第19話:拓人の意外な一面
期末テストが終わり、校内はどこか開放感に包まれていた。
夏休みまであと少し。クラスの空気もどこか浮ついている。
そんな中、琴音はいつものように放課後、部活の準備に向かおうとしていた。
「おーい、琴音ちゃん!」
軽やかな声に呼び止められ、琴音が振り返ると、数人の陽キャ男子が笑顔で駆け寄ってきた。
「今度の土曜日、空いてる?みんなで遊びに行こうぜ!」
「ゲームセンター行って、そのあと駅前の新しいカフェとかさ。おごるからさ~!」
一瞬戸惑ったあと、琴音は申し訳なさそうに首を傾げた。
「ごめーん、土曜日は軽音部の練習が入ってるの。
また今度誘ってくれたら嬉しいな♡」
笑顔は絶やさなかったが、その返答に、男子たちの表情がほんの一瞬だけ曇った。
「また?最近、ずっと断ってるよな」
「なんかさ、前はもっと一緒に遊んでくれたじゃん」
「ちょっと前まで、あんなにノリ良かったのに……」
「最近、付き合い悪くね?」
小さな不満が、次第に皮肉へと変わっていく。
「軽音部でチヤホヤされて、いい気になってんじゃね?」
「もしかして……俺らの誘いなんて、もうどうでもいいって思ってんのか?」
言葉の端々には、冗談交じりのようでいて、明らかな棘が含まれていた。
琴音は微笑みを崩さないように頷きながら、心の奥で小さな不安が芽生える。
(え……どうしよう、なんか、みんなの雰囲気……いつもと違う)
一方、陽キャたちは笑顔の裏に、次第に募る苛立ちを隠しきれなくなっていた。
「まあ……俺らじゃ、物足りないんだろ。軽音部のイケメン先輩たちの方が
楽しいもんな?」
その場に一瞬、重苦しい空気が流れる。
「そ、そんなことないよ~♡みんなといるの、大好きだもん♡」
琴音は苦笑いでその場をやり過ごすしかなかった。
ある日の放課後、蝉の声が薄れてゆく夕暮れ時、琴音は陽キャたちと校舎裏へと足を運んでいた。
「琴音ちゃん、ちょっと校舎裏、付き合ってくれない?」
教室で突然、背後から聞こえる軽薄な声。振り返ると、陽キャ男子たちがズラリと並んでいた。
「ごめんね……軽音部の練習があって……」
琴音は柔らかく微笑んだが、空気はどこか刺々しい。
「もうそれ聞き飽きたんだよ。今日はとことん付き合ってもらうからな!」
校舎裏で囲まれた琴音は、逃げ場を失う。
琴音の足元が少し震える。視線が泳ぎ、笑顔が固まる。
「ど、どうしたのかな~♡みんな顔が怖いぞ!」
声のトーンは明るく保っていたが、内心はざわついていた。
「……なんか、わざとらしいな」
「そのぶりっこ、いつまでも効くと思ってんのか?」
「ムカつくな、軽音部のお姫様は……」
男子の一人が不意に肩を掴んだ。
「なぁ、こっちもなめられたままじゃかっこつかないんだよな。」
「い、痛っ……!離してっ!」
琴音が身を引こうとしたその瞬間、背中から押し倒される。
冷たいコンクリートが背中を打ち、夕日が見下ろす。目の前に並ぶ男子たちの影が、重くのしかかっていた。
リーダー格の男子がいやらしい笑みを浮かべ、他の男子に声をかける。
「おい、やっちまおうぜ」
「誰か、助けて……っ!やめて……!」
必死の叫びも、校舎裏の静けさに吸い込まれていく。
「無駄だよ、こんな時間に誰が来るんだよ?」
「ヒロイン気取りも今日で終わりだな、琴音ちゃん——」
男子たちが琴音の手足と口を押さえつける。
琴音は手足を動かそうと抵抗するが、男子たちの力には敵わない。
(もうダメ…)
琴音が諦めかけたその時。
「おい、何してんだ、お前ら。」
鋭く低い声が、静寂を破るように響いた。
琴音が顔を上げると、夕陽に照らされ、逆光の中に現れたのは——拓人だった。
影となったシルエットから滲む気迫。
普段の軽口を叩く彼とはまるで別人だった。
「誰だ!お前はっ!」
陽キャの一人が声を荒げるが、拓人は一歩、また一歩とゆっくり近づいてくる。
「お前らさ、女の子ひとりに、何してんだ?……聞こえなかったか?もう一度言おうか?」
声は静かだが、底冷えするような迫力があった。
リーダー格の男子が拓人に向かって怒りをあらわにする。
「関係ねぇだろ!消えろよ!」
