第20話 神様、海底王国で魚人に布団を教える

「海の者に、眠りは不要だ。目を閉じれば――喰われるだけよ」


 冷たい声が響く。

 ここは、深海の王国ナギ=ウーミア

 水圧と暗黒の世界に築かれた、魚人族の都市である。


 案内役は、イルカのような滑らかな身体を持つ戦士リュオ

 彼の話によれば、ここの住人は一生、眠らずに泳ぎ続けるという。


「立ち止まれば、沈む。それがこの海の掟」


 彼らの言葉には、一種の緊張感が常に漂っていた。

 瞼を閉じることすら、隙とされる文化。


 当然、布団など存在しない。寝室もない。


「つまり“寝る”という概念が……文明から欠落してるのか」


「怖すぎる……メジェド様、なんとかしてくださいっ」


 


◇ ◇ ◇


 


 俺は、水中でも展開可能な特殊布団、

 **「水耐性ふわもこスリーピングポッド」**を持ち込んだ。


 これは海水を通さず、内部に空気を保持し、

 温度調整・圧力均衡・自動脱水機能まで備えた最新鋭ふとん。

 完全密閉型のふわもこドームである。


「これが、“眠るための繭”だ」


「……これは、まるで卵のような」


 リュオがじっと見つめていた。


 


◇ ◇ ◇


 


「実際に試してみないと分からんだろ?」


 俺は例によって、王宮に出向いて王に掛け合った。

 ナギ=ウーミアのザ=メルゴは、鰻のように滑る長身の魚人だった。


「我らの民に、静寂の刻を持ち込むというのか?」


「休むことが、命を繋ぐんだ。止まってみて初めて、見える世界もある」


「ならば証明せよ。お前自身が“寝て生き延びる”と!」


 


◇ ◇ ◇


 


 海底闘技場にて。

 俺は水中ポッドの中に入り、**30分の“沈黙試験”**に挑むことになった。


 その間、周囲には高速で泳ぐ肉食魚が放たれ、

 少しでも外に漏れ出す匂いがあれば襲いかかる。


「こんな緊張感の中で……寝るってのか……」


 ポッドの中、耳を澄ます。


 心音が、ゆっくりと……深く……遠のいていく。


 やがて、波のような揺らぎが訪れる――


「すやぁ……」


 眠った。完璧な睡眠だった。


 


◇ ◇ ◇


 


 試験終了。

 俺は無事に目を覚ました。

 肉食魚は近づくことすらできず、ポッドは一切の揺らぎも見せなかった。


「……生きている」


「しかも……目覚めの顔が、笑っている……!」


 リュオは衝撃を受けていた。


 


◇ ◇ ◇


 


 その夜、魚人族の中で**初めて“眠る者”**が現れた。

 それはリュオだった。


「……少しだけ、閉じてみようと思う。目を」


 ポッドの中、彼は静かにまぶたを閉じた。


 そして――深海に響いた、穏やかな寝息。


 


◇ ◇ ◇


 


 数日後、ナギ=ウーミアでは**“休息の殻”**として、

 ふわもこポッドが配備されはじめた。


 水中で安全に眠ることは、若い魚人たちにとって衝撃であり、

 そして希望だった。


「目を閉じることが、逃げじゃないと……我らも知るべきだったのだな」


 ザ=メルゴ王は静かに頷いた。


 


◇ ◇ ◇


 


 アリアがこっそり俺に言った。


「なんだか……メジェドさんって、“眠りの伝道師”って感じですね」


「ふわもこは、世界を繋ぐ――海の底から、空の上までな」


 そして俺たちは次なる地へ向かう。


 噂によると、眠ることを“罪”とする神殿国家があるらしい。

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