ずっと一緒に

末ちゃん

1 職場復帰と新しい挑戦

 食卓には白いプレート皿が並び、スクランブルエッグやトーストがのっていた。南向きの部屋に四月の陽光が差し込んでいる。君は松葉杖を両脇にはさんで食卓の横に立ち、紙パックのジュースを僕のグラスに注いだ。


「これ、新しい野菜ジュース。しばらくお弁当は作れないので、野菜不足にならないように」


「いよいよ今日から仕事だね。ずいぶん長く休んでた気がする」




 昨夜、君はなかなか寝付けずに寝返りを打っていた。職場への復帰を前に、君なりの緊張感を抱いていたはずだ。


「私は先に済ませたから。食べ終わったら後片付けはお願いね。あと戸締りを忘れないで」


「優理」


「何?」


「装具はしていくの?」


 あの事故の後、リハビリでは両足を支える補助具を使っていた。リハビリは進んでいたが、一歩家の外に出るとまだ不安があった。人目は引くが、足を支える装具を付ければ歩行は安定する。


「右だけね。でも心配しないで大丈夫だから」


 膝下までの白いスカート、黄色のクルーネックに同系色のカーディガン。右足に装具をすれば、すぐ出勤となるに違いない。




「いや、全然心配はしてないよ。ただ、何かあったらすぐ連絡してね。線路に飛び降りるのだけは止めてほしいけど」


 きわどい冗談だったが、君の顔にかすかな微笑みがよぎったのを見て僕は安心した。でも、やはり無粋な指摘はしないといけないようだ。


「あのね、『よし、行くぞ』って力が入ってるところに申し訳ないんだけど」


「だから何?もう行かなきゃ。早く言って」


「まずね、カーディガンが裏表反対だよ。首の後ろにロゴのラベルが見えてる」


 え、ホント?と言って、君は首を回して襟元を覗き込み、さらに袖口やボタンを確認して、ようやく間の抜けた服装に気付いた。


「それにね、優理。時間を勘違いしてない?」


「え?だって、ゆうちゃんも起きてきてたし」


「夕べ言っただろ。今日は遠くの得意先に直行するから早く出るけど、起きなくていいよって。いくら余裕をもって出かけるにしても、早過ぎるだろ?」


 君は壁に掛けた時計で時刻を確認すると、眉をハの字にしてバツの悪そうな顔をした。


「まあまあ、そんな顔しないで。時間あるからコーヒー淹れるよ。一緒に飲んで落ち着いてから出かけたら」


 差し出した僕の手に、いつものように松葉杖を渡して、君は向かい合う位置に腰を下ろした。ちょっと照れた笑顔が、朝のまばゆい光の中で輝いて見えた。




 その日の夕方、家に戻ると、君は食卓で頬杖をついていた。


「あ、おかえり」


「ただいま。仕事、どうだった?疲れなかった?」


「うん、大丈夫。ねえ、ゆうちゃん、大したことじゃないんだけど…」


 僕は思わず身構えた。今まで何度、この枕言葉で始まって大変な話に発展したかわからない。


「仕事はね、前と同じようにできそう。重たい本は手伝ってもらえるし、分類コード再編の件は、私が前に作ったマクロが複雑過ぎて直せなかったとかで、また担当になったし」


「よかったね。頼りにされてるってことだ」


「で、今日打合せがあって。新しく『宅配図書館』が始まるって」


「なんだか面白そうだね」


「でしょ?お年寄りとか小さい子どもとか、図書館に来られない人のところにリクエストのあった本を持って行ってあげて、場合によっては朗読もするんだって」


「ふーん、とてもお役所とは思えない気の利いたサービスだな」


「そう言われると、軽く腹立つんだけど。それはさておいて…。誰か担当したい人はいませんかって」


 普段、君は慎重そのものであり、ハンマーが壊れるまで石橋を叩いた後、結局渡らないのが常だった。しかし、稀に即断で無謀な挑戦をすることがある。例の線路へのダイブ事件もその一例だ。あれに比べればかわいいものだが、一応わかりやすい突っ込みを入れた。


「その仕事って、配達を希望する人を車で巡回するんだよね?」


「そうよ」


「優理、免許持ってないだろ?」


「ああ、なんだ。そんなの教習所へ通って取ればいいだけだし」


 手だけで運転できる車があることは、僕も知っていた。ただ…。


「動くものを操作するって優理苦手だろ?アクセルもブレーキもハンドルも全部手でやるんだよ」


 案の定、君は声を尖らせて反論した。


「大丈夫よ、慣れればいいだけだし。それに今は運転しやすい車両も開発されてるって。あの由美ちゃんもどこに行くのも車だよ」


 君が引き合いに出したのは、車椅子バスケで地域代表に選ばれるほどの運動神経の持ち主だ。一方、優理は運動とは無縁で比較にならない。


「由美ちゃんと同じってわけにはいかないと思うけど。車はどうするの?」


「各自の自家用車を使って保険やガソリン代は区の負担って案なの。あって困るものじゃないし。でね、決めたことがあるの」


「何を?」


「車の色。絶対赤がいい」




 あの時、もし僕がもっと強く反対していたら、と後から思い返したことがある。でも、たとえそうしていたとしても、君はきっと自分の意思を貫き通しただろう。僕が好きになった君はそんな人だ。

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