「そうはいかねぇな。琴音は、俺の大事な後輩なんでね……見過ごすわけにはいかねぇんだよ。」
拓人の目が鋭く光る。
「なにカッコつけてんだコイツ!おいお前ら、こいつからやっちまえ!」
陽キャのリーダー格が啖呵を切った瞬間——
次の瞬間、拓人の身体が弾かれたように動く。
「うっ……がっ!」
拓人の拳がリーダー格の頬を鋭く打ち抜いた。
その一撃は迷いもなく、リーダー格は膝から崩れ落ちた。
「ま、まじか?な……なんだよこいつ……!」
他の陽キャたちは目を見開き、明らかに動揺していた。
リーダーを引きずるようにして後ずさる。
「チッ……お、覚えてろよ!」
「へいへい、ベタな捨て台詞ありがとねー。俺、お前らみたいなモブ、覚えてられるほど頭良くないんで。」
拓人は背を向けて捨て台詞を軽く受け流したあと、琴音の方へ駆け寄る。
「琴音、大丈夫か!?」
琴音は、全身がまだ震えていた。目には涙が溢れ、声にならない嗚咽だけが喉を
震わせていた。
「た、拓人先輩……どうして……ここに……?」
「たまたま窓から見えたんだよ。琴音が、あいつらと一緒に人気のない方に行くのが見えて……嫌な予感がしてさ。そしたら……大当たりってわけだ。」
優しい笑顔を見せながら、拓人はそっと琴音の肩に手を添える。
「……ほんとに、来てくれて……ありがとう……」
琴音は泣きじゃくりながらも、拓人の姿を見つめていた。
その眼差しには、これまで見たことのない感情が浮かんでいる。
ただの“おちゃらけた先輩”じゃない——
“私を本気で守ってくれた、強い人”
その瞬間、琴音の中で何かが静かに変わっていった。
次の日、校長室に入った拓人は、静かに一礼し、促されるまま椅子に腰を下ろした。
校長、教頭、生活指導の教師。重苦しい空気が漂っていた。
「拓人君。昨日の放課後、1年の山田君を殴ったという報告が上がっている。彼は頬を強打し、保護者が学校に連絡を寄越してきた。君に、何があった?」
しばし沈黙。
拓人はゆっくりと息を吸い、目を伏せたまま口を開く。
「俺が……一方的に手を出しました」
教頭が眉をひそめる。
「一方的に、というのは、どういう意味だ?挑発されたとか、理由があったんじゃないのか?」
「……ないです。俺が、ムカついて……殴ったんです」
校長は拓人の目を見つめる。だがその瞳には、嘘や動揺は一切浮かんでいなかった。
静かで、覚悟を秘めた瞳だった。
「君ほどの生徒が、理由もなく手を出すとは思えないが……」
「俺の勝手です。理由なんて、どう言おうが変わらない。俺が殴った、それだけです」
生活指導の教師が声を低くする。
「それが本当なら、処分は免れないぞ。謝罪も必要だ。わかっているんだろうな?」
「……はい」
その声には、迷いはなかった。
——琴音を巻き込みたくない。
彼女が誰かに責められるくらいなら、自分ひとりが悪者になった方がいい。
それが、拓人の中にあるたった一つの結論だった。
校長室の空気は、まるで時が止まったかのように重たかった。
書類の山を静かにめくっていた教頭が、目を止め、淡々と、しかし重く言い放った。
「処分は……一週間の停学とする。——本当に、それでいいんだな?」
静かな問いかけに、拓人はわずかにまばたきをした。
けれど、その表情に迷いはなかった。
「はい。それで構いません」
その言葉の裏には、誰にも語られることのない意志があった。
(俺が全部、引き受ける。それで、琴音が守られるなら……それでいい)
やがて拓人は椅子から立ち上がり、校長と教頭に軽く頭を下げる。
無言のまま、扉へと歩き出す。その背中は、どこまでも静かで揺るぎなかった。
ドアノブに手をかけた瞬間、ふと胸の奥が疼いた。
今、この扉の向こうには、いつもと変わらない日常がある。
けれど、自分だけがそこにいられない現実。
……それでも。
拓人は振り返らなかった。
何も言わずに、ただ静かに扉を開け、ゆっくりと校長室を後にする。
扉が閉まる音が、静寂の中に響いた。
——彼が選んだのは、「正しさ」ではなく「守るべきもの」のための沈黙だった。
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