【BL/短編】午後四時、虚ろな黒に喰われる。

根寿満

午後四時、虚ろな黒に喰われる。

 昼休みの校舎裏、雑草が芝生のように茂る地べたに座る俺達。彼は胡座をかいていて、俺はその太ももに膝枕をする体勢になって、身を寄せ合っていた。


「……っ、あのさ」


 掠れた声が出て、恥ずかしくなる。俺は今、後輩である彼に膝枕をしてもらいながら、長い指でくすぐられるように、頭を撫でられている。


「なんですか、先輩」


 猫の喉鳴らしのような声音。


 後輩は、焼きたてのホットケーキのような柔らかさと甘さで、俺を包みこんでくれている。


 俺はもう、この甘さなしではやっていけない。


「……先輩?」


 後輩が俺の様子を伺うように覗き込んでくる。面が良い、やっぱりドンピシャで好みだ――――いや、そうじゃない、なんてこった、あまりの気持ち良さに言葉を置き去りにしてしまっていた。


「えぇっと、その、な……」


「うん」


「……気持ち良いよ、お前の触り方」


「……そうですか」


 彼は、垂れた花が綻ぶように、微笑んだ。例えるなら、藤の花のような。


 そして、彼は再び、俺の頭を撫でる動作を再開する。


 優しい手つき、その仕草に嘘はない。


 だが、そこに恋情のような熱は、おそらく一滴も含まれていないのだろう。


「……お前、さ」


 彼の目を見る。光さえ飲み込んでいそうなほどに黒く沈んだ色の瞳には、茶髪で軽薄そうな男子生徒の顔が映っている――ああ、俺か。


「俺のこと、どう思ってるんだ?」


 困らせるかもしれないと思いつつも、聞かずにはいられなかった。


「……そうですね」


 彼が僅かに目を細めたのを、俺は見逃さなかった。


「大切に思っていますよ、先輩のこと」


 彼は、細く長い指でするりと俺の髪を梳かし、返答の花弁を落とした。 


「……そうか」


 花弁が落ちきるよりも前に、熱で溶かした飴を伸ばした透明な線が見えた。彼が引いた、優しい境界線だ。


 俺の“好意”は、彼の中ではきっと雑音でしかない。丁度今、空を通過していくやかましいヘリコプターさながら、煩わしいものだと思う。だから、伝えることはしない。


 彼は俺の好意に気づいている。気づいていながらも、完全な無視はせず、さり気なく掬って、流れの緩やかな川に移される。


 俺は、彼のそんな気遣いに、こうしていつまでも甘えたままでいる。




* * * *





 赤い夕暮れに染まる放課後、俺達は視聴覚室にいた。映画研究部としての用途目的として鍵を借りて、ここに入った。


 一応、突然教師が入ってきた場合の口実として、持ち込んだDVDを流しているが、ふたりでこうしてたむろすることだけが目的なので、映画の内容はろくに見ていない。


 思いついたことがあれば、ぽつぽつと雑談を交わす。甘くて緩くて、薄っすらと不健全な時間。


 彼は気が向いた時に俺の頭を撫でて、髪を触ってくる。俺は好きに触らせている。俺も彼を触る事がある。


「飴細工ってあれだな、ガラス細工っぽいよな。飴細工職人さんが作った金魚飴を見たことがあるんだけど、あんなのもったいなくて食べれないよ」


「ふふふ……」


「なんだっけあれ、ケイドロじゃなくて……缶蹴りだっけ、缶蹴りってしたことある?」


「ありますよ、小学生の頃に。なかなか面白い遊びでした」


「へぇ……インドア派だと思ってたから、ちょっと意外。缶蹴り、楽しいよな」


「昼休みになると半ば強制的に校庭で遊ばせられる曜日があって、僕はそれが嫌いだったんですけど、缶蹴りは楽しかったです」

 

