第27話 反魂酒
「フレレクス、あれを見ろ。印章指輪だ」
印章指輪は魔術師としての特権を示す身分証だ。手放す時といえば、死亡時か或いはそれに近い状態だろう。そんな貴重品が、こんな魔物の街に流れ着いていることが信じがたい。薄汚れた指輪にはかろうじて、逆行する砂時計が刻まれているのが見えた。古代魔術塔の紋章だ。イニシャルは潰れて読めない。
「ああ、たまに並ぶ。この店は墓堀人の副業だ、
「つまり、ここにあるものは全て誰かの遺品か」
「そうなるね」
「古代魔術塔の指輪がなぜここに? 殺されたのか?」
「どうかな。店主に聞けばわかるかもしれないが」
店にはひどく痩せこけた黒犬が一匹伏せている。我々の会話を聞きつけたかのように、ピクリと耳がこちらに向いて垂れ下がった瞼が動く。現れた血色の目は我々をちらりと確認だけして、再び目を閉じてしまった。フレレクスは肩をすくめた。
「彼の名誉のために言うと、殆どが黒樹海から運び込まれたものさ。あの場所は安全とは言えないから。ここの品揃えが変わっていたら、誰かが倒れたというわけだ。知人が街から出たら、定期的に確認しておいた方がいい」
布を敷いた木箱の上には、指輪やロザリオ、旅の安全を祈願する
物色する私の前に、突然横から手が伸びてきた。その手の上に小さな何かが乗っている。
「どうぞ! 試してみてよ」
パンの欠片のようだった。その手の先を見ると、茶髪の小さな少女が立っていた。その手の甲が鈍く光る。鱗だった。私の視線に気づいた彼女はすぐに袖を引っ張って隠してしまった。よく見るとその服の裾から太い尾が覗いている。先の
「大丈夫だってば。毒なんて入ってないから」
「相変わらず熱心な営業だ。毒入りでも彼は生き延びるだろうが、財布は無事じゃ済まない。旅人向けの“親切価格”なら結構だ」
「わかったよ。じゃ、2つ銅貨1枚でどう? ね、お願い!」
真っ黒の目が私を覗き込んでくる。その手にはパンの入った籠がある。フレレクスの方に目を遣ると彼は片眉を上げた。
「ただのパンだ。僕はいらない」
渡された欠片を嗅ぐと、焦げた麦の甘酸っぱい香りに混じって青野菜の湿った匂いがした。匂いは香草パンだ。知らない魔物から手渡されたものを口にするなんて正気の沙汰ではない。だが、フレレクスの反応を見る限り、危険ではなさそうだ。好奇心に抗えず、そしてまだ朝食をとっていなかったことも後押しして、私は小さな欠片を口にした。舌の上に広がったのは、焼いた
私は彼女に銅貨を渡した。
「ありがとう、新しい魔術師さん!」
「この苦味は
「向こうの通りにあるよ。良い一日を!」
通りの奥に種々の薬草を天井から吊るした店が目に入る。私は買ったばかりのパンを千切りながら、隣を歩くフレレクスに問いかけた。
「フレレクス、本当にいらないのか?」
「一つ確認したいが、食物連鎖のどの段に僕がいると?」
「なら、せめて香りくらい楽しんだらどうだ?」
私が鼻先にパンを近づけると、彼は一瞬嗅いでからすぐに離れた。
「……小麦と野草。あと、君の手袋の繊維が少々。要するに、食べるより洗った方が良さそうだ」
「ああ、憐れな友よ。こんなに美味しいのに。スープが欲しくなってきた」
我々は通りの奥へ向かった。賑わいから少し離れたそこには目当ての店があった。ラベンダーと乾いた土の匂いが漂ってくる。ヨモギやセージの乾燥束が麻紐で吊るされ、木箱の上にはカモミールや
「……あれは我が薬学塔と同じ瓶だ」
私は思わずフレレクスに耳打ちした。女店主は私の視線に気付いて顔を上げた。
「
彼女の手が瓶を取って私の前に置く。瓶の封蝋を見て私は言葉を失った。見間違えるはずがない。ヒェギエイアの盃とマンドレイクの根。これは植生科の紋章だ。イニシャルは、私ではない。だが確かに我が植生科に所属している者の名だ。正しくは植生科の現副術長。
