絹を産む少年

リバテー.aka.河流

第一章『蚕と蜘蛛』

第一話 絹を産む少年

この国に代々伝わる伝説の聖虫『蚕』。

飛べやしないが、薄く軽やかな羽を携えた純白の虫。それは繊細で虚弱な体質から、つきっきりで世話をする者がいなければ決して生きることはできない。しかし、それが産む絹糸は柔らかく美しい純白を誇り、価値のつけようもない尊いものであった。


皇帝一族には代々この蚕の血が継がれており、それと全く同じ生涯を生きた。


———————————————2ページ目


白磐国。

この国は二つの大河と広大な穀倉地により栄えた。皇帝を頂点とし、周辺の十を超える民族をその権威と戦力にモノを言わせ一つにまとめあげた強大な国である。何千年もの間、大陸の半分の秩序をたった一国で守ってきた。


しかし、この黄金の時代も陰りを迎える。

皇帝の后が権力を欲しがる女であったからだ。元の妻は子を産んだ時に死んだ。その後再婚した女は心を荒ませた皇帝に取り入り、国の軍の一部を私兵に変え国の防衛を弱らせた。特に北方の兵が多く彼女の私兵として引き抜かれたため、国のために戦う兵はわずかとなった。


そこを見逃さなかったのが、北方遊牧騎馬国家「北独」。この民族は北磐の城壁に梯子をかけて頻繁に略奪を行なった。馬術と弓術に秀でたこの民族を撃退することは困難で、皇帝はやがて白旗をあげた。世界の秩序を守ってきた国が情けなく戦い続けるよりむしろ、敵国に譲歩してでも他国に動揺を見せないようにするためだ。


しかし北独の示した条件はどこまでも白磐国を馬鹿にしたモノだった。彼らは両国の平和を維持する代わりに、白磐皇太子の産む『絹』を毎月納めろと主張したのだ。


「皇太子殿下、失礼します。」


巨大な箱のような皇族用の一室に、髭面の男が入ってきた。彼は歩を進め、柔らかな布に仕切られたある空間に近づいていく。その布の奥にはぼんやりと、二人の人影が透けて見えていた。


「止まりなさい。」


中から、一人の女の声。


「白宗皇太子殿下の許可を待て。」


「失礼しました、殿下。」

「今月の絹の収穫のお許しを。」


「…」


「………」


一つの人影がゆっくりと立ち上がった。


「…許可する。」


簾の中から、手が伸びた。それを見ただけで男は生唾を飲んでしまった。肌は少しも日に焼けていない白色で、まるで霞が形を作っているように綺麗であった。細い腕は、力を込めたらへし折れてしまいそうなほど弱々しい。

 

皇太子はするりと姿を現した。薄い膜のような衣服しか纏っていない、それより重たい服を着れば、繊細な肌が擦れてすぐに傷んでしまうからだ。それでも敏感な部分だからだろうか、胸の先端は硬くとがって、微かに桃色の乳首が透けて見えた。

幼く…しかし高貴。この宝玉の如き少年こそ次期皇帝「白宗」である。


彼が力弱く立ち上がるのを、また簾の中から現れた侍女が支えた。彼の腕と肩を優しく手で押さえ、彼が歩くのを手助けする。


「白宗殿下、こちらへ。」


髭面は笑顔で椅子へと案内する。彼はそこに座り込むと、横に侍女を立たせ、彼女の服の袖を摘んだ。


「それでは、はじめますぞ。」


男は白宗の素足に手を伸ばし、饅頭の生地のように柔らかい脹脛を撫でるように持ち上げた。男は左手で白宗の足を強く掴み、右手をその足の指に伸ばした。じっと見てみると…足の指の先、爪と指の肉の間から数本の『糸』のような物が生えている。