「お前の手、綺麗な形してるよな」


「……んふっ」


「LEDランプって、黄色いだけで感じ方が変わってくるの、不思議だよな。俺、あひるの形のシリコンランプ持っててさ……」


 おそらく、傍から聞いたら無益な、他愛も無いやりとり。けど俺にとっては、何にも代えがたい癒しの時間だ。


「……先輩」


 会話の間が空いたときを狙ったかのように、彼の方から俺に問いかけてきた。


「どうして、僕と一緒にいてくれるんですか?」


――――聞くんだ、それ。


 俺はつい身構えてしまった。身体のこわばりが、おそらく丁度俺を触っていた彼にも伝わってしまったのか、少しだけ申し訳なさそうな顔をさせてしまった。


「すみません、どうしても気になって」


 別に謝ることではないのに、心苦しくなってしまうじゃないか。そんな顔されては――俺は可哀想な顔をした、可愛い後輩の頭を撫でる。


 意を決して、正直に答えることにした。


「……多分さ、俺、人から“好かれる”のが怖いんだ」





* * * *





 俺は、昔からよく、人に期待されたり、理想を持たれることが多かった。


 というのも、中学生の頃までの俺は、結構な優等生男児として生きてて、髪だって黒髪のサラサラストレートヘアだった。


 立ち振る舞いも今と違って、いわゆる好青年で真面目な男の子、だったんだと思う。


 親からはレベルの高い進学校や立派な企業に勤める将来を期待され、同級生からは勝手なイメージを押し付けられてきた。


 けど、そう思われるように振る舞ってきた俺も、良くなかったんだと思う。


 中学三年の時期、とある女子生徒に告白された。可愛いかったし悪い気はしなかったので、俺はその告白を受けて、交際することとなった。


 けれどもその女子生徒は、俺に理想を抱き過ぎていた。


 例えば、相違のない俺の噂に対して、「そんなことする人じゃない」とか、俺が好きなモノに対して「貴方っぽくない、似合っていない」だとか、とにかく俺に対するイメージが彼女の中で出来上がり過ぎていて、それを常々押し付けられてきた。


 押し付け度合いは段々とエスカレートしていって、正直なところ別れ際の彼女の、俺に対する態度や発言は半ばモラハラ化していたと思う。


――――お前が好きなの理想化した俺であって、それは俺じゃないだろ。


 彼女と大喧嘩になった日のこと、俺が彼女に放った、最後の言葉。


――――誰も好きにならないよ、本当の貴方なんか。


 それが彼女から言われた、最後の一言。


 後日、彼女の方から連絡先もブロックされて、学校でも話しかけられなくなった。つまり、破局した。


 あの日の言葉が、喉に刺さったまま、俺自身の言葉はせき止められてしまった。きっと、彼女の言葉の通りだったから。


 本当の俺は、優等生でも真面目でもなかった。


 始まりは、親に褒められたくて勉強を頑張った。次に、友達がほしくて、友達が求める像を考えて、それに近い人間として生きるようにした。そうしているうちに、周りから愛されるようになった。


 けれどそれは本当の俺ではなかった。皆、創り上げた虚構の俺を愛していただけに過ぎなかった。


――――じゃあ、本当の俺が愛されるようになればいい?


 わからない、そもそも何が本当の俺なのかが、見当もつかない。今だって、茶髪にしてピアス穴を開けてみたりして、授業をサボったり勉強することを放棄したりしてみたって、これが本当の俺とは言い難い。  


 今までの俺と周りの人間に対して、反抗的になってヤケを起こしてるだけでしかない。それくらいわかってる。


――――“好かれる”のが、怖い。


 例え、何も無い俺を好きと言ってくれる人が現れたとして、何を好きになったと言うのだろう?


 仮に、虚無を愛したいのなら、俺ではなく架空のキャラクターに恋をするほうが、何も幻滅せずに済むはずだ。


 高校に入ってから、俺に好意を抱いて近づいてきた女子生徒に、「貴方は何も無い、空っぽなのがいい」と言われたことがあった。


 無性に気分が悪くなったので、俺はその女子生徒を壁に追い詰めて、耳元で思いつく限りの愛の囁きと性的な欲求を囁いた。


 すると女子生徒は青ざめ、「無理、こんなの違う、吐きそう」などと小声で呟き始めたので、本当に吐かれたら嫌だなと思い離れてあげた。女子生徒はそそくさと逃げていった。


 滑稽だった、自分から好意を持って寄ってきといて、相手から好意らしきものを向けられると拒絶して、なんて無責任なんだろうと笑った。


――――いや、俺も同じか……。


 他人からの愛が欲しくて、偽りの自分を創り上げて、それに寄ってきてくれた相手を“他人に理想を押し付ける勝手な奴ら”だとレッテルを貼って、拒絶して……なんて自分勝手な人間なのだろう。


