2-3 ごめんなさいを言えなかった兄妹

その町は、かつて港として栄えていたという。

今は貨物の往来も絶え、静かな海辺の集落となっていた。


ミカがその町を訪れたのは、「残響が強く残る声の記録がある」とホウジンの黒ノートに記されていたからだった。

そこには「カイ」という名前と、短い走り書きがあった。


『兄妹 二人

 たった一言だけが ずっと言えない』


ミカは、瓦屋根の続く路地を抜け、小さな民家の前に立った。


そこにいたのは、少年だった。

背中を向けたまま、石を積み上げて何かを作っていた。


「……カイくん?」


声に出したつもりだったが、空気を揺らすことすらできなかった。

ミカはそっとノートを広げ、彼の名前を書いた紙を見せた。


少年は顔を上げ、無言でうなずいた。


「妹さんは……?」


指で問いかけると、彼は少し顔を曇らせて首を横に振った。

そして、裏庭へと歩き出す。


そこには小さな祠のような石の塊があり、写真立てが一つ置かれていた。


写っていたのは、彼とよく似た少女。

年の離れた兄妹のようだった。

優しく笑っているのに、どこか寂しげな瞳。


「彼女は、もう……いないの?」


ミカは紙にそう書いて見せた。


カイはしばらく何も言わずに、ただ空を見ていた。

そして、胸元から折りたたまれた手紙のような紙を取り出す。


そこには、つたない字で一言だけ書かれていた。


「ごめんなさい」


震えるような筆跡。

何度も何度も書き直された痕跡。


ミカは、ページをめくり、そっとその紙をノートの上に載せた。

そして、自分のクレヨンでその言葉をなぞりながら、横に一枚の絵を描いた。


海辺で肩を並べる兄と妹の姿。

足元には波が打ち寄せ、空には風船が浮かんでいる。

その風船に、小さな文字で「ごめんなさい」と記されていた。


ミカは、ノートのそのページをカイに差し出した。


少年はしばらく黙っていた。

そして、ぎゅっと唇をかみしめると、目に涙を浮かべながら、祠の前にひざをついた。


手を合わせる。声は出ない。

だが、唇が動いた。


「……ごめんなさい」


音にはならない。

けれど、その言葉は確かに風に乗ったように感じられた。


ミカはゆっくりと目を閉じた。

黒ノートのページが、ほのかにぬくもりを帯びた気がした。


失われた言葉が、ほんのわずかに蘇るとき、

それは音ではなく、誰かの“祈り”の形をしていた。


町を離れるとき、カイがポケットから折り紙を取り出し、手渡してくれた。


それは、小さな風船だった。


羽根のような折り目の中に、ミカはかすかに見つけた。

「ごめんなさい」の残響が、そこに確かに宿っていた。


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