心理学的人格論における記憶プロセスの重要性についての直観

ぽんぽん丸

私の現状解釈

フロイト

『人は無意識によって動かされている。無意識は欲望・衝動・記憶の抑圧によって構成されている』


アドラー

『人間は過去に縛られる存在ではなく、未来に向かって自らを形成する存在である』


この二つは対立して語られる。事実両者は生前、対立して議論した。しかし二つは記憶という一点で結び付けると同じ地平に立つことができる。


フロイトはもちろん記憶を重要視する。アドラーは記憶による人格形成を認めながらも行動によって人格は変貌すると指摘する。


つまりフロイトは不可逆な過去、記憶によって人格は決定付けられるのだから夢などのそれらの現れから理解すべきだと言った。アドラーは不可逆なものではないと指摘した。人はこれからの行動によって変化する可能性を持つと言った。


これは計算式の左辺に注目するか、右辺に注目するかの違いだと私は感じる。


過去=人格 であるなら


過去を計算することで現在の人格を導くことができる。フロイトはこの性質を研究した。アドラーはもし人格、これからの未来に数字を足すことができたら?と提示した。過去は変容しうる。


フロイトは基礎的な理論構築のために二つが双方向性のある等式であることをエポケーした。未来という不確定なものでなく、過去という観測できる領域に絞った。これは研究として正しい姿勢であると思う。アドラーはフロイトの理論が人格の不可逆性を示しかねないと気づき、心理学の持つ社会的に有益な面を強調するように二つは双方向性のある等式であると指摘した。二人の指摘は私の視点からは一つの式に見える。


フロイトは過去から現在に、アドラーは現在から過去への影響を重要視した。ここで過去が変化可能であるという解釈について補足しておく。私の理解するアドラー心理学が言う過去とは原体験ではなく、現在思い出せる記憶の印象のことだ。


人間関係で例を出そう。Aはあなたを殴った。あなたはAに恐怖している。しかしAが実は前日に病院で治療を受けた際の投薬が原因で意識が混濁していたことを知る。あなたの恐怖心はAではなく、その薬に移る。このように過去は情報や解釈により変わり得る。私の読み解くアドラーの指す過去、めんどうな言い回しを避けると私がこの章でさす過去とは現在感じる印象である。過去は実際の出来事ではなく、記憶を解釈した印象だ。


さらに二つを結びつけるのであればアドラーが提言する「行動」は「新たな過去の入力」であると言える。行動は実行した瞬間に過去になるからだ。つまりアドラーも意図した新しい過去を積み重ねていると言えるのではないだろうか?


二つの対立はこの考えに沿うと共通の解釈に根を張っていることがわかる。

【記憶が人格を決定付ける】

余計なものを削ぎ落すと二人は同じことを言っている。


この点を掘り下げたのがアランの理論だ。


「人格は言語によって決定付けられる。」


アランは記憶がどのように認識されるのかに着目した。人間の記憶は言語によって整理される。名前、感情、形容。すべてはその個人の主とする言語を元に記憶される。


とすると言語が人格を形作ると言えるのではないか?明晰だ。


もし「悲しい」という意味の言葉がない言語を母国語にしたのなら「悲しい記憶」は存在しないのではないか?すると「悲しみ」を持った人格は生まれないのではないだろうか?


人格は他者との比較によって成り立つ。比較は言語による記憶整理で成り立つ。つまり言語観が人格を生み出すし、同時に母国語が人格に強烈に影響するというのだ。納得だ。


アランは数字について言及した。フロイドとアドラーの数式が何によって記述されるのか?前提を指摘した。


整理


1.記憶が人格を作る。


2.記憶は言語によって構成される。


3.記憶は原体験から言語によって彫刻のように【削り出される】


私がこれから指摘する内容はこの削り出しにこそ注目するべきだという内容である。

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