 創り上げた自分を壊したけど、そこには何も残らなかった。


 何にもない俺が、こうして何でもない時間を、可愛い後輩と隣り合って過ごしている。なんて平和なのだろう。


「……お前はさ」


 彼から目を逸らして、問う。


「俺のこと、好きじゃないだろ?」


 彼は、沈黙したまま俺を見つめていた。


「……嫌いじゃないですよ」


 拒絶はしない。けれども、踏み込んでは来ない。


 他者と関わることが怖くなってしまった俺には、彼との距離感は、ぬるくて心地が良かった。





* * * *





 初めて彼と会ったのは、こうして視聴覚室で映画を再生していた日のことだった。


 ウチの映画研究部は、部活所属をしている免罪符が欲しいだけの幽霊部員だらけ。


 ただ意味もなくDVDを垂れ流しているだけの俺ですら、まともに部活動をしている部類に入る。俺は家になるべく帰らずにいられる口実ができれば、何でもよかった。


 彼は、無言でここに入ってきた。そして俺の隣に座った。


 最初こそ驚きはしたが、俺は何も言わなかった。彼も何も言わなかったから。彼の右側のこめかみと左側の口端についた青痣を見たら、何も言えなかったから。


 彼の噂は常々聞いてはいた。背が高くて見目も良いから目立つ。


 女でも男でも誰彼構わず受け入れる、けれど誰にも執着はしない、軽薄な男。だから、敵も多いらしい。それでも彼を求める人がいる。


 一見すると、髪も染めていない、何物にも染まっていない様子から真面目そうな印象。


 けれども、誰にも執着はしない、というのは本当なのだろうと思った。纏う空気が、あまりにも虚ろだったから。


――――コイツは、俺を好きにはならない。


 そう確信した。


 だから俺は、安心して彼を好きになることにした。「形だけでも良いから部員にならないか?」と、俺から声を掛けた。


 彼は「サボれて寝れる場所があるなら、いいですよ」と答えた。俺が色んなサボり場所を知っていることを教えると、彼は俺について回るようになった。


 サボったり、時間を潰す為に向かった先々で、俺達は身体をくっつけて、時間を過ごした。


 何をするわけでもなく、惰眠や、脈絡もオチもない雑談を交わし、空が赤く染まっていく時間を共にした。


 彼のことを、恋愛的に好きかと言われたら、正直なところ、即答はできない。


 けど、今までに出会ってきた人達よりかは、多分、彼との方がキスできると思う。


 だが俺が彼とそういった関係になることは、今後一切無いだろう。俺はこの距離感を、なるべく長く保ち続けていたいから。


 彼の指が、俺の額に触れる。そして眉間の皺を伸ばすように、指先で優しく揉んでくれる。


「お前は、依存できる相手を探してるだけ……そうだろう?」


 自分でもゾッとするくらいに穏やかな声音が出た、ちょっと気持ち悪い。


「…………そうでしたね」


 彼は静かに返す。やっぱり、耳障りの良い声。


――――どうして、僕と一緒にいてくれるんですか?


