3-3 論理を崩す絵

ミカの前に広がる空間は、まるで巨大な数式の森だった。


古い空きホールを改装したこの施設は、VERBAのローカルサーバが直接設置されている、いわば“言語統制の中枢”だった。

ホウジンによれば、ここには特別な視覚化装置があり、VERBAの「意味処理構造」を可視化することができるという。


「ここが、“論理の根”だ。

 VERBAが語彙の安全性を判断する、その基幹ロジックを直に揺るがせる場所さ」


ホウジンは床に白線を引いた。中央にはプロジェクターの投影装置があり、円形に配置された装置がぐるりと囲む。


「お前の“絵”で、干渉してみろ。論理を壊すには、感情と矛盾を混ぜるしかない」


ミカは深く息を吸った。


ノートを開き、描きかけだった絵のページを取り出す。

そこには、1枚の場面が描かれていた。


ある家の玄関。

出かける父の背中に、小さな子どもが手を伸ばしている。

けれど、父は振り向かない。

子どもの手には、紙飛行機が握られている。

その紙には、こう書かれていた。


「きっと まってるから」


装置が絵を読み取り、天井に浮かぶ論理構造が色を変えた。


真っ白だった空間に、複雑な枝分かれのような“論理の木”が現れる。


──信頼は、確約を伴うもの。

──確約は、行動で証明されなければならない。

──未実行の約束は、欺瞞である。

→ よって、「信じている」は不確実な語であり、削除対象とする。


ミカはホウジンの言葉を思い出した。


「感情は、矛盾から生まれる。

 一見して破綻した言葉こそが、人を突き動かすんだ」


ミカは絵の余白に、もうひとつの場面を描き加えた。


別の日、別の時間。

父が帰ってきて、子どもの頭をなでている。

玄関には、あの紙飛行機が落ちている。くしゃくしゃになって。

でも、父はそれを拾い上げて、そっとポケットにしまう。


言葉はない。

けれど、その場面全体が語っていた。


──“あのとき”は叶わなかった約束が、

 “いま”になって、少しだけ守られた。


──それでも、「信じていた」は、無意味じゃなかった。


論理木がざわつくように揺れ始めた。


“信じる”は不確実である。

しかし、“信じられたこと”は、後に実行によって裏づけされる場合がある。

ならばそれは、“信じる”が前提条件として機能していたということにならないか?

否定の論理が、自らを矛盾に追い込む。


システムが出力する。


《逆接命題を検出》

《構造内に矛盾が存在します》

《論理木:再構成不能》


ホウジンが息をのんだ。


「入った……崩れたぞ、ミカ!」


木の枝のように張り巡らされた構造が、一点から崩れ落ちていく。

まるで霧が晴れるように、空間全体が静かにほどけていく。


そのとき、ミカのノートのページが、かすかに温かくなった気がした。

記録された“信じる”という言葉が、再び黒インクのように濃く浮かび上がっていた。


ミカは確信した。


絵は、論理を壊す。

曖昧さは、言葉の欠陥ではない。

それは、“言葉が生きている証拠”だった。


そして、曖昧さの中にこそ、人は誰かを信じる自由を持てるのだ。

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