永遠のマドンナの街

一十 にのまえつなし

幻影の街

 あなたは旅人として、名も知れぬ奇妙な街に迷い込んだ。

 街全体が人工の地盤の上に浮かび、まるで巨大な舞台装置のようにそびえている。建物や施設は複雑に共有され、路地は迷路のように入り組んでいる。初めての者は簡単に方向を見失う。

 ガス灯の光が揺らめき、雑多な人々の声や音楽が響き合うこの場所は、現実と夢の境界が溶け合う異世界のようだ。女性と若者が多く、街角では恋の噂や情熱的な視線が飛び交い、まるで花が咲くように恋が芽生えている。


 そんな街の雰囲気にのぼせたのか、運悪く身ぐるみ剥がされそうになった。あわてて逃げ出し、はだしであること気づいて路地裏で途方に暮れていた。

 冷たい石畳に裸足で立ち尽くしていると、そばの家から柔らかな光が漏れてきた。

 ドアが開き、優しげな女性が顔を覗かせる。

「大丈夫? そんな足じゃ、この街を歩けないわよ」

 そこは、旦那さんが作家で、奥さんが「茶肆」を営む家だった。茶肆は、旅人や住人が短い休息を取るための場所だ。


 柔らかな照明と茶の香りが漂い、まるで夢の入り口のよう。


これまでの事を話すと、奥さんは優しく微笑み、受付の奥から手作りのモカシンの靴を差し出す。

「この街では、足元をしっかりさせとかないとね」

 その声は、まるで夢の中の囁きのように柔らかかった。


 そのまま夫婦の家にしばらく厄介になることにした。

 旦那さんは寡黙で、時折鋭い目であなたを観察し、ノートに何かを書き留める。

 奥さんは茶肆の客をさばきながら、街の不思議な逸話を教えてくれる。

「この街は、恋と物語でできてるのよ」

 彼女は言うが、その言葉の深さはまだ掴めない。あなたは旅人だからだというだけでなく、恋はずっと遠いものだからだ。

 あの人を失った日、旅人になった理由。


 ある日、街で知り合った若い兄ちゃんに誘われ、街の「花街」へ足を踏み入れる。

 ガス灯が眩しく、音楽と笑い声が絶えない花街では、恋が商品のように売買され、情熱的なダンスや詩の朗読が繰り広げられている。

 兄ちゃんは羽振りが良く、誰にでも気前よく酒や食事を振る舞う。

「この街、気に入ったかい? ここは夢みたいな場所なんだ」

 食事をしながら、あなたはこの街の魅力について熱く語った。迷路のような路地、共有される建物、恋の花が咲く空気――すべてがあなたを惹きつけていた。

 兄ちゃんは満足そうに頷き、ふと目を細める。


「なあ、お前はこの街で何なんだ? 主役か、端役か、それともただの観客か?」


 その問いかけは、冗談めいているのに、なぜか胸に刺さる。あなたが言葉に詰まると、彼は笑った。

「変なこといって悪かったな。まあ、街を楽しめよ」

 兄ちゃんは映画のチケットを渡してきた。

「いい映画館があるから、行ってみな。目から鱗だぜ。さっきの話じゃ、この街で神社仏閣やらお堅いところしかいってないんだろ」


 チケットを手に、街の中心にある古びた映画館へ向かう。

 外観は時代に取り残されたようだが、館内は広く、複数のスクリーンが並び、様々な映画が上映されている。恋愛映画、冒険映画、ミステリー――どれもがこの街の雰囲気を映し出すようだ。


