2 試練の教習所通い

 それから一週間は嵐のようだった。周辺の教習所に電話をかけまくって、手だけで運転できる教習車があるところを確認し、区役所の窓口で補助金の申請書類をもらい、気の早いことにディーラーまで回ってきた。僕はそのいくつかに立会い、時に爆発しそうになる君をなだめ、落ち込んだら励まして、なんとか教習所に入学するところまでこぎつけた。




 リハビリを続けながら、復帰したばかりの仕事をこなし、それに教習所も加わって、君は多忙な日々を過ごした。


「教習所で特に困ることはないの?」


「そうね、大体バリアフリーになってるから。ただ、送迎バスのステップが高くて乗りにくいかな」


 実際に日常生活で君ができないことはそれほど多くはない。せいぜい、重いものを持つことや、階段を駆け上がることくらいだろう。でも、何かに挑戦する際には、小さな困難が思わぬ障壁になることもある。


「でも、大丈夫。新しい世界を広げるんだもの。送迎のバスが古いことなんて、大したことじゃないわ。運転だって慣れればいいだけだし」




 強がってはいたが、実際に車を動かすようになると、君は毎日眉をハの字にして教習所から帰ってきた。


「そんな顔するなって。ほら笑って笑って。新しい世界を広げるんだろ?」


「だって…」


「どうしたの?教官に何か言われたとか」


 君は難しい顔のまま、こくんとうなずいた。


「ちょっと年季の入った、穏やかなおじさんなんだけどね。神山さんは車の運転を習いに来たんでしょって」


「まあ、それはその通りだよね」


「こんなスピードでは子供の三輪車に抜かれますよって」


 三輪車に乗った女の子が、君の運転する車を追い抜いていく姿が思い浮かんで吹き出しそうになったのだが、怒りの標的にならないように僕は懸命に笑いをこらえた。


「でね、『秘密兵器』を導入することにした」


 君は瞳を輝かせると、四角い箱を出してきた。


「何これ?」


「ハンドルとギヤがついたコントローラー。ゲーム機につなぐの。ペダルは無いからちょうどいいでしょ」


「あんまり役に立つとは思えないけどなあ」


「職場にゲームとクルマ、両方好きな人がいて相談したら、これが本格的だよって教えてくれた」


 君が差し出したのは「シティグランプリ」、改造車が首都高を疾走するイラストが描いてあった。本格的には違いないが、三輪車に抜かれるドライバー向きではない。


「とにかく、がんばってみるから」




 しばらくして、僕が先に帰っていた日、難しい顔をした君が教習所から戻ってきた。僕はご機嫌をとろうと、松葉杖を受け取ってとりあえず食卓に座らせた。


「お帰り。どう、グランプリ特訓の効果は出てきた?」


「教官にね、言われた」


「今度は何だって?」


「神山さん、もう少し加減ということができませんかって」


「加減?スピードのこと?」


「そうみたい。『確かに速くはなったけど、乱暴過ぎます。私も長く教えているけど、場内で車酔いしたのは初めてです』って」


 今度は我慢できずに爆笑してしまい、君に真剣に睨まれることになった。少しして、ようやく表情を緩めた君は口角をあげて言った。


「でも、免許がとれたら、色々便利だよね。雨の日とか、駅まで迎えに行ってあげるから。ゆうちゃんも楽しみにしててね」


 突然、君の表情が透明なものに変わった。


「私ね、時々走ってる夢を見るの。本当はそんなことできないのに。だけど今日車で走っていて思ったの。風を切るって素敵だなって」

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