2-1 沈黙派の襲撃

廃図書館の地下にある資料室は、まるで時間が眠っているようだった。


天井には鉄骨がむき出しになり、古びた蛍光灯が時おりちらつく。壁には、かつての新聞、詩集、録音メディア、文字の辞書――今ではほとんど使われなくなった言葉の亡骸が整然と並んでいる。


「ここが、“残響”のアーカイブだよ」


ホウジンは、埃をかぶった扉を押しながら言った。


「VERBAがまだ学習を始める前、言葉を保存しておこうとした人たちがいた。

 この資料室には、その人たちが集めた“消える前の言葉”の記録が残ってる。物理的な媒体だけが頼りなんだ」


ミカは黙ってうなずいた。

この場所には、声にならない声が確かに満ちていた。紙のにおい、インクのしみ、ペンの走り書き、テープのかすれた音――それらが、言葉たちの“残響”として生きているように感じられた。


「でも、最近はね。ここをよく思わない連中もいる」


ホウジンが手袋をはめながら、低くつぶやいた。


「沈黙派って、知ってるかい?」


ミカは首をかしげる。


「言葉は争いを生む。だから、すべての語彙を廃棄すべきだって主張する人たちさ。

 VERBAの最も過激な支持者。法律でまだ保護されている記録アーカイブを“思想汚染”とみなして、焼き払おうとする連中だ」


そのときだった。

地上階から、ガラスの割れる音が響いた。


ホウジンが素早くランプを消す。


「来たか……。下がって、ミカ」


足音。重たいブーツが床を踏み鳴らす音が、階段の方から近づいてくる。

ふたりは資料棚の奥へと身を隠した。


「記録媒体をすべて確認しろ。語彙復元に使えるものは、即時焼却。

 音声テープ、紙の辞書、手書きノート、すべてだ」


無機質な命令が、沈黙のなかに落ちる。

数人の黒衣の男たちが、手に装備型スキャナと発火装置を持っている。

彼らは無言で棚を次々と調べ、封をされた箱を片端から開けていく。


「ホウジンさん、どうしよう……」


ミカの声は震えていたが、かすれた息のように小さかった。


「まだバレてない。出るぞ。非常扉のルートがある」


ホウジンはゆっくりと身をかがめながら、背後の壁にある配線カバーを外した。

配線の奥には、かろうじて人が通れる幅の通気ダクトが伸びていた。


「ミカ、先に行け」


ミカが躊躇していると、背後で激しい破砕音が響いた。


ひとりの沈黙派の男が棚を蹴り倒し、落ちたテープのラベルを読む。

そこには、ミカがつい昨日書き写したばかりの、祖父の「ありがとう」の手紙のコピーがあった。


「これは……“感謝”か。危険語だ」


男が火をつけようとしたその瞬間、ホウジンが飛び出した。


「やめろ! それはまだ……!」


バチッと火花が散る。男たちがこちらに気づく。


「動くな! 記録者だ!」


ホウジンはミカに叫んだ。


「行け、ミカ! 言葉を運べ!」


ミカは涙をこらえてダクトに滑り込んだ。

背後から怒声と物音が迫ってくる。

埃まみれの狭い空間を這いながら、彼女は胸元のノートをぎゅっと抱きしめた。


中には、まだ一枚だけ――折りたたんだままの、祖母と祖父の絵があった。

そしてその裏に、小さな手書きの言葉が添えられていた。


「ありがとうは、ここにある」


光の見える先へと這い出たとき、ミカの頬には涙の跡があった。

それでも、胸の奥にははっきりとした炎のようなものが燃えていた。


言葉を守る。誰かの記憶を、形に残す。


沈黙の中でこそ、彼女はその決意を強くした。

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