聖女を追放した国の物語【リメイク版】

猫野 にくきゅう

聖女を追放した国の物語

第1話 破滅する運命


 俺には前世の記憶がある。


 社畜として使い潰され、無機質な病室の天井を見上げながら、静かに死を迎えた男の記憶――。



 だからこそ、転生するなら穏やかな日々をと願った。

 だが、目覚めたのは緑豊かな辺境ではなく、冷たい石造りの城の一室だった。


 生まれ変わって与えられたのは、アレス・リーズラグドという王子としての運命だ。



 のんびりと暮らしたかったのだがな。





 物心がつく頃に前世を思い出し、俺は今、十歳になった。


 鏡に映る自分の顔を見ると、自然と笑みが浮かんだ。


 顔立ちは気に入っている。

 陽光を弾く金糸の髪に、空の色を閉じ込めたような碧い瞳。


 良いじゃないか。

 自分で言うのもなんだが、整っていて綺麗だと思う。


 ただ笑顔だけは気を抜くと、なぜか人を小馬鹿にしたようになってしまうので注意が必要だ。



 

 ここは剣と魔法、そして古い慣習の香りが漂う中世風の世界。


 俺はこの国の第一王子で、次期国王。

 ――つまり、生まれながらに『責務』を背負ってるってわけだ。


 理想の転生とはそこが違う。


 だが、王子としての義務さえ果たせば、与えられた権力を享受し、好き放題に生きられる。

 権力者の座というのも悪くはない。



 そういえば、転生する前、女神と名乗る存在と話した記憶がある。


 名前は――

 メルド……だったか。


 曖昧な記憶の中に、その存在がぼんやりと浮かぶだけだ。


 彼女が言うには、この世界は彼女の気まぐれな『試作品』であり――

 どこかの小説をなぞって創られた舞台なのだという。


 そして、俺がここへ送られた理由は、『この世界のあるキャラクターと相性が良い』からだとか。


 そのキャラクターというのが、他ならぬこの俺というわけだ。




 女神からは転生特典として、戦うための力も授かった。

 だが、王子という安楽な立場にいる今の俺には、剣を取る機会すらない。


 なんで、こんな加護なんだ?