「なぜ、これがここに?」
「そりゃ買ったのさ」
女主人はなんでもないように答えた。私が呆然と見ているとフレレクスが横から瓶をちらりと見た。
「どこかで横流ししている者がいると考えるのが自然だ」
「他にも
「今はこれだけ。珍しいからね。なんせ、ここの模様が大事だ」
女主人は埃のついた封蝋を指で払った。
「うちが人間から仕入れるのはこの模様とあと1種類だけ」
女主人は薬草の下敷きになっていた何かを取った。それは写本だった。表紙の野草のスケッチが私の目を奪う。それは紛れもなく、かつて私が選び描いたものだ。
「この図鑑の魔術師さ。ナプツィア? どう読むのかは知らないけど」
「それは……随分とお目が高い」
「最近じゃめっきり出回ってないから、死んだのかもね。人間ってすぐ死ぬから」
知らぬうちに成果が魔物の手に渡り利用されていたことに悲しむべきか、或いは魔物から評価を受けていることに喜ぶべきか、私には判りかねた。
「ここに
「昔はいたんだがね。材料を取りに行ったきりさ。可哀想に、帰りを待ち続けてる魂吸い樹なんか、葉が真っ白になってこのままじゃ枯死しそうだ。他に世話する人がいりゃね」
「魂吸い樹? まさか
「ああ、人間はそう呼ぶね」
最後の報告は、10年近く前に山奥の小村で満開のものが見つけられたきりだ。木々の周りでは折り重なるように、村人が揃って息絶えていた。彼らがその木を
「
「生えてるのは道沿いじゃなくて墓地の近くだけどね。あの匂いにやられるのは人間くらいだから誰も気にしないわ。もう枯れかけだしね。前の家主は
溜息をつく女主人の頭巾がもぞりと動く。不自然に動いた頭巾の下から何かが這い出てきた。一匹の青蛇だった。私を見るなり威嚇音を立て二股の赤舌を出したそれを、下から伸びた手が乱暴に掴んで頭巾の中に押し込む。女主人の手だった。よく見ると彼女の頭巾は無数のなにかで蠢いていた。
「で、買うかい?」
「いや、私の人生で
「そうかい。入用になったらまたおいで」
我々は店から離れた。
「知らないうちに魔物に使われていた。複雑だ」
「そう悲観するな。彼らにとっては、腕が良ければ種族など些細な問題だ。付呪具店だって君たち魔術師の産物が多い」
「誰が内通している?」
「知らない。昔から魔術師がここに行き着くことはあったんだ。その誰かかもしれないし、他の誰かかも」
「それにしても、
「人間は魅了されるらしいね。去年の満開は見事だった」
フレレクスはそんなことを平然と言った。
「つまり墓地も近づいてはいけないと?」
「そうなるね」
「フレレクス、頼むからこの街の巡礼ガイドを書いてくれ。私がまだ生きているうちに。歩いたら駄目な箇所を地図で塗るだけでいい」
「黒染めの紙が何枚いると思う? ナプティア、ここは魔族の街だ。最低限の礼儀として、互いの首を掻き切るのは控えているだけだ。人に似た見た目に騙されてはいけない。そんな場所だから、少々の危険はつきものだ」
「その少々というのは吸血鬼の主観だ。君の悪いところが出ている。次の書記者を見つける方が大変だったと、今に後悔することになるぞ」
「本当に? 君にとっては退屈のほうが残酷かと。ほら、スープの店があるぞ」
彼の指した先には大鍋が煙を上げている。私は銅貨と引き換えに得たそら豆と
「次は夜に来るといい。今閉まってる店も開く。それに近々、
「
「昔大きな噴火があってね。この街に黒い雲と大量の灰が降り注いで、一夜で壊滅した。その鎮魂さ。……もっとも鎮まっていないから、彼らは今も歩き回っているわけだが」
フレレクスは日陰まで木箱を引いてから座った。彼の視線の先の裏路地では、半透明の人影が薄っすら浮いている。最早この程度で驚いていては、神経が擦り切れてしまいそうだ。私は横目で眺めながらパンで
