いつか在るだろう都市について
第四のスルメ
第1話
季節性のA型によってベランダから落下し、画期的な変化がその上に生じたところの地質年代、最狭義におけるダイラタントにあって、私はというと、未だ起き上がる気の起きていない。
予てより、頭蓋骨の相対的に絶対的な重みを克服したと信じられてきたこの現在の歩行が、単なる夢中遊行には過ぎぬことを知っている。尚且つこれが、私を含めて誰にも見られることの無かったものとしてのそれであることをただ今自覚している。
ただ今、何らかの唯一の実体が置き去りにされた主題にあって、独りでに歩き出したところの夢の測量人が、今朝はまた、夢オチの三段活用としてのこの今を、彼にとっては大分重宝していることに口を挟む者がいるとすれば、それは私である。
何れにせよ、この精密な昼寝の文字の中身、その最初と最後の部分にあって、そことそこにおいて昼は同じものを指していたかどうか。私は確かに同一の昼寝に肖って、それで以て今、喪失という意味でのこの橙は、一体幾つの真夜中というものを、日没に。目覚めたか。見過ごしたか。瞬いて、今。
いつか遠い過去の一個の寝台、眠りの中で眠ったことを忘れていたとして、左右の括弧の数合わせに、もう一度、態とらしく。目を覚ます。
言うなれば、というのも、私は落ちたのであったが、それというのも組み付けられた主観における不完全性定理の類、原理的なフォビア、五感の有機的な可能的配置の、配線の解消され得ぬもどかしさを直観したからであり、過敏になった聴覚、頭蓋骨一般の摩擦音についての悍ましい聞き間違いの尤もらしさを平和なアスファルト上に証明し、私を置いて出て行った者達の踵を返させるためであったが、つまるところの幽霊に恐怖した為である。
無生物モチーフに見え透いた人文的アレゴリーの食わず嫌いは正当化され、つまるところの宇宙が当に最も悍ましい事実であるという今更は、それを言うことを特殊な条件においてユーモアとして償却するが、私はここにおいて見え易くなったアスファルトの目の粗さこそが必然的なグロテスクであることを発見し、意識を手放す。
豆電球が暗示するところの様式的恐怖、暗い部屋、そうしてみれば壁が怖いという定式化は私において馴染みの無かったものであって、寧ろやはり地上一般の暗闇、可視的暗闇的対象ではなく不可視ということに耐え切れなくなった或る意味での身体が、計器飛行で以て戻って来たつもりのこの部屋は、所謂見知らぬ部屋であった。
いつかは水を汲みに寝台を降りたのであって、喉が渇いて目が覚めたというのは本当らしい。今はといえば、ただその続きの話である。今となっては先程の話で、いつでもそれは、先程の話なのである。
だから今は朝なのであって、季節の変わり目である。積極的な意味での冷たさを一定以上蓄えているところの季節の中の何れかなのである。いつでも温度は奪われるものであるという今の内は幸せで、この部屋もまた例外ではなかったから、私は眠り続けるという他に何をする筈も無かった。
そろそろ起きても良い頃合いだというのは、それが私に対して言われるのだとすれば、私はそれを言う者を現実に数えることが出来ぬから、やはり私はそこには居なかったのである。しかし現に、私は起きた。いつでもそうして起きていたのに、今までずっとそうしていた筈なのに、今もまた起きるということをさせられてしまった。
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