 与えられた力は持て余しており、ただそこにあるだけのもの―― 

 まるで、この豪奢な寝台と同じように。



 ある昼下がり、象牙の駒が並ぶ盤面を挟み、俺はお気に入りの侍女リリムとチェスに興じていた。


 彼女は男爵家の三女で、俺と同い年の、可愛らしい小動物のような少女である。



「リリム、チェックメイトだ。……さあ、約束を果たせ」


「そ、そんな……! アレス様、メイド長に見つかったら、私……!」


 リリムの瞳が不安げに揺れる。


「少しスカートをまくるだけじゃないか。それだけのことだろう?」


 勝負は俺の勝ちであり、彼女に否と応える術はない。



 観念したリリムはスカートの裾をつかみ、顔を赤らめながらそれを持ち上げていく。


 だが、太もものあたりで動きが止まる。

 肌を見せるのが、よほど恥ずかしいのだろう。


 ――持ち上げるのは無理か。




 まあ、この辺で許してやるか。


 あまりやりすぎると、母上がうるさい。



「リリム、もういいぞ。――許してやる」


 俺もこいつを泣かせたいわけじゃない。



 お気に入りの侍女の恥じらう姿も堪能できた。


 それでよしとしよう。


 さて、頭脳労働の後だ。糖分でも補給しようか。



 俺がリリムに茶と菓子を用意させようとした、その刹那――

 静かなノックの音が部屋に響いた。


「失礼いたします、アレス様」


 扉の向こうから現れたのは、感情を凍らせたような視線を持つメイド長のゼニアスだった。



「……どうした、ゼニアス。珍しいな」


「申し訳ございません。急ぎの用件が……あら? リリム、どうかしましたか?」



 温度のない視線がリリムを射抜く。


 リリムの顔はまだ赤い。ゼニアスが訝しむと、リリムは事の次第を報告する。




「前にも申し上げましたが、リリムへのご贔屓は程々になさいませんと」


「いいだろ、別に、あれくらい」



 王子なのだから、この程度のいたずらは許されると思っていたが、現実はそう単純ではなかった。


 リリムへの贔屓を問題視した母である王妃が、メイド長ゼニアスに「アレス王子によるリリムへの過度な接触を禁ず」と厳命したのだ。



 お陰で監視の目は強化され、リリムへの手出しも制限されている始末だ。


 ゼニアスは全てのメイドに、俺からのセクハラに類する行為があれば報告するよう義務付けている。


 ふぅ。

 まったく、堅苦しいことだ。






「アレス様、女性への関心が高いのは、結構なことでございます」


 だろ? 俺は王子だからな。



「ですが、相手や頻度に偏りがありすぎると、政治的な問題にも発展しかねません」


「その辺は、ゼニアスが上手くやってくれれば済む話だろう?」


 俺のフォローは、お前の仕事だ。



「私の役目はアレス様のご寵愛を管理し、王妃様にご報告することにございます」


 俺はゼニアスに説教されながら、応接室へ向かっている。


 国務大臣が面会を求めているらしい。



 だが、その前に――

 やることができた。



 メイド長のグラマラスな身体を眺めていたら、悪戯心が湧いてきてしまってな。


 国務大臣は後回しだ。



「では聞くが、ゼニアス。俺には誰が相応しいと考えているんだ?」


 そう言いながら、腕を伸ばしてゼニアスに仕置きする。



「……ッ!」


「どうした? 女性への関心が高いのは、結構なことなのだろう?」



 この俺に逆らった罰だ。手に力を籠める。



「どうなんだ、お前を愛でるのは問題ないのか?」


 メイド長は声こそ上げなかったが、その身体を、びくっと震わせた。



「あ、あの……! それは王妃様がお決めになることです……!」


 ゼニアスは頬を染め、狼狽の色を隠せずにいる。


 この反応は悪くない。


「それで、なんとかいう大臣の用件は?」


「……こほん! 国務大臣ダルフォルネ様は、四大貴族の一角を成すお方でございます。国王陛下の信任も厚い、清廉な実力者として知られています」





 応接室には、研ぎ澄まされた刃のような鋭さを持つ男――

 国務大臣ダルフォルネが控えていた。


 促すと、彼は席に着き、静かに口を開く。


「はっ。アレス王子、貴方様のお耳に入れておかねばならぬ、国家の重大事が……」


 ……重大事?

 黙って先を促す。


「我が領内に、地母神ガイア様の祝福を受けし、次代の「聖女」が降臨されました」


「……ほう」



 ん? 聖女――

 あの女神が口にした「小説」。


 物語の歯車が、軋みを上げて動き出す気配がした。



 ダルフォルネは重々しく口を開いた。


「――我が領内にて、地母神ガイア様の奇跡を顕現させる乙女を見出しました。その祈りは痩せた土地に実りをもたらし、まさに次代の聖女と呼ぶにふさわしいお方。私は慎重にその真偽を見極めた上で養女とし、この度、満を持して陛下にご報告に上がった次第。……しかし、時すでに遅く、王都では既に別の娘が『聖女』として教会に認定されておりました」


「それで、なぜその話を俺に?」



 ダルフォルネは僅かに顔を伏せ、告げる。


「その……教会が認定した偽聖女ローゼリアが、アレス様、貴方様の婚約者に内定した、と」


「――ッ!」



 ローゼリア、だと。


 その名を聞いた瞬間、俺は思い出す。

 凍りついていた記憶の断片が、ひび割れ、蘇るのを感じた。


 ああ、そうだ。


 転生した小説世界の概要に、ようやく思い至る。



 この世界は、本物の聖女ローゼリアが断罪され、追放されることから始まる物語の世界。

 

 『あらすじ』だけ読んだ記憶のある、あの小説の筋書き通りに進むなら、この国は滅びる。



 そして、俺は――

 断罪劇の仕掛け人。


 偽聖女と結託し、本物の聖女ローゼリアを追放したことで転落するキャラクター。


 読者から『嫌われるため』に創られた存在、王子アレスなのだ。



 女神が言っていた「相性が良いキャラクター」とは、この役のことだったか!


 くそ! どうして、こんな役回りを押し付けた?

 狙いは何だ――


 いくら考えても、答えなどわかるはずもない。


 ……ああ、なんてことだ。

 穏やかな日々など、最初から幻に過ぎなかったのだ。



 破滅への秒読みは、もう始まっている。


 この国は、俺と共に滅びる運命を背負って、どこまでも転がり落ちていく。


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