「あれがなんだって?」
「彼らは噴火の経験者さ」
「つまり、あれは亡霊だと?」
「ああ、君の目でもよく見えるだろう。黒樹海の影響でここは魔素が濃いから、見えやすくなってる。幸い害はない」
「霊体が魔素で実体化しているのか?」
「まだ実体化とまでは言えないが、その間だ。部分的な実在というべきか」
「まるで君の話していた悪魔と同じだな」
「そうか。……どうして思いつかなかったんだろう!」
「今朝、僕は彼らから来てもらうしかないと言ったが、まだ別の方法がある!」
「なんの話だ?」
「君の
「彼らを追うのは不可能ではなかったのか?」
「本来はね。でも僕たちが彼らと同じような存在になれば、話は変わる」
「どういうことだ?」
「つまり、実在を消す霊体化だ。露呈薬さえ作れる君ならば、いい薬を知っている筈だ。少なくとも僕は噂で聞いたことがある」
友人の視線を感じながら私は言葉を濁した。
「いい薬はないな。良くない薬ならあるが」
「それは?」
「あの不快な化け馬に乗った時に、自分が消えていくような嫌な心地がした。だがそれは、ただの気分じゃなくて、君の言う通り実際に消えていたとするなら。それに似た効果を持つ、反魂酒という
「それだ!」
「消えた先では、存在しないはずの者と会えるという。死んだ相手でさえも」
「ナプティア、作れるか?」
「冗談だろう」
私は首を振った。
「だが、服用者の無事は保証できない」
「僕が飲む」
「効果が消えた後もそのまま帰ってこなかった者が何人もいる」
「人間の話だ。それに純度が低かったのさ。君が作れば違う。必要な材料は?」
「確か、ケシの実、
羊皮紙のメモを思い出す。試行錯誤の末に記した数々の走り書きは今や戻れぬ薬学塔の片隅で眠っているのだろう。
「ここまでは平凡な材料だ。聖水以外はここで買える」
「ここまではな。あとは冬入夏草、人狼の
「冬入夏草か。人の
予期していた反応に私は可笑しくなって笑った。
「ああ、これは薬学塔でよく使われる符丁だ。猫の足音は、猫の足音が聞こえるくらい静かな場所で調合する必要がある。本当に鍋の周りを猫に歩かせる訳じゃない。毛でも入ったら大変だ。この混合物は音に反応して凝固する。朔月の影は、新月の夜のような真っ暗闇で調合するということだ。光で効能が減るから」
「どうしてそう書かない」
「我々が何故左から右に文字を書くのかという問いの答えと同じかもしれない」
「まだ人間を理解する日は遠そうだ。そうなると問題は冬入夏草か。滅多に出回らない品だ」
「人狼の骨粉と吸血鬼の上灰も大概だ」
「そんなものすぐ手に入る。人狼なら夜の酒場に行けば歌ってる。イブラヒムの首飾りは覚えているか。あれは彼の牙だ。彼らには自らの抜けた牙をああやって身につける風習がある。君はあれを譲って貰えるよう交渉してきてくれ」
「うまくいく気がしない。友人の君が行くほうがいいんじゃないか」
「いいや、僕が彼に借りを作ると星詠みの真似事をしないといけなくなるから厄介なんだ。彼はああ見えて君を気に入っているよ。その代わり灰は任せてくれ」
「まさか火に飛び込む訳じゃないだろうな」
「この件は僕には難しいからヴェダンテ伯爵が適任だ」
「彼は瀕死から回復したばかりだぞ。瀉血の後は火炙りか」
「髪だ。伯爵は長かっただろう。さて、昨夜イブラヒムにも言ったが、じきに嵐が来る。君は早めに宿に戻ることだ。僕もすぐに発つ。
「万が一、伯爵が断ったらどうする?」
彼の返答にほっとしつつも私は問いかけていた。彼は暫し考えてから笑った。
「片耳や指で足りるなら協力するがね。駄目なら僕が天寿を全うする頃に出直しておくれ」
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