第8話 三つ束なる六角柱
「クラウス!!」
当然のことながら、クラウスの異変はエルマの目にも明らかだった。
ヘッドライトの明かりが荒ぶり捻転していたこともあるが、種族柄、ある程度暗闇を見通すことのできる彼女の眼は、クラウスの異変をしっかりと捉えていた。
背中から泡を吹き出しつつ岩壁に激突し、なおも推進を続ける彼の様子を見て、エルマは少なくない精神的ショックを受けた。
彼の身に何が起こったのか、彼女にはまるで分からなかったのだ。
「GYAHAHA!! fuki ton daze!」
それでも、背後に追手が迫っていることくらいは分かった。彼女は生まれ持った聴力で、背後から迫るオルケンの頭数すら把握することができていた。
もっともそれは、長期に渡る強制労働によって「このネストに従事するオルケンは3人組での行動を好む」という経験則から来るものでもあったが……
(3体1……多分、絶対、勝てない)
先ほどの戦闘を受けて、エルマは直感していた。体格のいいオルケン相手では、一対一でも互角かそれ以下。ましてや3人を一人で相手取ることなど、エルマにはとてもできそうにない。
(だったら、クラウスを連れて逃げるべき)
そう判断したエルマは背後の追手に振り向くことなく、脚を強く振って泳ぎ続ける。瞳の先に見据えるのは、奥へ奥へと進んでいくクラウスの身体。爆雷を受けた直後に比べて、岩壁を擦る彼の身体は徐々に勢いを失い始めている。
(もう少し……!)
そう心の中で強く思って、クラウスへ向けて手を伸ばすエルマ。
彼女は自分にできる限りの全速力で彼に追いついたつもりだったが、それも所詮は生身の遊泳速度であり、追手のオルケンと劇的な差を付けられたわけではなかった。
クラウスまで後1メートルというところで、背後から不穏な水音が響く。振り向いたエルマの眼前に現れたのは、水中にも拘らず驚異的な速度で飛来する件の爆雷だった。
「ぐうっ!!」
直撃とは行かなかったものの、すぐ脇に着弾した爆風を受けて悶絶するエルマ。
砕けた石灰岩のかけらが横腹に突き刺さり、深い藍色の血液が滲む。
痛みを覚えたその隙にクラウスの身体はさらに流れて、エルマの手から離れていく。
「Uchi kata yame! tumete toraero!」
実のところ、エルマはほんの少しだけ、彼らの言葉を理解していた。
だから背後から響いた発音の羅列の意味するところを理解していた。
追手のオルケンたちは爆雷による威嚇射撃を止め、この隙に距離を詰めようとしていた。
(もう、逃げられない。だったら……)
エルマは最後の力を振り絞り、自身の背負う背負子から爆雷を二本抜いて構えた。
水中でただ爆雷を投擲したとて、穂先を砕くほどの威力は出ないと理解していた。
それでもエルマの心の中に、降伏という選択肢はなかった。
掴みかけた夢の欠片を、手放すわけにはいかなかった。
「私、最後まで、戦うから。勝ったら、サンゴへ、連れてって」
もはや止血もままならない。
腹から血を流しつづけながらエルマは追手へ立ちはだかる。
限りなく希薄な希望を胸に、生きているかも分からない彼が、思い描いた夢の場所へ連れていってくれると信じて。
「うあああああああ!!」
水面下にこだまする鬨の声は洞窟の先へと響いていく。追手のオルケンは、クロスボウめいた爆雷の射出装置を携えつつ、暗闇の奥地から姿を表す。悲痛なエルマの叫び声を受けても、クラウスの身体は動かない。
ただ、流れに身を任せて洞窟の先へと運ばれてゆく……
そのはずだった。
「――ない――とる、ちてんにて――――と――ちゅう――」
エルマの鋭敏な聴覚が、背後から響く微かな声色を捉えた。
それは、勘違いでなければ、うつろな目でどこかを見つめたまま、身を丸めるクラウスから響いて居るように思えた。
「しきゅう、おうえんねがい……ます……」
勘違いでなければ、彼はその腕に震えるほどの力を込めて、胸元のレバーを握っているように思えた。
何かが迫る、音が聞こえる。
直後、エルマの聴覚に確かに響いたのは、地ならしにも近い、低い水音。
直後に続く泡の音。正面方向へ向けて流れゆく水流。
クラウスの身体が吸い込まれていく。
否、彼だけではない。居座ると決めたエルマの身体も、ようやく異変に気が付いたオルケンたちも、先ほど散った爆雷の破片も全てが全て、吸い込まれていく。
「Omaera! nanika mazui zo!!」
オルケンたちは、その流れに抗う事に決めたらしい。
だが、エルマは違った。極限状態に置かれた彼女の勘は、明らかに異様なその水流を、悪いものではないと判断した。
あるいは、この奇怪な現状を肯定的に捉えていた。
(今なら、彼に追いつける)
エルマは両手の爆雷を捨て、横腹を押さえながら前へ進む。
流れに乗った彼女の身体は、すぐさまクラウスへ追いついていく。
「クラウス、生きてる……!?」
水流の中で重なり合う身体。潜水服を抱きしめる青くしなやかな両腕。
エルマはヘルメット越しに額を触れて、彼に尋ねた。
かれは、どうしようもなくうつろな瞳に、ほんの微かな生気を宿して答えた。
「ああ。ぼくらの、かちだ」
直後、明かりもない、濁った石灰水の道の先から、巨大な影が姿を現す。
クラウスのヘッドライトに照らされた鉄の塊が空洞を進む。
それは針穴に糸を通すように。
空洞の直径約10メートル、ギリギリを攻めた巨体が頭上を掠める。
「これが……船?」
それは、巨大な六角柱のコンテナを3つ、外囲いの鉄筋で無理やり束ねたような姿をしていた。二つを両肩に背負う形になっている下の一回り大きなコンテナは正面がガラス張りで、その側面にはどうしようもなく無骨な工業用のロボットアームが2つ、携えられている。
お世辞にもスマートとは言えない「潜水艇」の姿が、そこにはあった。
そして、何より場違いなことに、その船の底面には「砲塔」があった。コンテナの床底を、支柱付きの鉄パイプでなぞったような、長大で無骨な「主砲」があった。
「みみを、ふさげ!」
エルマが警告に従った直後、二人の頭上が眩く光った。
直後、視覚、聴覚、触覚全てを白で埋め尽されるような感覚。
感覚不全に陥りそうなほどの衝撃と共に「主砲」が放たれる。
それは、攻撃目的のモノではなかった。
それは、進路上の海水を濁らせつつ拡散し、逃げるオルケンたちの背後を瞬く間に黒く塗りつぶした。
かつてのタコやイカたちがそうしたように、墨を撒いて視界を黒く遮ったのだ。
幸い、エルマの居る潜水艇の直下はその限りではなく、視界が良く通っている。
今のうちに逃げなければならない。
そう思ってエルマがクラウスに近づいた途端、その声は響いた。
「そこのメロウ! ソイツを思い切り掴んでなさい!」
「っ……わかった!!」
明らかにクラウスの物ではない、女性的かつノイズ交じりの声。
言われた通りクラウスを抱きしめたエルマの背後にアームが迫る。それは、二本の爪で器用に二人の身体を包み、しかしてしっかりと握りこむ。
同時に、潜水艇の後方。三つのコンテナの中心にでかでかと携えられた巨大スクリューが、全速力で逆回転を始めた。
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第一章 ネスト探索 - 終 -
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