第五話 蝶のように舞い…

木々の隙間を乱暴に切り抜けながら逃亡する舞婀達の馬…それに対し、北独の騎馬兵達は見事に馬を使って彼女らを追った。みるみるうちに距離が縮まり、彼女らの最後尾にあと少しで剣が触れてしまうほどの間合いとなった。


 両者の騎馬の機動力には大きな差があった。元々、子供の頃から馬と共に生きてきた遊牧民である北独の騎馬術は、ぬくぬくと城内で過ごしてきた白磐の兵達のソレをはるかに上回っていたのだ。馬の縄にしがみつき必死に逃げる白磐兵と、片手で縄を扱い、開いた手で剣や槍を振り回す北独兵、ぶつかり合えば勝敗は明白。


しかし、皇帝を生かすため…舞婀がついに決断を下した。



「最後尾三名!殿となって奴らを食い止めなさい!」



言葉を受け、数瞬彼らは呆然とした。しかし、それでも彼らはすぐに決意を固めると、縄を後方に強く引き、馬の頭を後方の追手達の方向へ反転させた。


「お前ら…行くぞッッッ!!!」


兵士の一人が叫び、彼らは追手達の騎馬に正面から向かっていった。


「何ッ…!?」


先頭の北独の兵士達は、反転しこちらに全速力で向かってくる敵に完全に意表を突かれた。こちらも、あちらも、共に最高速度で向かい合い、その衝突は…避けられない。



ドゴオォォッッッ!!!



両陣の騎馬と騎馬がぶつかり合い…弾けるように彼らは宙を舞って砕かれた。後続の追手達は前方で何が起こっているのか分からず、とにかく急停止。見てみれば、白盤の兵士…先ほどまで追いかけられていた側の兵士たちがこちらと向き合って立っているではないか。彼らは皆、先ほどの衝突で馬を失い、瀕死の状態で剣を握っている。だが…その闘志は決して消えていなかった。


(皇帝は…俺たちが護る…!!!)


程なくして、両陣は剣を持って激突した。


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 白宗を守る者は、先頭の数名と中央の舞婀のみとなった。彼女らはただひたすらに馬を動かして南都に向かっているわけではない。南都までは馬で全速力でかけていったとしても、まず三日はかかる想定であった。そのため、チェックポイントとして、通過点にある村を一つ訪れ、そこで兵士や食糧などを調達し、再度南都を目指すのである。


「舞婀様!目的の村まではあと少しです!」


夜の闇は森の中では酷く暗くなり、道中の木々は注視しなければ避けることは難しい。しかし、それ故に追手の者達もその妨害に阻まれて彼らの追跡に難航するのだ。彼女らはわざと木々の密集した危険な道を選び、大勢で追ってきている敵の進行を大幅に遅らせていた。


そしてそこを踏破すると、幾つかの家屋が見えた。木の柵も、等間隔に並ぶ松明も、煙を上げる鍛冶屋も、小規模な畑も見えた。

目的の村に着いたのだ。


「よしッ…!」


深夜から駆け続けた逃避行も、ひとまず一段落ついたのだ。敵に追われ続ける緊張も恐怖ももう限界であった。先頭の兵士たちも、そして歴戦の武人である舞婀でさえも、その緊張からの開放により深く安堵し、縄を握り続けた手からドッと力が抜けるようだった。