 彼の問いに、ちゃんとした返事をしたかった。


「俺は、俺を嫌わない相手を探していた。何も無い……どころか、適当で無益な時間を過ごすしかしない、処理に困るゴミみたいな俺でも、赦してくれる相手を」


 真っ黒な彼の瞳を見ながら、答える。


「だから、お前といるんだ」 


 もしも、彼が俺を拒絶する時が来たのなら、以降俺が誰かを好きになることは極めて難しくなってくるだろう。


 “好きになってみる”という、軽い気持ちから始めた気持ちだったが、俺からは簡単に手放し難いくらい、この気持ちは膨らんでしまっていた。


 お前は俺を好きにならない、俺もお前に好きとは答えない。都合の良い時に寄り添う、それ以外は求めない。


 だからどうか、ギリギリまで俺を止まり木にしてはくれないだろうか――――なんて、口にして伝えたら、告白並みに重くなるだろうから、言わないでおく。


 彼は、何も答えない。ただ俺を見つめている。本当に面が良いなコイツ、女の子だったらさすがに我慢できずに一線超えてたかも……同性な上に、俺より背の高い男で良かった。


「……あ、白髪発見」


 窓から射し込む光に、さらりと照らされる、彼の若白髪。黒髪だから余計に目立つ。


「え、ホントですか」


 嫌だなぁと言って、彼は不服そうに白髪を隠そうとする。


「抜いていい?」


 俺はふと思い立ち、彼の前髪を撫でながら頼んでみる。彼は少し考えてから、「一本だけあるなら、別にいいですけど」と渋々言った。


 彼の若白髪はいくつか見えたが、一本あれば充分だ。にしても、苦労しているのだろうか、可哀想に……部分白髪染めでも買ってあげようか。


 俺は、彼の髪の毛から、特に目立つ白髪を一本だけ抜いて、それをポケットテッシュで包み、生徒手帳に挟んだ。


「……何にするんですか?」


「お守り」


 大切な人の白髪を御守りにすると、幸せになれるのだと、亡くなった祖父母から教えてもらった。


 彼に依存して、こうして白髪をたかる俺を客観視して考えてみると、寄生虫みたいで気持ちが悪いなと思った。嫌われてないだろうかと心配になり、彼の顔色をうかがう。


 彼は、笑っていた。予測できなかった、照れくさそうな笑み。嫌がる様子はなく、ただ「作ったら見せてくださいよ」と、いつもの雑談で話す声と似た穏やかな話し方で、そう言った。


 彼は俺を好きにならない。でも、こうして傍にいてくれる。


 それだけでいい。それ以上は要らない。それ以上が訪れたら、もしかすると俺は、壊してしまうかもしれない。


 今くらいの幸せでいい。今だって、身の丈にあっていない幸せを貰ってると思ってる。俺は欲張りだから、貰い過ぎなくらいが安心する。


「……先輩」


「ん?」


「俺の気持ち、勝手に決めつけないでくれますか」


 一瞬、空気が張り詰めたように感じた。再び彼の顔を見てみると、彼は笑っていなかった。眉を僅かに寄せて目を細めながら、俺を見据えていた。


「先輩は僕のこと、そこまで軽薄な人間だと思ってるんですね」


 叱るような、けれどもどことなく柔らかくて、重々しさを感じる囁き――怒っているのだろうか。


「適当で無益なゴミなんか、赦すわけないじゃないですか」


 針で突き刺されたみたいに、胸が痛んだ。


 その通りだと思う。赦されるわけがなかったんだ――俺は内心、慄いた。


「他人の言葉にいちいち傷ついて怖がって……ただのゴミが、そんな面白いわけない」


 いつの間にか、手を掴まれていた。まるで逃さないように、強く。


「僕が先輩と一緒にいたのはね、あなたが面白かったからですよ」


 彼の声音が、優しい色に変わっていく。俺を掴む手が、緩やかに巻きついてくる蔦のように感じた。


「先輩には無理ですよ。割り切った関係性を分かった気になったような線引きなんて、無駄です」


 気がつけば、彼の真っ黒な瞳が目と鼻の先まで迫っていた。


「だってもう僕のこと、結構好きじゃないですか。白髪を欲しがるくらいに」


「え、ごめ」


「謝罪なんて要らないです。もう僕、言いますからね。どうせあなたは僕から離れられないでしょうから」


 肩と頭を掴まれて、柔らかく湿ったものが、俺の唇に触れた。


「愛してますよ、先輩」


――――そこから先は、彼の熱や吐息しか覚えていない。

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【BL/短編】午後四時、虚ろな黒に喰われる。 根寿満 @nezumichan

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