1-2:蟻って、逃げないんだな

地上に降りるまで、あと十三日。


教室の空気が軽くなった。

誰かが勝手に「供儀くぎの天使と語ろう」ってイベントを作って、昼休みに生徒が入れ替わりで私の机に来る。

感想文の添削会でも始めるつもり? って思ったけど、ただの写真会だった。


「ミルちゃん、今日の髪型も素敵〜」

「供儀職って、ほんとに命がけなの?」

「感想とか、もう考えてる?」


私が笑顔でうなずくと、みんな満足そうに帰っていく。

面白いそうだったから試しに “笑顔補助パッチ” を申請してみた。そしたら本当に支給された。

便利な時代だね。表情も、買えちゃう。


セラミック保護服のフィッティングは、体育館で。

初めて実物を見たけど、なんか、給食のおばちゃん? が着てる服みたい。真っ白で少しゴワッとしてる。動きにくそうだし、通気性も悪い。一応、背中に穴みたいなのはあるけど……

エリクとサニエは自撮りに夢中で、リゴル先生も「青春だなあ」なんて言ってた。


“青春” って、地上にもあるのかな。炉の熱で蒸発してなきゃいいけど。


記録班の人が来て、さっそくスキャンを始めた。

「供儀の天使」と書かれたワッペンを胸に貼られて、私は少しだけ鳥肌が立った。


「ではこの辺でカメラ回しますね〜」

「ミルさん、前を向いて、自然な笑顔で!」

「はい、“供儀らしさ” 出てますよ〜!」


供儀らしさって何。自分でも知らないのに。“笑顔補助パッチ” のこと?


その日の夕方、ヴァイス=3が迎えに来た。

あの無駄に正直な給仕ロボ。今日はスケジュール調整も仕事らしい。


「出発前、一次降下訓練に同行いただきます」

「観光ルートの下見ってやつ?」

「第12炉の管理棟まで。供儀観察班としての基本行動を学ぶ内容です。危険区域は含まれません」

「危険 “ではない” 場所、ってわざわざ言うの、逆に危なくない? 絶対フラグじゃん」

「まだ大丈夫そうですよ」


まあ、あんたにしては気が利いた答え。ロボのくせに。


ヴァイス=3によると、第12炉の降下ゲートはセグメントの一番下にあるらしい。

ヴァイス=3が “供儀搬送リフト” に接続して操作するようだ。「リフト操作中のため応答不能」って出てる。ほんと何でもやるな、このロボ。

私も記録班と一緒に乗り込んで、ゆっくり下へ降りていった。

都市の足元って、想像よりずっと暗くて、濡れてて、狭いんだ。


エリクとサニエは別の班に割り当てられてる。たぶん “当たり” の班。向かう炉や区域は同じで泊まる部屋も近いけど、一日のスケジュールが違う。リゴル先生は三人分の班を巡回するらしい。忙しそうだ。

上層だけで観察が終わって、危なくないし、感動的だし、ちゃんと帰ってきて称賛される。

よかったね。本当によかったね。


「わー、煙見えてきましたよ!」

「これが地上か〜。すごい、耳がキーンってする」


記録班の一人がわざとらしく実況してる。


「ミルさん、今のお気持ちは?」


私はリフトの窓に手をついて、外を見た。

白い霧の向こうで、何かが動いてる。地面の上を、黒い点々が、たくさん。

でも形が小さすぎて、蟻……だったっけ? それにしか見えない。教科書でしか見たことないけど。


「……でかい蟻みたい」

「詩的ですね〜! 天使の着地!」


こっちの返事なんか聞いちゃいない。勝手に解釈して喜んでる。うるさいな。そうじゃなくて……

あれが “対話不能個体” だったらどうしようって言いかけたけど、やめた。


リフトが止まった。管理棟の入り口に作業員らしい人影が見えた。

全身防護服で、マスクもしてる。誰が誰だかまったくわからない。


一人がゆっくりこっちに近づいてきた。

歩き方が妙にぎこちなくて、足を引きずってる感じだった。

人間らしい……っていうより、そういう動きじゃないと “人間だ” って思えなかった。


「そっちは、見学の子か」


がらがらの声だった。

私が何か言おうとした瞬間、後ろから記録班が飛び出す。


「はい! 供儀の天使のミルさんです! 三日間の観察参加で――」

「……ふーん」


作業員はそれだけ言って、私には目もくれずに戻っていった。

リフトのフレームが軋む音だけが、しばらく耳に残った。


帰り道。

ヴァイス=3に質問してみた。


「ねぇ、“供儀” って言葉、昔はどういう意味だったの?」

「宗教的儀礼における “ささげもの” を指します。一般的には “死を前提とした行為” とされていました」

「へぇ。じゃあ今の供儀職って、だいぶ安全になったんだね」

「はい。それでも制度上、志願者は少数です。従って、現在は僅かな “無作為抽出” と大半を占める “特定区域対象者” からの徴用で維持されています。また、用語については、元の定義の曖昧性が政治的に “運用” されています」


「つまり……」

「“行為” より “意味” が優先された、ということです」


やっぱこいつ、わかってるのかもしれない。


その夜。

支給されたノートに、一言だけ書いた。


蟻って、逃げないんだな。

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