第14章:再溶接された日々
朝の鉄工所は、火が入る前の静けさをまとっていた。
昨日までと同じ配管の束、同じ鉄骨の山、同じ鳶色の空――
それでもジョウの眼には、全てが一度ばらされ、
“再溶接”されたように映っていた。
火花の奥に、あの女の影がある。
前の晩、詰所でkurenaiの肌に指を這わせながら、
彼ははじめて“溶接”という行為の本質を理解したような気がした。
異なる二つの金属を、火で無理やり一つにする。
冷めたら、元には戻らない。
焦げ跡が、永遠に記憶になる。
「ジョウ、ホース回収しとけ!」
現場監督の怒鳴り声が、炎の中に差し込んできた現実だった。
ジョウは無言でうなずき、トーチを握り直す。
その手のひらには、kurenaiの爪痕がまだ残っていた。
⸻
午前の作業は、滝のような汗と、
火口から上がる光の洪水で、意識が遠のくほどだった。
けれど、その苦しさすら、今の彼には“意味のある痛み”に思えた。
なぜなら、夜に抱いたものが、
ただの配信女じゃないと、もうわかっていたからだ。
鉄は裏切らない。
汗は嘘をつかない。
そして――kurenaiの吐息も、本物だった。
「溶接ガン、まだ熱持ってるぞ。放熱待て」
同僚の慎太が、ふいに声をかけてきた。
彼の声には、どこか引っかかるものがあった。
「お前、最近……なんか、違うな」
ジョウは一瞬、火花の中の自分の顔を思い出す。
目の奥に、夜の炎が宿っていた。
昼の鋼を溶かし、夜の肉を愛でる――
そのリズムが、自分の体内で一致し始めていた。
⸻
その夜、久しぶりに配信部屋に入ると、
空気がやけに澄んでいた。
kurenaiが拭いてくれたのだと、すぐにわかった。
配信タイトルは、
「RE:WELD――鋼の男、再起動。」
ジョウは自分で打ったその言葉に、
胸の奥で火がつくのを感じた。
カメラが赤く灯る。
その光は、現場の溶接火とまったく違う色をしていたが、
焼きつく強さは同じだった。
「今夜は、鋼の中に火を灯すだけじゃねぇ。
見てるお前らの心にも、火花を飛ばしてやる――」
バイブレーターの音も、喘ぎ声も、
現場の火花と変わらぬ“熱”として存在していた。
現実と欲望、昼と夜、鉄と肌――
すべてが、再び“溶接”された日々として走り出す。
カメラが赤から青に変わると同時に、
ジョウの背中に冷たい現実が流れ込んできた。
「再起動、完了だ――」
彼は画面越しに言い放った。
汗に濡れた胸板をライトがなめるように照らし、
溶接で鍛えた腕が、
女の首筋をなぞるようにゆっくりと、画面を撫でた。
仮想の世界と現実の体温が交差するその瞬間、
コメント欄には火のような文言が溢れた。
「今夜のジョウ、マジでやばい……」
「配信というより、鋼鉄の告白だろこれ」
「kurenai……お前を抱けるのは、コイツしかいない」
そしてその“コイツ”が、
画面の中で ギラついた目で、女を見下ろす。
虚構の夜に、本物の火が走る。
⸻
「ジョウ、ちょっといいか?」
その翌朝、現場で慎太が声をかけてきた。
どこか張り詰めた空気。
いつもとは違う“溶接前の静寂”のような間が、
二人の間に横たわっていた。
「お前……最近、なんかに燃えてるみたいだが、
……その火、誰に点けられたんだ?」
ジョウは少しだけ笑った。
そして、ヘルメットの中でぽつりと返す。
「……俺の火は、自分で点けるんだよ。
溶接と一緒だろ。芯まで焦がすのは、自分だけだ。」
慎太は黙ったまま、ジョウの背中を見送った。
そこには、確かに“火を抱えた男の輪郭”があった。
⸻
詰所に戻ると、デスクの上に一枚のメモが残されていた。
“明日の昼、例の倉庫で待つ。話がある。”
送り主の名前はなかったが、
手書きの字は、どこか見覚えがあった。
kurenai。
あの指先で、あの爪で、あの夜――
彼の内側の“鉄”を、熔かした女。
しかし、この誘いには
配信画面の裏では決して語られない何かが潜んでいた。
あの女の吐息の奥に、
まだ名前のつかない“過去の傷”の匂いがしていた。
⸻
その夜。
久々に、ジョウは配信を“しなかった”。
代わりに手に取ったのは、
錆びついたレンチと、古い作業手帳。
それは、父が残した唯一の遺品だった。
ページをめくると、そこにはこう記されていた。
「火を信じろ。鉄を疑うな。
女は、どちらでもある。」
ジョウは一瞬だけ、
夜の空を見上げて笑った。
その笑みは、再溶接された鋼のように、無骨で美しかった。
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