劇場版「ロピタルの定理〜それでも僕は微分する〜」
リョーシリキガク
禁断の恋
ヌーイ伯爵邸の庭園、その中央に設けられた白亜の回廊。
朝露のきらめきと、花の香りが混ざる空間が、僕と彼女の共有点だった。
「貴方がロピタル?」
振り返った少女は、陽を透かす銀髪と、曇りひとつない瞳を持っていた。
もし"永遠"を定義できるなら、それは彼女への思いだけだろう。
彼女の名は、ベル。
貴族の頂点に立つ名家、ヌーイ家の令嬢。
僕は膝をついた。
「はい、ロピタルと申します。今日からお傍で、身命を賭してお守りします。tert-ブチルジメチルシリル基のように」
平民である自分とは、決して交わることのない極大点だった。
ーーー
「ロピタル…私を、私を微分して…」
「お嬢さま…そんな、いけません…」
2人は羊皮紙に羽パンを走らせていた。
「…っ1/cos^2 x…///」
いけない、と分かっていても、増減表を書くことをやめられなかった。
時間が経つにつれ、彼女への思いは、f'(x)>0だった。
「僕が…tanxを持ちます…」
羊皮紙を二つに分け、胸にしまう。
「私達、一緒になれることはない…この恋は、0÷0の、不定形なのよ…」
彼女は時折俯いて、こちらを見ない。
その度に、僕は彼女にキスをした。
綺麗な肌だ…平民とは違う。もしこの表面が、自分と同じなら、僕と彼女は、手を繋いで、表の通りを歩けたのだろうか…?
「ロピタル…愛しています」
しかし、手を繋いで歩けないので、この表面は僕と同じではなかった。
「ベル…?何してる…?」
1人の男がこちらを見ていた。
ヨハン…ベルの婚約者だ。
「ヨハン…!違うの!これは…」
テーブルに散乱した凹凸表。言い逃れは、できなかった。
そして僕は追放されることとなった。
ーーー
セレス国は革命のただ中にあった。
街の空気は重く、銃声が遠くで鳴り、広場には捕らえられた者たちが列をなしていた。
そんな混沌の中で、僕は――ふと、銀の光を見た。
長く伸びた銀髪。
背筋の通った小柄な女性が、街中を歩いていた。
「――あのっ…」
だが、振り返った女性は全くの別人だった。
……そんなわけ、ないか。
そう思った、そのときだった。
「……ロピタル…?」
背後から、懐かしい音が落ちた。
振り返ると、泥にまみれ、ボロボロの服を着た女性がいた。左手をロープに繋がれ、兵士に引かれている。
「……ベル…!」
兵士の一人が眉をひそめる。
「知り合いか?まさかこいつも貴族…?」
ベルが俯いた。
その癖は変わらない。昔と、何も。
「……違います! そんな下民……知りません!」
ふんっと息を鳴らした兵士がベルの腕を引こうとしたその瞬間、僕はそっと懐から一枚の羊皮紙を取り出した。
左端には、tan x。
ベルは肩を振るわせ、涙をこぼした。
そして――
彼女も、残された右手で、胸ポケットから汚れた紙を取り出す。
1 ⁄ cos² x…
僕は彼女を、強く抱きしめた。
「……っ、ロピタル……!」
そして、僕は膝をつく。
出会った日と、同じように。
「……もし君が微分されたら、僕も微分される。
ずっと一緒に、収束しよう」
震える彼女の手を取り、僕は囁いた。
「僕と――積分してくれ」
兵士たちは息を呑み、ロープを引く手を緩める。
ロープは、カテナリーを描いた。
「…行け、ヌーイ家の。俺は何も見なかった」
兵士はベルのロープを解く。
「行こう…ベル!」
僕はそのまま彼女の手を引いて走り出した。
t→∞の彼方まで、広がる定義域。
2つの関数は今ここで…交わった。
ーーー
「なんですかこれ……この小説、マジで流行ってるんですか……」
薄暗い資料室の片隅で、ノアは眉をひそめながらページをめくった。
背後に立つ兵士が答える。
「あぁ。“対象”は興味を持つはずだ。
読ませれば、行動が変わる可能性がある」
対象、という言葉に、ノアの瞳がかすかに光を宿す。
「国家への責務を果たせ。君は、母親の代わりに選ばれたんだ」
ノアは演算子を静かに握った。
手の中のそれは銀色の手鏡型。
鏡面には、ぼんやりと彼女自身の虚像が浮かぶ。
「……必ずや」
その声は、驚くほど冷たく、澄んでいた。
ーーー
※この小説は、以下に記載される「-i」内で言及されるものであり、いわばその“補足資料”のような位置づけです。
「-i」プロローグへのリンク
https://kakuyomu.jp/works/16818622174386106626/episodes/16818622174386282508
劇場版「ロピタルの定理〜それでも僕は微分する〜」 リョーシリキガク @ryoshirikigaku
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます