勇者と消えた世界
平井甲殻類
1章
第1話
「ありえぬ」
何百年ものあいだこの窮屈な大地に君臨してきた異形の生命体が絞りだすように現状を否定した。
蹂躙、殺戮、破壊、掃滅。
それらを思うさま愉しむのはただ我にのみ与えられた権利であり、我に抗える存在などただの1つもいなかった。
今宵までは。
壁も天井も崩れ落ちた城に赤月が心地よい光を差す。
かつてこの玉座の間に攻めこみ悉くを壊滅させたのは自分自身だが、かの時とは立場が逆だ。
奪い取った城に今は攻めこまれている。
侍らせていた眷属どもはみな死に絶え、骸となって石床を埋め尽くしている。
夜闇にまた剣閃が迸った。
とっさにその剣戟を躱そうとしたが、速すぎて反応できない。
再び切り飛ばされた剛腕が宙を舞う。
「ありえぬ! ありえぬ! ありえぬ!!!!」
たかが人間。
十年後には老いて衰える肉袋ごときに押されている。
到底受け入れられない異常すぎる現実に、たまらず怒りの咆哮をあげた。
攻撃がどこからどうくるか、その軌道も角度も動作も、すべて予知している。
にもかかわらず、敵の攻めが速すぎてすべて通されてしまっている。
戦いの前には腕が6本あった。
人間どもが文明力でせせこましく拵えた城門を一撃で粉砕できる剛力を備えた逞しい腕が。
かつては6つ手それぞれに掴んだ何十もの人間をまるで果実を搾るかのごとく握りつぶし、大量の血酒を飲むのを楽しんだものだ。
だが今は。
あるいは切り落とされ断面を晒し、あるいは叩き潰され肉片と化し、すでに半数しか機能していない。
人間どもの脆弱な武器を弾きつづけた硬き鱗には無数の傷がつけられ、無敵を誇った巨体から夥しい量の魔素が流れ出している。
「ありえぬ……」
魔物はもう1度つぶやく。
我こそは頂点生物。
生きとし生けるものをすべて蹂躙してしかるべき最終捕食者であり、この地で最強の生物であるはずだ。
ほんの少し前までそのことを疑いもしなかった。
数十分前、不遜にも踏みこんできた者がいた。
たった4匹の人間。
ディアボロスはせせら笑いを浮かべつつ眷属に駆除を命じ、己は積み上げた無数の人骨で作った玉座から高みの見物を決めこんだ。
しかし、その判断が誤りであった。
4匹の中にとてつもない怪物が混じっていたのだ。
怪物。
そうとしか表現しようがないバケモノが。
100以上いた眷属をあっという間に殺戮せしめたその怪物は、その凶刃を我へと向けた。
玉座から腰をあげて戦闘態勢をとったが翻弄されるばかりだった。
やつは正面にいたかと思えば次の瞬間には横にいる。
顔を向けた時にはすでにそこから姿は消え、こんどは背後から斬りつけてくる。
一撃一撃がありえないほど速く、そして重い。
緑水晶よりも硬い鱗をやすやすと貫き、骨を筋肉ごと断ち切ってくる。
このままではよくない、と魔物の本能が危機を発したその時。
暗闇に光の筋が引かれ鋭い痛みを感じた。
腕が切り飛ばされたのだ。
まただ。
また見えなかった。
攻撃されることはわかっている。
すでに視ているのだから。
だがあまりにも速く、あまりにも鋭すぎて反応することすら許されない。
(何者だ……)
目を向けると、顔を返り血で黒く染めた人間が頬をニヤリと吊りあげた。
笑み……だと……。
どうやらこれを激戦と思っていたのはこちらだけのようだ。
認めざるをえない。
すでに我は死線にある、と。
死など恐れはしないが、与えられた使命を果たせずに消えることは許されない。
この怪物をなんとしても打ち倒さねばならない。
ディアボロスは拳を握りしめた。
しかし、何度となく振るった拳は壁と柱を砕き散らかして玉座の間を完全なる廃墟に変えたが、それだけだった。
あの怪物にはかすりもしていない。
当たれば。
当たりさえすれば。
この拳が当たってくれれば。それで勝負がつくはずなのに。
これまで殺戮してきた数多の人間はみな撫でただけで身がほろほろと崩れてしまうほど脆く弱かった。
どれほど速かろうが、人間には脆弱な耐久力しかない。
それが種の限界というものだ。
なれば、この拳が当たればその身は砕け散るはずだ。
魔物は策を弄する。
残った2本の腕の1本をくれてやることにしたのだ。いかに速くとも切る瞬間には必ずそこにいるのだから。
わざと隙をつくって切りやすいようにしてやると、案の定、敵はまんまと釣りだしに引っかかった。
切りかかってくる姿はやはりまったく見えなかったが、上腕の骨肉を切り裂かれていく痛みが敵の実在を証明している。
「とらえた!!! 死ねい!!!」
そこへ狙いすました炎の息吹を吐きかける。
おのれの腕ごと敵を焼き、わずかな時間でも動きを止めるために。
燃えあがる赤のなかに浮きあがった黒い輪郭にむかって、渾身の力をこめて拳を突きだした。
「手ごたえあり」
我知らず笑みが浮かびそうになる。
腕を犠牲にして、温存していた炎の息吹で不意を打った。
なりふりかまわない無様な作戦だったが、それが功を奏したのだ。
勝ったと思ったその直後、希望は打ち砕かれた。
全力で突きだした拳は人間の華奢な体をモロにとらえたはずだった。
だが、全身が弾けて空気を濡らす赤色の霧と化すはずの敵は健在だった。
理由はよく見るまでもなくわかった。
手の甲が刃で貫かれていたのだ。
炎と拳による必殺の連携を、敵はとっさに剣の柄を返して受け止めていた。
貫かれた手の骨肉が緩衝材となって打撃の勢いが殺され、拳が一方的に破壊されたのだ。
獣の本能を凌駕するとてつもない反応、とてつもない反射。
そんな表現では到底足りない。
まるで意志をもった剣そのもののようだ。
「何者だ……」
6本の腕をすべて無力化され攻撃手段を奪われた魔物は敗北を悟った。
負けを認めるのも、恐怖に声を震わせるのも、はじめてのことだ。
しかし、それは意外にも屈辱ではなかった。
まだくすぶっている炎の影響でうっすらと煙をまとう人間が剣を肩にかついだ。
「魔王を倒すやつは決まっている」
剣を肩にかついだまま、身を低く沈める。
次に切られるのは腕ではないだろう、と直感的に確信した。
「勇者だ」
鋭い光が一閃する。
ゆっくりと時間が流れる。
薄皮に食いこんでくる鋭利な感覚に、首を切られるとはこういうことなのか、と魔物はどこか達観していた。
「恐るべし……勇者……」
首を切断されながらつぶやいた言葉は生涯最強の敵への称賛であった。
強きものが生き、弱きものが死ぬ。
それは当然の摂理だ。
敗北を恥じる気持ちは一切ない。
勝てるわけもない格上の生物に負けただけなのだから。
解放暦487年のその夜、魔王ディアボロスと呼ばれた存在は討伐された。
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