男はそれを数本、「ずっ」と乱暴に摘んだ。白宗は怯えるように歯を食いしばり、侍女にもたれかかる。糸が力任せに引かれた。


「うぅっ…!」


ツィー…と一度に一尺ほどの糸が引き出される。爪の間に針を刺されるような激痛…白宗は目をギュッと細めて、溢れそうな涙を堪えた。男は彼に構わず、伸ばした糸を、「糸繰り機」の車輪の中に通して、また違う指から数本の糸を引っ張る。


皇太子の足から絹糸を繰る…これが白磐国の伝統である。皇帝の一族は子供の時、特殊な食生活を続けることで体から絹糸を出すことが出来るようになる。それこそが皇帝の血の証明であり、その絹糸から作られる織物は国の繁栄を祝うものとなった。


足の指は合計十本。指一本につき繰れる糸は五本程度。合わせて五十本という貴重な糸を用いて、編まれるのが聖虫『蚕』の刺繍である。羽を持った純白の虫。それのオスは産まれてから死ぬまで、つがいのメスの世話が無ければ生きられないという。『王は民の助けがなければ国を守れない』…蚕の伝説はそう示したいのかもしれない。


全ての足の指から糸を伸ばし、糸繰り機に巻き込んだ。しかし地獄はここからである。

髭面が車輪を回すと、五十本の糸は同時に足から引き抜かれるのだ。ミチミチ…という肉が千切れる音が鳴り、白宗は痛みに耐えかねて侍女の肩に爪を食い込ませる。


しばらくすると、足爪と肉の間から血が滲んできた。それは直ぐに隙間からポタポタと溢れだし、水溜まりが出来てしまうほどの出血。男は彼の反応を楽しむために、糸繰りを乱暴に行なっていたのだ。


「痛い…痛い…!」


彼はもう涙を隠すことはできていない。ひたすら侍女にしがみつき、歯をガチガチと震えさせているだけ。彼女は抱きしめ返し、彼の口から垂れてしまっている涎を布で拭いている。




… … …


「ハァー…ハァー…」


一刻ほどが過ぎ、作業の終わる頃には、侍女の肩は涙と涎でぐしょぐしょに濡れていた。


「お疲れ様でした、それではまた明日。」


髭面はそう言うと去っていき、戸は静かに閉まる。彼が消えたことを確認すると、白宗は泣きながら侍女に訴えた。


「…次の糸繰りはお前がやれ!絶対にあの汚らわしい男に触れさせるな!」


侍女は取り乱す彼を抱き抱え、簾の奥の寝具へと連れていく。そして彼女自身も彼の隣に寝そべり、彼の頭を撫でながら柔らかく包み込むように話した。


「最初に爪が痛むのは、皇帝一族皆同じでございます。その痛みもじきに慣れ、きっと安らぐはずにございます。」

「貴方様の父上、皇帝陛下も最初は涙を浮かべ…」


「父上が耐えれたのは、優しい私の母が糸繰りをしていたからだろう!」


「…。」


皇帝の糸を引くのは代々、その皇帝の侍女であり…将来的には皇帝の妻となる女のみであった。彼女らは糸繰りの名手であり、皇帝の負担を最小限に縮める役目を持っていた。

しかし北独の進出により、彼らは皇太子の糸繰りも自分達で行うことを主張した。さらに、それによって得た絹糸は白磐に回されず、全て彼らが回収してしまった。


「私たち皇帝の血を引くものは『誰かの手を借りなければ生きられない』定めにあるのだぞ…!食事も糸繰りも後継ぎも…お前ら侍女がいなければ何一つ行えないのだ!」


「殿下…」


「…お前がやってくれるなら…あの痛みにもきっと耐えられるはずだ…」

「予はもうお前の他に誰にも触れられたくない…頼む…頼む…!」


彼の涙は止まらない、隣で横になる彼女を爪を立てて抱きしめ、離そうとしない。


「…北独の者に懇願してみます。」

「きっと…心から頼めばきっと…」


彼はあまりにも泣き疲れたようだ、彼は程なくして、彼女の胸の中で眠りについた。

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