 一つの映画の看板に目を奪われた。それは、作家とその妻が営む茶肆を舞台にした物語だった。

 登場人物の会話、家の雰囲気、よくていて、この映画を見ることにした。

 そっくりなのは舞台だけではなかった。

 登場人物の中には、見知った顔がちらほら。茶肆の常連、花街で会った女の子。

 モカシンのエピソードまで、あなたが体験したこととそっくりだ。

 映画の中の夫婦は、街の秘密を守る者として描かれ、永遠に繰り返される物語の一部だと語る。あなたは混乱しながらも、映画に引き込まれる。

 見終えた後、他のスクリーンでも、似たような物語が形を変えて繰り返されていた。

 まるでこの街全体が、物語のループに閉じ込められているかのようだ。


 映画館を出た後、疑問が頭を離れない。茶肆に戻り、夕飯をごちそうになる。何気ない会話の中で、奥さんに尋ねる。

「あの映画を見たんです。おふたりの話だった。あれは何なんですか? この街は何なんですか? 永遠のマドンナって、誰なんですか?」

 奥さんは穏やかに微笑み、茶を淹れながら話し始める。

「この街はね、永遠のマドンナの物語を生業にしてるの。彼女は、この街の心臓なのよ。恋も、夢も、生きてることも、全部が彼女の物語の一部」


 彼女は窓の外を指さし、遠くのガス灯が揺れる空を見やる。

「ずっと昔――いや、時間なんてここでは曖昧だけど――この街が生まれたとき、最初の物語があったの。ある女がいた。誰もが彼女を愛し、誰もが彼女を追い求めた。彼女は完璧だったけど、誰の手にも届かなかった。彼女は恋の化身であり、夢の象徴だった。彼女が去ったとき、街は彼女を忘れられなかった。それで、彼女の物語を繰り返すことで、過ごすことにしたの。それが永遠のマドンナ」


 あなたは息をのむ。奥さんは茶碗を置いて続ける。

「マドンナは実在したかもしれないし、誰かが作り上げた幻かもしれない。幻燈の映し絵かもしれないし、薬物の幻覚かもしれない。だけど、ここではそんなことは重要じゃない。彼女は私たちの心にいる。旦那さんが書く小説も、花街の恋も、映画のスクリーンも、すべてが彼女の物語の欠片なの」


 彼女の言葉は、まるで霧のようにあなたの頭を包む。

 街の住人たちは、永遠のマドンナを生き続けるために物語を紡ぐ。彼女は神話であり、信仰であり、街の存在理由そのものだ。

 だが、彼女が本当にいたのか、ただの理想だったのか、誰も知らない。


 あなたは尋ねる。

「じゃあ、私の体験も……?」


「そうよ」

 彼女は笑う。

「あなたもこの街に来た時点で、彼女の物語の登場人物なの。旅人として迷い込んで、モカシンをもらって、花街で恋の匂いに迷って。それも全部、物語の一部。

さて、あなたは主役? 端役? それとも観客?」


 彼女は一瞬黙り、いたずらっぽく付け加える。

「ほら、さっき食べたカツオのたたき、美味しかったでしょ? あれが夢だったか、現実だったか、わからなかったよね? ここでは、夢も現実も一緒なのよ」


 あなたは考える。この街は実在するのか? 幻燈の世界か、薬物の幻か、ただの夢か。

 茶肆の座敷に座り、カツオのたたきの味を思い出す。

 確かに、夢と現実の区別がつかない。街の喧騒、モカシンの感触、映画のスクリーン――すべてが鮮やかで、すべてが本物だ。


 永遠のマドンナの起源は、街の住人にとって神話であり、信仰だ。彼女は恋の理想であり、物語の源泉であり、誰もが追い求める幻。だが、彼女が実在したかどうかは誰も知らない。街そのものが、彼女を存在させるために作られたのかもしれない。


 いいやこれは呪いだ。


 街を去るか、留まるか。あなたはまだ決められない。

 だが、どこかで、この物語の一部として生き続けることを望んでいる自分もいた。これが、この街の魔法なのかもしれないと思う。

 主役として、端役として、あるいは観客として、あなたは永遠のマドンナの物語に織り込まれている。


 彼女は、あなたの心の中で微笑みかけている。




夢を見たときに忘れないうちにメモするんですがそれれらをもとに話を作ったシリーズです

今回の夢はこちら。


街全体が人口地盤の上にある街。建物や施設が様々にシェアされていて、簡単に迷う。


自分は旅行者。身ぐるみはがされかけて、ある家で助けてもらう。

(靴を恵んでもらう。モカシン)


旦那さんが作家、奥さんが仮眠カフェをしている家で厄介になっている。


夢も起きてる事も一緒なんだよ。

いまたへたカツオのたたき、夢か区別つかなかったでしょ


夢メモ

午前4:19 · 2025年5月7日



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