「舞婀…大丈夫か…?」


包みからそっと顔を見せる白宗は、彼女の顔を見つめた。出発の際に頭部にくらったあの投石により、彼女は重傷を負っていたはずだったからだ。


「そうでございますね…なかなか…深傷を負ってしまったかも知れません。」


「わかった…早く村に入って治療しよう。こんな夜中だが…とりあえず医者を叩き起こすか…」


兵士たちも馬を降りて、柵を越えて村へと入っていく。そして一人が大きな声で村民に話しかけた。


「我らは都の者だ!緊急の事情があり、この村の力を借りたい!」


数名の男達が現れ、兵士に近づく。


「これはこれは…まさか本都の方々でしょうか?それにしてもこんな深夜に…」


「先ほど言った通り緊急の事情だ。早く村に通せ、それと医者も寄越すんだ。」


「了解しました。それではこちらに…」


手を招きながら歩いていく村民に、兵士たちも後ろをついていった。だが…舞婀は付いていかなかった。


「舞婀様?」


兵士が尋ねる。


「…おかしい。」

「なぜ深夜に鍛冶屋の煙が上がる?」

「なぜ松明に火がついている?」


「…?」


「お前ら…今すぐ下がりなさいッッッ!」


突如豹変し、叫びを上げる舞婀。呆気に取られず動けない兵士たち…村民達は密かに剣を持って近づいていた。


ザシュッ…兵士の首元に刃が突き刺さり、血飛沫をあげて彼は倒れた。


「…ッ!? なんだとッ!」


急いで剣を抜き、残りの兵士は村民と向き合った。しかし、その直後…何十本もの弓矢が放たれ、彼らの体を貫いていった。


「マズいッ…!」


舞婀は反転し、全速力で駆け抜けて柵を飛び越える。いつの間にか背後の四脚も解放し、本気であらゆる攻撃から白宗を守る姿勢をとり、馬へと駆け寄る。


「舞婀っ…どうなってるんだ!?」


「松明も鍛冶屋の煙も…狼煙だったんです!」

「あの村民は白磐人のふりをした北独人…もう既に村は北独に取られていたんですよ…!」


馬に飛び乗ろうとした寸前…馬の頭部は弓に撃ち抜かれた。巨体がぐらつき地面に倒れ伏すと、舞婀は脇目も振らずに己の足で走り出した。


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「ハッ…ハッ…ハッ…」


草を踏み潰し、彼女は木の藪の中を走り続ける。何度も木の根に躓き…その体はガクリガクリと危なげに沈んだり浮かんだり。


「馬を降りて追え!細道に入るぞ!」


村人に扮していた北独の兵士は刃物を手に持ち、鎧も身に付けず最速で彼女を追う。舞婀夏巫、彼女が白宗を守る最後の砦であり、つまり彼女の陥落こそが…白磐国の最期である。それは全てわかっていた。だから、身体の限界、疲労の限界なんて足を止める理由にはならない。


都で敵と戦った兵士たち、死を覚悟して殿を務めた兵士たち、先頭に立ち敵の攻撃を受けた兵士たち…命を賭して白宗を守り抜いてきた彼らのバトンを、彼女が受け取ったのだ。


「で…んか…」


「舞婀…大丈夫か…!?」


白宗は包みの中で、彼女の頭から垂れた血が滲みる感覚を、痙攣している腕の振動を、彼女の身体の崩壊を感じていた。そして、先ほど発された、呂律の回っていない途切れ途切れの言葉。彼の不安が頂点に達する。


「もう…でんかの安全を…ほしょう…できない」

「きけんな道を…えらびます…」


「いい、予のことは構うな!なんでも選べ!」


「わかり…ました…!」


彼女は方向を僅かに変え、より木々の奥へと進んでいく。そして、やや月光が隙間から見える頃…その道の先も目に入った。

そこにあったのは、巨大な崖であった。


「嘘だろ…おい、まさかここか?」


「止まりましょうか?」


そう言いながら、彼女は微塵も速度を落とそうとはしない。そして普段あれだけ臆病な彼も、もう恐れて立ち止まることはしなかった。


「…絶対に手を離すなよ?」


後ろから迫り来る追手の足音。彼女は白宗に頷くと、その崖の下へとゆっくり足を踏み出した。



ブワッ………



「………」


…落下。空中に放り出され体の下から押し返してくる空気の力が、体にかかっていたあらゆる負荷をフワリフワリと掃きのける。


「………予は今、飛んでいるのか。」

「存外、心地よいな。」


蚕に空を飛ぶ力はない。もしこの生物に無理やり空の感覚を与えようと、高所から落としたとしたら…その蚕は死ぬだろう。繊細で、ひどく脆い体がその衝撃を耐えることはできない。


「殿下…息を…止めて。」


彼女の目線の先には…流れ続ける深い青色。深度が深い代わりに流れの弱い川があった。生き延びるためには…そこしかなかった。


“ザバン”!!!

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