がる俺に根負けし、最後には許可を出した。



 それ以来、鍛錬は一日たりとも欠かしていない。


 俺が与えられた転生特典は『戦うための力』だった。


 女神が俺をいたぶりたいという悪趣味な理由でこの世界へ送り込んだのなら、こんな力は与えない。


 これは、運命を変えるカギとなるはずだ。

 だが、使用回数には限りがある。


 いざという時に備え、切り札として温存するため、今は地道に己の腕を磨くしかない。


 この身体と剣術こそが、土壇場で俺の命運を左右することになるのだから。



「……っ!」


 渾身の一撃をリスティーヌがいなしたところで、今日の稽古は終わりを告げた。


「お疲れ様でした、アレスさま」


「ああ、助かる」



 彼女から差し出されたタオルで汗を拭っていると、小走りで侍女が近づいてくる。


 俺のお気に入りのリリムだ。



「王子、お召し物とお飲み物のご用意ができております」


 俺は悪戯っぽく笑いかけ、彼女が差し出す冷たい水の入ったグラスを受け取った。




 俺の持つ原作知識は、あまりに心許ない。

 前世で読み流した、いくつかの『聖女追放もの』の断片的な記憶、この小説に限っては『あらすじ』だけだ。


 詳細な筋書きも、登場人物たちの胸の内も、何も知らない。

 その朧げな記憶の糸と、転生後に得た知識を繋ぎ合わせると、これから起こるであろう未来――


 確定済みの転落シナリオが脳裏に浮かび上がる。


 まるで舞台の書き割りを見るように。



 二年後、十二歳の誕生日。


 俺は婚約者である本物の聖女ローゼリアを、偽りの罪で断罪。

 そして、追放することになる。


 彼女は隣国ピレンゾルで新たな居場所を見つけ、彼の国は繁栄する。

 一方、我がリーズラグドは聖女の加護という名の儚い奇跡を失ってしまう。


 そして、厄災は静かに迫ってくる。

 大地は痩せ、魔物の脅威に晒され、緩やかに没落へと向かう。



 なんで俺は、本物の聖女を追放するんだ?


 ――それは、わからない。



 理由は定かではないが、

 今は、この筋書き通りに進むと覚悟を決めるしかない。


 理不尽な筋書きに、腹の底から怒りが込み上げてくる。


 結末へのカウントダウンは始まっている。



 猶予は五年――

 運命に抗うための悪あがきを、始めなければ。


 まずは現状把握だ。


 騎士団長オルボスとメイド長ゼニアスから情報を集める。


 この世界には大小合わせて六十八の国がひしめいている。

 その中でも、このリーズラグド王国は、二代続いた聖女の奇跡により、一時の繁栄を謳歌する大国だ。


 三代目聖女ローゼリアの登場により、国中は欺瞞混じりの安堵に包まれている。


 だが、聖女の加護は一年ごとに更新が必要な脆い奇跡である。



 現在、聖女を持つ国は五つしかない。


 加護ある土地では作物が病まず、細い小川すら涸れない。

 国境付近では弱い魔物は霧散し、強い魔物は聖なる気配を嫌って近づけないという。


 その加護が失われれば、繁栄は砂上の楼閣と化す。


 森や山の深淵から湧き出る魔物の脅威に直接晒されることになる。


 大型の魔物は人の手に負えず、天災として扱われるほどだ。




 不安要素ばかりだが、心強い点もある。


 リーズラグドは周辺国からの侵略に備え、北・南・西の国境防衛は比較的堅固だ。



 では、東はどうか。


 山脈の向こうには人が住んでおらず、その先は魔物の領域となっている。

 今は加護で守られているため、防備は手薄なようだ。



 そして気になるのは、聖女ローゼリアが現れた東領を治めるゾポンドート家だ。


 腐臭漂うと噂される大貴族。

 浪費と不正の評判が絶えず、貴族の中でも悪名高い。


 そんな家から都合よく聖女が現れたのは、偶然か、

 それとも物語が聖女を追放する上での必然か……。



 俺は一つ、ため息をついた。


 この状況を踏まえると、避けねばならぬ道筋はいくつも見えてくる。



 第一に、聖女の加護喪失による飢えへの備えだ。

 農業技術の革新、食料備蓄、そしてそれを担う人材の確保が急務となる。


 第二に、加護が消えれば牙を剥く魔物への防備。

 国の軍備だけでなく、俺自身の『力』も切り札となる可能性がある。


 第三に、聖女追放劇の真相究明――

 だがこれは、半ば諦めている。


 俺自身に追放する意思はないのに、未来はすでに決まっている。


 下手に動けば、事態がより悪化する危険もある。



 王子の身でできることは限られるが、まずは食料問題と人材確保に注力する。


 五年以内に備えを固めるため、信頼できる味方を増やしていく。 

 窓の外に広がる城下の営みを眺めながら、俺は静かに決意した。




 そして情報収集と、仲間集めを行おう。


 『退屈しのぎに街に出たい』――

 そんな名目でゼニアスに城下町への外出を願い出ると、護衛付きで許可が下りた。


「王子、外出の際は必ずこの者たちと」



 俺の『護衛は美人で、使えるやつを』という我儘を、メイド長なりに考慮してくれたらしい。


 護衛は三人とも整った顔立ちをしている。



 ゼニアスが俺の部屋へ彼女たちを連れてきた。

 

 磨かれた床に立つ三人。



 シーネ――弓兵。

 窓から差し込む光を背に、温厚そうな表情で俺を見つめている。


 ライザ――諜報員。

 酒場の喧騒が似合いそうな快活な笑みを浮かべている。その動きは猫のようにしなやかだ。


 そして、リーナ――暗殺者。

 まるでそこに存在しないかのように気配を消し、小柄な影のように佇んでいる。


 王家が設立した影の組織、暗殺ギルドの一員だ。



 彼女たちは皆、俺の護衛にふさわしい実力者らしい。


 さらに、剣の師であるリスティーヌが監視役として加わることになった。



 俺は嫌われるためにデザインされたキャラクターだ。


 その定めを覆すには、頼れる仲間の存在が不可欠である。

 まずは彼女たちと、親睦を深めるところから始めよう。

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